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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.04.28
今日の言葉

御朱印

昨年五月の連休に禅語朱印というのを、やってみました。

私が、御朱印帳に禅語を書いてあげるというものです。

たしか五十名限定で行ったのでした。

それがとても好評でありました。

そもそもは、ホトカミの吉田亮さんのお話を聞いたのがきっかけでした。

御朱印というのも、この頃多くの方がお求めいただいています。

こうして御朱印をいただいてお寺に参りするというのもひとつのご縁になります。

昨年の五月十日と十一日のYouTubeラジオ管長日記で語っています。

この御朱印を書いている間に、会話ができるのも楽しいものです。

なかには毎日のYouTubeラジオ管長日記を楽しみにしていますとおっしゃってくださることもあります。

そう言っていただけると嬉しくなるものです。

昨年は、「日日是れ好日」「無事是れ貴人」「至誠息むこと無し」の三種類の禅語を書いていました。

それぞれに簡単な解説書をつけておきました。

その一部だけを紹介しますと、

「日日是れ好日」の場合、

「中国宋代に編纂された禅書『碧巌録』にある言葉です。

雲門禅師が或る日、修行僧達に問いました。

「十五日以前の事はしばらくおくとして、十五日以後、どのような心境で送るのか、一句を持ってこい」と。その日がちょうど十五日だったのかもしれません。

要するに、もう過ぎた日のことは問うまい、これからの一日一日をどう過ごすつもりであるかを問うたのです。

残念ながら修行僧達に答えられる者はいなくて、雲門禅師は自ら「日日是れ好日」と答えられました。

どの日もどの日も、よい日であるといっても、よい日とは決して自分にとって都合の良い日という意味ではないでしょう。

もう二度と来ることはない、かけがえのない一日であることはたしかです。」

ということを書いておきました。

「至誠、息(や)むこと無し」には、

「「至誠」とは、この上なく誠実なこと、まごころを表します。

中国の古典『孟子』には「誠は天の道なり。誠を思うは人の道なり。至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」と説かれています。

平易に訳してみますと「天地万物にあまねく貫いているのが誠であり、天の道である。

この誠に背かないようにつとめるのが人の道である。

まごころをもって対すればどんな人でも感動させないということはない」となります。

まごころをもって接すれば、どんな人でも動かせる力があるということです。」

と書いていました。

「無事是れ貴人」には、

「よく似た言葉に「無事是れ名馬」というのもあります。

これは競走馬で、無事に怪我無く走り終えるのが一番だという意味です。

「無事是れ貴人」も無事でいられることが何より貴い事だと受け止められるかもしれません。

皆の無事を祈る、無事こそ誰しも願うものであります。

「無事是れ貴人」はもっと深い意味があります。

実は『臨済録』という、臨済義玄禅師の語録に出てくる禅の言葉です。

臨済禅師は、無事とは何か、求める心が止んだ時が無事であると説かれています。

私たちは常に何かを求めて生きています。

幸せであったり、財産であったり、知識であったり、愛情であったり様々です。

仏道の修行であれば、なによりも仏とは何かと追い求めます。

求める心が止むとは、無理に求めようとしない事ではなく、求めなくても十分に足りていると気がつく事です。

では何が足りているのでしょうか。

臨済禅師は、仏さまとは何か、実に端的に今ここで話を聞いているもの、それこそ仏であると説かれています。

聞いているものは何か、生きていればこそ、いのちあればこそ、聞くことができます。

このいのちをいただいている、これ以上貴いことは無いと気がつくことこそ、無事です。

気がついた人こそ貴人です。」

と書いています。

今年もまた新たな禅語を解説書と共に用意しようと思っています。

五月三日の午後一時からと、五日の午後一時からであります。

なかなかふだん多くの方にお目にかかることは難しいのですが、こんな折りに、少しでもお話できれば幸いであります。

それからついでにもうひつつ宣伝させていただきます。

五月の二十五日に花園大学で、大学の歴史博物館館長である佐々木丞平先生と対談をさせていただきます。

佐々木先生は一九四一年兵庫県のお生まれで、京都大学文学部哲学科を卒業し、同大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程を修了されています。

円山応挙の研究をなされて、京都大学教授となり、定年退任した後に京都国立博物館長を2021年3月末日までお勤めになった方であります。

そんな素晴らしい先生が、なんと花園大学の歴史博物館の館長に、昨年六月ご就任いただいたのでした。

大学のホームページには、「花園大学にて花園大学創立記念特別対談として、横田南嶺総長と花園大学歴史博物館長佐々木丞平先生による対談「日本の絵画にみる禅のこころ」を開催いたします。」

と案内されています。

佐々木先生という素晴らしい方が歴史博物館の館長となられたと聞いて、一度ご挨拶をしなければと思っていたのですが、なかなか私が大学に行く日が限られていますので、お目にかかることができずにいたのですが、昨年佐々木先生の方からご挨拶をいただいて恐縮したのでした。

その後、この対談についても打ち合わせをさせてもらいました。

佐々木先生は円山応挙を研究なされて多年京都大学の教授をおつとめになり、そして京都国立博物館の館長もなされたという経験をお持ちですので、もっぱら私が聞き手となっていろんな話をうかがいたいと思っています。

円山応挙といえば有名です。

禅との関係でいうと、池大雅が知られています。

円山応挙よりは十歳の年長であります。

この池大雅は、白隠禅師にも参禅されたと言われています。

白隠禅師の年譜をみても、寛延二年一七四九年、池大雅が二十七歳の時に白隠禅師のもとを訪れて、「達磨見梁武帝図」を描くと記述されています。

『近世畸人伝 』という書物には白隠禅師に参禅して隻手の声を聞き得たとも書かれています。

また応挙の弟子に長沢蘆雪という画家がいます。

蘆雪は、和歌山県串本町の無量寺に滞在して大きなふすま絵を描き残しています。

蘆雪は、「魚」印を用いた判を用いていました。

枠に入った「魚」字の大印は芦雪の特徴でもあります。

芦雪が四十歳を迎える頃の作品からは、この「魚」のはんこの右肩部分を欠失しています。

このことについても諸説あるようです。

池大雅や円山応挙、長沢蘆雪などについて、いろいろ佐々木先生におうかがいしたいと思っています。

大学創立記念日の、総長対談は、大学創立百五十周年を記念して、二〇二二年にソフトバンク社長の宮川潤一さんと対談したのが始まりでした。

その後、佐々木閑先生と対談し、昨年は栗山英樹さんにお越しいただいて対談したのでした。

今回で四回目となります。

出会いからはいろんなことを学べます。

楽しみにしています。

 
横田南嶺

御朱印

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