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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.05.15
今日の言葉

仏心で眠る

イス坐禅の折の質問に、「イス坐禅を日常に取り入れていますが、10分くらいすると眠気に襲われるのですが、睡魔に対処するにはどうしたらいいか」というのがありました。

その方は毎日10分程度ストレッチをしてからイス坐禅をなさっているそうなのです。

これは素晴らしいし、有り難いことであります。

しかしながら、この眠気と坐禅の問題はとても難しいものです。

その折りには、申し上げましたのは、

「まずは、よく眠りましょう」ということでした。

天台小止観には、調五事といって、食事と睡眠と姿勢と呼吸と心の五つを調えることが説かれています。

一般に坐禅というと、体と呼吸と心を調えると説かれています。

その通りではありますが、天台小止観には、その前提として食事と睡眠を調えることが説かれています。

食事と睡眠はとても大切であります。

食事については、多くは食べ過ぎの傾向が強いかと思います。

これは太古の頃からの習性が残っているのだとも言われます。

狩猟採集の生活を送っていた頃には、いつも安定した食糧が手に入るとは限りません。

そのため、食べ物があるときに多めに食べておいて、からだには脂肪として蓄えておくという能力がありました。

その名残が現代の私たちにも残っており、多めに食べてしまうという説があります。

そんな頃の影響なのか、私たちは食べ物でも甘いものや脂っこいものを好む傾向があります。

甘いものや油のものを食べると快感を感じるようになっています。

もともとは、これなども生き延びるために必要な食べ物を覚えるようにという脳のはたらきと言えましょう。

しかしながら、時代は変わりました。

今では食べ物がいつでも、安く、そして大量に手に入れることができます。

いつでも食べられるというようになりました。

それに食欲を刺激する広告が絶えず眼に触れるようになりました。

またストレスなどを、食べることでなんとかしようという傾向もあります。

というように、本来は生き残るために役立った人類の性質が、現代において食べ過ぎという現象を引き起こしていると言えます。

そういう現代に生きるには、食べ過ぎないように、腹八分とか、少なめにという習慣をつけるしかありません。

特に坐禅などの前には満腹はあまりよくないのです。

それに何を食べるかも大事であります。

土地の物や、旬の物をいただくのはまず間違いありません。

それから睡眠であります。

日本人の睡眠時間は他国に比べても少ないとはよく言われることであります。

これにはいろんな要素があると思います。

長時間はたらく精神も日本人には強くあります。

「残業は当たり前」「仕事第一」という価値観がありました。

いまはかなり変わっているとは思いますものの、まだ影響はあると察します。

私なども、高校生の頃は、「四当五落」という言葉がありました。

四時間睡眠で勉強していると合格するけれども五時間も寝ているようでは駄目だという意味でした。

一九七〇年代から八〇年代に言われたものです。

いまでは、睡眠不足は学習効率を下げるものですし、記憶の定着には睡眠が不可欠という科学的知見も広まって、こんな言葉は使わないと思います。

それでも睡眠時間は少ない傾向があります。

また現代では、インターネットやスマートフォンの使用によって、夜遅くまで起きていることが多くなっていると察します。

そこで総じて睡眠不足が多いと思うのであります。

そんなことを前提にしておいて、坐っていると睡魔が襲うという方にはまずよく寝ましょうと申し上げたのでした。

一口に坐禅といってもいろいろあろうかと思います。

私が今イス坐禅で行っているのは、主に日常で緊張して疲れている体をほぐして、リラックスしてもらうことに重点を置いています。

副交感神経を優位にする方法であります。

ですから体がほぐれて緊張が緩んで眠くなるのは当然なのです。

睡眠不足が原因であれば、そのまま少し睡眠をとるのもひとつの方法です。

少し眠ればまた眼がさめてすっきりして集中できるようになります。

ただ私たちの専門の修行ではリラックスだけではいけません。

気力を充実させて精神を集中させる訓練をします。

そのためには眠気も克服しないといけません。

それには睡魔が襲うと、カッと眼を開いてみるとか、心を下腹ではなく、上の方に置いてみるとかいろんな工夫があります。

それでも眠いと、外を歩いて眼を醒ますとか、顔を洗ってみることなどもあります。

私なども修行時代にはよく眠ってしまい、そのたびに警策という棒で叩かれたものでした。

特に修行道場の生活に慣れないころには、体力がついてゆかないので、よく叩かれたものです。

それでも何年も経って修行道場の暮らしにもすっかり慣れてくると、眠らずに坐ることができるようになってきたものです。

それでも油断すると睡魔は襲ってくるものです。

これも人間の体に必要な機能なのだと思います。

江戸時代の盤珪禅師の頃に、坐禅している時に眠っていると警策で叩くという新しい習慣が明の国から入ってきました。

今でも坐禅というと、警策を持った和尚が回って、居眠りをしたり考え事したりしている人を警策で叩く習慣が残っています。

盤珪禅師はそんなことをすると逆に、叩くお坊さんの方を叱ったのでした。

起きれば仏心で起きていて、眠れば仏心で眠っているので、それを叩くことはないというのです。

寝たからといって仏心が他のものに変わってしまうということはありません。

眠るというはたらきも、不生の仏心の素晴らしいはたらきに他ならないのです。

服を着たり、寝たり起きたり、小便をしたり、それらが全て、仏心の素晴らしいはたらきなのですから、盤珪禅師は仏になろうとするよりも、仏でいる方が近道だと仰せになっています。

もっともこの教えに安住してしまって何の努力もせずに寝てばかりいては困ります。

しかし、睡眠不足ならばまず眠ることです。

眠ることをそんなに敵視しなくてもいいのではないかと思うのであります。

眼が覚めたらしっかり頑張ろうというのが宜しいかと思います。

 
横田南嶺

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