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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.05.17
今日の言葉

温度差

温度差ということがあります。

『広辞苑』には、

「①温度の違い。

②ある事態や問題についての認識・反応が、人・集団によって異なっているときの隔たり」と解説されています。

単に温度の違いをいう場合もありますが、ここでは認識や反応が、その人によって異なることをいいます。

先日の日曜説教では、そんな温度差を感じることが重なりました。

前日は雨で午後からは強い風が吹きました。

強い風で、たくさんの葉っぱが散りました。

落ち葉は秋だけではありません。

この時期も常緑樹の葉がたくさん落ちます。

朝外に出てみると、地面が見えないほどびっしりと落ち葉が敷き詰められたような状態であります。

これはこれで風情のある景色だと思いますが、寺としてはすぐに掃除をしないといけません。

とても修行僧だけではたいへんだと思って、私も竹箒をもって掃除にでました。

はだしになると気持ちよさそうだと思って私ははだしで庭掃除をしていました。

たしかに修行道場の中は土が多いので気持ちいいものです。

しかし本山の境内は、舗装された参道ですので、こちらは足の裏が痛くなります。

自然のものはやわらかく、人工のものは硬くて痛いと実感します。

靴を履いたり、草履を履いていると分からない感覚であります。

この頃は、竹箒で掃くだけではなく、ブロワーという機械も使うようになっています。

ただあの機械は少々うるさいものです。

私は掃除の時には時間など全く気にせずに掃いていました。

あとで分かったことですが、どうも朝の暁天坐禅の時間にもかかっていたようでした。

円覚寺では毎朝午前六時から七時まで佛殿で暁天坐禅を行っています。

土曜や日曜の朝は大勢の方が坐禅をしています。

ですから七時の坐禅が終わるまではなるだけ静かにするように注意をしていたものです。

特に佛殿周辺は、あとからするように心がけていたものでした。

ところが先日は、まだ坐禅をしている最中でしたが、ブロワーで大きな音をたてていたようです。

佛殿の周りも平気で掃除をしていたようでした。

朝早くから坐禅なさっている方にはご迷惑だったと思います。

こういうときには少し相手を思いやることが必要であります。

修行僧にしてみれば、八時半に開門で、大勢の方が日曜説教に見えるのでその前に落ち葉を掃いておかないといけないという思いでしょう。

その思いばかりが強くて坐禅している人のことは眼中にもなかったのでしょう。

ひとつのことに打ち込むことはよいことですが、周りが全く見えなくなるのは困ります。

もっとも先代の管長の頃には、朝落ち葉が多いと、こんな時にはのんびり坐禅している時ではないと言って、坐禅に来た人たちにも坐禅をやめさせて掃除をさせていたものでした。

先代の管長にしてみれば、掃除も坐禅だということでした。

ところが、今はそんな理論は通じません。

そんなことをしようものなら、自分たちは坐禅に来たので、掃除に来たのではないと怒られてしまいます。

ちょうどその日の日曜説教では、坐禅して回りのことが気になるのをどうしたらよいかという問題を取り上げていました。

周りのことが気になるのは大事なはたらきだと申し上げたのでした。

おそらくその日の朝、佛殿で坐禅していた方にしてみれば、せっかく日曜の朝早く起きて円覚寺に来たのに、ブロワーの騒音に邪魔されたという思いでありましょう。

そういう場合にも、今日は本山の日曜説教で、みんなが見える前に、掃除しようと若い修行僧が頑張っているのだと思うと、あまりうるさく感じなくなるものです。

少しは騒音も和らぐものです。

それから、盤珪禅師の鏡の譬えを用いて、心は鏡のようなもので、どんなものが映っても鏡は汚れもしないという話をしました。

どんな騒音が鏡に映ったとしても鏡は少しもうるさくはならないのです。

そして最後に、周りでどんな音がしても鏡に映る映像のようなものだと思って坐禅してくださいと申し上げて終わるつもりでした。

ところが、その日は、本山で午後から行事を入れていて坐禅は無しになっていたのでした。

まわりを気にしないで坐禅するどころか、その坐禅すらなくなってしまいました。

そこで急遽、その坐禅会がなくなっても鏡の映像が消えただけで本体はなにもないのですと話を変えたのでした。

温度差であります。

日曜の朝早く円覚寺にいって法話を聞いて坐禅しようという思いの方と、円覚寺の事務方では、早く行事の支度をしなければと思っているのでしょう。

お寺の方もまた、大事な行事ですので、しっかりと支度しなければと思ってくれているのです。

これもまた温度差であります。

坐禅と共に写経も行っていますが、静かに写経したいと思っていますし、中には亡くなった身内のために写経したいという方もいらっしゃいました。

残念がって帰られる方には申し訳ない思いでありましたが、それぞれの事情があってのことで、致し方のないことでありました。

思えば朝比奈老師の頃には日曜説教などは、朝比奈老師の信者の方々が仏心会という会を作って全て運営されていました。

坐禅の会も仏心会の方が行っていて、和尚さんは関わっていなかったのでした。

おそらく朝比奈老師の頃も、土曜や日曜は忙しいというお寺の方の事情と、老師の信者の方とで温度差があったのだと察します。

温度差というのは簡単に解消されるものではありません。

それぞれの立場があるのですから、まずはお互いに理解し合うことが大事になってきます。

 
横田南嶺

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