晴れ着
うれしい気持ちになると同時に、なにか引き締まった気持ちにもなるものです。
きちんとしなければいけないと感じるのであります。
かつて「晴れの日は覚悟の時」という文章を書いたことがありました。
もう今から三年前の成人式について書いたものです。
晴れというのは、単にお天気がよいという意味だけでなく、
表向き。正式。おおやけ。公衆の前。ひとなか。
晴れ着。また、それを着たさま。
などの意味もあります。
おおやけという意味の用例として、「晴れの場所」という言葉があって、「晴れ」の反対は「褻」であると書かれていました。
晴れの日とは、単に天気の良い日ということではなく、多くの人から祝福される儀式などを行う日なのであります。
そんな時に着るのが晴れ着であります。
この頃は、晴れと褻の差がうすくなっていると言われることがあります。
晴れ着も少なくなっているように感じます。
お正月などは特に感じます。
普段着のままで正月を迎えることもよくあるように感じます。
正月には男性でも和服を着て晴れ着でお参りするという方も少ないように思います。
先日は朝の始発の新幹線で京都に行って花園大学の卒業式に出てきました。
この頃は新幹線も「のぞみ」よりも「ひかり」を利用することが増えています。
多少停車する駅が増えますが、それほど時間が変わるわけでもなく、なにか「のぞみ」よりもゆったりとした雰囲気があって落ち着くのであります。
始発の「ひかり」で出かけたのでした。
京都駅で山陰線に乗り換えて「円町」でおります。
「円町」から大学まで歩いていると、少し雨が降り始めていました。
雨にならなければいいと思いながら正門から入りました。
門の入り口には、紅白の幕が張られています。
こういうことでも今日は「晴れの日」だと感じることができます。
晴れ着を着た卒業生たちが登校し始めていました。
総長室で、学長や学園の理事長などと打ち合わせ、また新任の職員さんなどの挨拶を受けて時間まで待っていました。
総長室を出ようとすると、職員の方が傘を手にして待ってくれています。
「雨になりましたか」と聞くと、少し悲しそうなお顔で「ええ、雨です」と答えてくれました。
その日は冷たい小雨の降る日となりました。
卒業式には、晴れ着を着た卒業生たちが集まっていました。
外は雨ながらも晴れ晴れとした気持ちになります。
大学の卒業式では、まず三帰依文が唱えられる中を総長である私が、皆を代表して仏様の前に焼香して三拝をします。
もう総長に就任して八年、こういう儀式にも慣れてきました。
はじめは、何百人もの人の前で三拝するだけでも緊張したものです。
そして学長によって卒業生に学位記が授与されます。
引き続いて学長が式辞を述べられます。
学長ももちろん正装であります。
まず花園大学は明治5(1872)年妙心寺山内に「般若林」が創建されたことにより始まったという、大学の起こりから話を始めていました。
実に長い歴史のある大学なのであります。
そして建学の精神に触れていました。
「本学の建学の精神は「禅的仏教精神による人格の陶冶」です。その目的は臨済宗の宗祖である臨済禅師が「随処に主と作れば、立処皆な真なり」と言われるように、どの様な状況であっても主体的に行動できる、自立性・自律性を養成することです。」
ということです。
格調高い式辞が述べられていって、最後には学ぶことと書くことを勧められていました。
文章を書くことによって、自分の考えをまとめることができます。
思考することになるのです。
私は、はじめにお祝いをしてもらう時というのは新たな覚悟をする時でもあるということから話を始めました。
人生には幾たびか晴れ着を着てお祝いをしてもらう日があります。
その日はおめでとうとお祝いをしてくれて嬉しい日でありますが、覚悟をする日でもあると伝えました。
入学式でおめでとうとお祝いをしてくれますが、その日はこれから学ぶぞという覚悟を決める日でもあります。
成人式もお祝いをしてくれる目出度い日でありますが、成人として自覚して生きなければならないと覚悟する日でもあるのです。
卒業の日は、学業を終えたお祝いの日であると同時に、これから新たに社会に旅立っていく始まりの日であり、その覚悟の日でもあるのです。
そのあとに私が中学生の頃に松原泰道先生に出会った話をして
花が咲いている
精一杯咲いている
私たちも
精一杯生きよう
という言葉をいただいたことを伝えました。
「花は与えられた場所で黙って咲き黙って散ってゆきます。
その花を見て何を感じるかが大事だと教わりました。
その咲く花の姿から、あの花はあの場所で精一杯咲いていると見るのです。その花の姿から学ぶのです。
皆さんもこれからそれぞれの場所で花を咲かせてほしいと願います。
花を咲かせるには何が必要でしょうか。
まず根を張ることが大事です。
しっかりと大地に根を張ることです。
それは各自の教養や修養を積んでおくことであります。
そして常に明るい方に向かって芽を出して伸ばすことです。
少しでも日の当たる方へ明るい方へと歩を進めてください。
そして多くのご縁の力をいただくことです。
花は、お日様の光、水、空気、大地の養分、風、季節の温度、数え切れない多くのご縁をいただいてこそ、咲くことができます。
小学校以来、学校に行って学ぶということはこれで一区切りになりますが、どこに言ってもよく学んで自分自身の根を張ってください。明るい方へと歩んでください、多くの方のご縁を大事にしてください。
そしてそれぞれの場所で自分なりに花を咲かせてほしいと願っています。」
そんなことを伝えました。
自立というのは誰の世話にもならないことではありません。
多くの方のお力をいただいて、おかげで生きているのだと自覚し感謝して生きることであります。
そのあとは、花園学園の理事長の祝辞でありました。
理事長は妙心寺派の総長が務めることになっています。
理事長の祝辞の中で気になった話がありました。
学研ホールディングスの調査・研究機関である「学研教育総合研究所」の調査の話でした。
小学生から高校生を対象に実施した「小学生・中学生・高校生の日常生活に関する調査」で「頑張れば夢を叶えられる」と信じているかという問いに対する答えであります。
小学生に「頑張れば夢を叶えられると思うか」と聞いたところ、86%が「思う」と回答したそうです。
中学生では77.7%が「思う」と回答。
小学生よりも数字が低くなっています。
高校生にも同様に聞いたところ、68%が「思う」と回答しているといのです。
小学生から中学生、高校生と86%から77%、そして68%と下がっているのです。
理事長は、この調査では高校生までですが、大学生になるともっと下がっているのではないかと話されていました。
そこで理事長はやはり夢をもってほしいと話を進められていました。
最後には大学の歌を歌うのですが、これも八年も通っているといつの間にか暗唱してることに気がつきました。
晴れ着を着た若者の姿を見ながら、それぞれどんな夢を持っているのかなと想像していました。
それぞれの夢をかなえ、花を咲かせてほしいと願いながら、その日は卒業式を終えて鎌倉に戻っていました。
横田南嶺