鴨の水かき
ごく短い問答を読むだけにしました。
その前半は、その数日前に体験した父の死と、葬儀について話をしました。
この勉強会は、和尚様方の勉強会なので、ここでは葬儀のあり方について思ったことを話したのでした。
最近は、家族葬といって身内だけで葬儀をすることが多くなってきています。
それに反して、私の父は家族葬のことをあまりよく思ってはいませんでした。
父の遺志もあって、葬儀は実に大勢の方々にお参りいただいて行ったのでした。
その話をするのに、はじめに会葬礼状の話をしました。
私も役目柄いろんなことを頼まれます。
法話や講演や、対談や、それに文章を書いてほしいと頼まれることがあります。
序文や推薦文などを頼まれることもあります。
私はこの仏門に入ったからには、世間様のお布施によって生活をさせてもらっているのですから、基本的には頼まれたことはできる限りお引き受けするようにしています。
もっとも最近は講演などの場合、日程の調整ができずにお断りせざるを得ないこともあります。
いろんな頼まれ事をする中で、先日会葬礼状の文章を作ってほしいと頼まれたという話をしたのでした。
これは初めての経験であります。
会葬礼状というのは、葬儀に参列したり焼香したりすると、渡される御礼状です。
お塩がついていたりします。
葉書くらいの大きさのものです。
だいたい定型文がほとんどだと思います。
私などもいただいてもあまり読んだことはありません。
せいぜい見るとしても喪主はどなたになっているのかとか、ご親族にどんな方がいらっしゃるのか、そんなことを見る程度であります。
父が亡くなって葬儀までのことについては、先日の日曜説教でお話しています。
詳しくはそちらをお聞きくだされば幸いです。
「命二つの中に」という題で話をしています。
ふるさとにいる弟から、父の葬儀の会葬礼状に文章を書くようにと頼まれたのでした。
私は通夜にも葬儀にもゆけぬと思っていたので、頼まれたからには何でもしなければと思って考えて書きました。
短い文章なので全文を紹介します。
かつて唱歌の『村の鍛冶屋』という歌の二番に、「あるじは名高きいつこく老爺(おやぢ)早起き早寝の病ひ知らず」という歌詞がありました。「いっこく」とは、頑固なこと。父は、この言葉通り、早起き早寝の病知らずで、頑固一徹な職人でありました。
鍛冶屋から身を興し、鉄工所に拡大して、今の横田工作所を築きました。おかげで四人の子も育つことができました。
子の教育について、父は何も語ることはありませんでした。しかし、黙々と作業着姿で仕事に打ち込む、その後ろ姿はなによりの教育でありました。その無言の教えを受けて私達は道を踏みはずすことなく生きてこられました。父の生涯は、私達にとって誇りであります。
父は生前、長生きを望まぬと言っていましたが、数え年九十一の天寿を全うすることができました。これも多くの皆さまのお世話になった賜物であります。長きにわたるご厚誼に心より御礼申し上げます。
亡くなりましたのは奇しくも四月八日の花祭り、お釈迦様の誕生日でした。み仏さまに導かれていくと信じています。
本日は、ご多用の中、ご会葬くださり、まことに有り難うございます。
という文章であります。
葬儀は、先日の日曜説教の前日となりました。
もう参列も無理かとあきらめていましたが、なんとかふるさとに駆けつけて葬儀の途中から参列して父に読経をしてあげ、最後の火葬で、父のお骨を拾ってすぐに鎌倉に向かったのでした。
ふるさとにいたのはほんの数時間でしたが、何人かの方から会葬礼状の文章がよかったと言ってくれたのはうれしかったものです。
だいたい読まずに捨てられると思っていたのでした。
日曜説教の前の晩遅くに円覚寺に帰ってきました。
夜遅く寺にもどると、帰って来られたとしみじみ感じました。
そのときに、ふるさと新宮市といいますが、もうふるさとを出てから四十数年経ちますし、鎌倉も三十五年も住んでいますので、鎌倉の方が帰ってきたと思うようになっています。
夜遅く帰ってきて、次の日の日曜説教をどうするか考えました。
あらかじめ準備していた原稿がすでにあります。
桜のことにちなんで松尾芭蕉の
さまざまのこと思い出す桜かな
の句を取り上げて話を始めて、昭和六十年の日航機墜落事故の話に展開し、石山寺の夢の桜の話をして、最後に
命二つの中に生きたる桜かな
という芭蕉の句で終わるように考えて原稿を作っていました。
父の死や葬儀に触れてはいません。
父の死について触れるのはあまりにも生々しい体験であり、これを皆の前で話をできる自信がありません。
ですから父の死には触れずに、用意した原稿の通りに話をするのが一番安泰であります。
しかし、それでいいのかという疑問が起きます。
日曜説教では今自分が思っていること、感じていることのすべてをお話するようにしてきました。
それなのに、心の中にもっとも重く存在していることに触れずに話をしていいのかという疑問です。
しかし、こんなに最近に大切な方を亡くして、その話を皆の前でできるかというと、とても無理だと思ったのです。
葛藤は続きました。
しかし、大事なことに触れずに話をするのはどうしても話が空虚になると思って、最後に父の死に触れることに決意しました。
用意した話を短くして、終わりに父の死と葬儀に触れることにしました。
それから何度も練習をしました。
しかし、練習するたびに涙が出て話にならなくなります。
それでも繰り返し稽古をして、どうにかできるだろうかという状態にして日曜説教に臨みました。
途中やはりこみ上げてくるものがありましたが、どうにか終えることができたのでした。
私が今こうして毎日書いている管長日記は、YouTubeのほかにVoycyというのでも音声を配信しています。
そこにはコメントも書けるようになっています。
先日そのコメントに、ある方がご自身の事に触れて、「親族が亡くなった時は魂が抜けたようになってしまうけど」と書かれ、それに対して私の日曜説教について「さすがに淡々と語られておりました」と書いてくれていました。
淡々と語っているように聞こえたのでしょう。
法話をするときには注意しないといけないことがいろいろありますが、哀しい話をしても法話をする人が泣いてはいけないということがあります。
泣きそうになるギリギリで話をするのです。
部屋でなんども法話の練習をしながら、いくたびも絶句し、ときに涙を流してしまいます。
それを繰り返してどうにか話ができるようにしたのでした。
鴨の水かきという言葉があります。
『広辞苑』には、「水の上の鴨は気楽そうに見えるが、その水搔きはたえず動いている意で、人知れぬ苦労の絶えないことのたとえ。」とあります。
そして正岡子規の言葉も思い出しました。
有名なことばでよく法話などでも引用されるものです。
『病床六尺』にあることばです。
「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。」
というのです。
淡々と見えるように平気で生きるのは実は大変です。
その平気に見える暮らしの裏には、必死の水かきがあるのだと思いました。
横田南嶺