涅槃会
お釈迦様がお亡くなりになった日であります。
岩波書店の『仏教辞典』には、
「涅槃会<涅槃講><涅槃忌>ともいう。
2月15日、釈尊の入滅の日にわが国と中国で行われる追悼報恩の法会。
涅槃とは、本来はニルヴァーナのことで、迷いのなくなった境地を指すが、この場合は釈尊のなくなった意味に用いられている。
実際は、釈尊入滅の月日は不明であるが、パーリ仏教ではヴァイシャーカ月の満月の日とされている。
ヴァイシャーカ月とはインド暦によると第2の月なので、中国・日本では<2月15日>と定めたのである。
涅槃図を掲げ、仏遺教経を誦する。」
と解説されています。
涅槃は元来「煩悩(ぼんのう)の火が吹き消された状態の安らぎ、悟りの境地」を表す言葉です。
「涅槃とは何か。煩悩の根本といわれる貪欲の滅、瞋恚(怒り)の滅、愚癡の滅をいう」〔相応部-38-4〕のであります。
三毒を止滅した状態が涅槃です。」
また、生命の火が吹き消されたということで、入滅のことも涅槃と言うのです。
この違いを無余涅槃と有余涅槃という言葉で表します。
無余涅槃というのは、「釈尊の入滅はまた、生存中に涅槃を得た者が肉体などの生存の制約から完全に離れたこと」を意味します。
これに対して、すべての煩悩を断ち切ってはいてもなお身体のけがれを残している場合を、有余涅槃と言います。
お釈迦様の場合、三十五歳で悟りをお開きになってもまだ身体があるうちには有余涅槃なのです。
完全に身体がなくなってしまうと、無余涅槃に入ったということになるのです。
大乗仏教では「無住処涅槃」というのも説かれるようになりました。
これは『仏教辞典』によれば、
「生死の世界にとどまることなく、かといって涅槃の世界にも入らない状態、すなわち生死煩悩の迷いの世界にも悟りの世界にもとどまらない涅槃のことをいう」のです。
「あらゆる人びとを救うためには、自らが悟りの境地に入っていては救うことができない、といって煩悩に捉われていても救うことができない、自らは悟りの境地を体験しつつもその世界にとどまらず、悩み多い人びとの住む生死界にあって活動することこそ菩薩の行である、という大乗仏教思想の展開」なのであります。
涅槃という完全に煩悩の死滅した境涯にとどまらずに、更に人を救うために迷いの世界にあって活動してゆくのであります。
お釈迦様は、パーヴァーという村に赴き鍛冶工のチュンダの供養を受けて下痢を起こし病に苦しまれるのです。
その時にお釈迦様がチュンダになされた説法が、
「疑いを超え、苦悩を離れ、安らぎ(ニルヴァーナ)を楽しみ、貪る執念をもたず、神々と世間とを導く人、そのような人を〈道による勝者〉であると目ざめた人々は説く。
この世で最高のものを最高のものであると知り、ここで法を説き判別する人、疑いを絶ち欲念に動かされない聖者を、修行者たちのうちで第二の〈道を説く者〉と呼ぶ。
みごとに説かれた〈理法にかなったことば〉である〈道〉に生き、みずから制し、落ち着いて気をつけていて、とがのないことばを奉じている人を、修行者たちのうちで第三の〈道によって生きる者〉と呼ぶ。
よく誓戒を守っているふりをして、ずうずうしくて、 家門を汚し、傲慢で、いつわりをたくらみ、自制心なく、おしゃべりで、しかも、まじめそうにふるまう者、 ―かれは〈道を汚す者〉である。」
というものです。
「道による勝者」「道を説く者」「道によって生きる者」「道を汚す者」の四つに分けられています。
道を汚す者とはならないように、道によって生きる人でありたいと願うところです。
お釈迦様がそのあと、阿難尊者に伝えた言葉が残されています。
少々長いのですが、中村元先生の『ゴータマ・ブッダ下』にある言葉を引用します。
「「だれかが、鍛冶工の子チュンダに後悔の念をおこさせるかもしれない、〈友、チュンダよ。修行完成者はおまえのさしあげた最後のご供養の食物を食べてお亡くなりになったのだから、おまえには利益がなく、おまえには功徳がない〉といって。
アーナンダよ。鍛冶工の子チュンダの後悔の念は、このようにいってとり除かれねばならぬ。
《友よ。修行完成者は最後のご供養の食物を食べてお亡くなりになったのだから、おまえには利益があり、大いに功徳がある。友、チュンダよ。このことを、わたしは尊師からまのあたり聞き、うけたまわった、この二つの供養の食物は、まさにひとしいみのり、まさにひとしい果報があり、他の供養の食物よりもはるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる功徳がある。
その二つとはなにであるか? 修行完成者が供養の食物を食べて無上の完全なさとりを達成したのと、および、[このたびの〕供養の食物を食べて、煩悩の残りのないニルヴァーナの境地に入られたのとである。
この二つの供養の食物は、まさにひとしいみのり、まさにひとしい果報があり、他の供養の食物よりもはるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる功徳がある。
鍛冶工の子である若き人チュンダは寿命をのばす業を積んだ。
鍛冶工の子である若き人チュンダは容色をます業を積んだ。
鍛冶工の子である若き人チュンダは幸福をます業を積んだ。
鍛冶工の子である若き人チュンダは名声をます業を積んだ。
鍛冶工の子である若き人チュンダは天に生まれる業を積んだ。
鍛冶工の子である若き人チュンダは勢力を獲得する業を積んだ。
アーナンダよ。鍛冶工の子チュンダの後悔の念は、このようにいってとり除かれねばならぬ」と。」
というのであります。
スジャーターの供養とチュンダの供養は等しいというのです。
これはまさにスジャーターの供養によってお釈迦様は有余涅槃に入られたのであり、チュンダの供養によって無余涅槃に入ることができたからなのです。
そしてお釈迦様はクシナガラに向かわれます。
ヒラニヤヴァティー河の彼岸にあるクシナーラーで阿難尊者に頼まれました。
「さあ、アーナンダよ。わたくしのために、二本並んだサーラ樹(沙羅双樹)のあいだに、頭を北に向けて床を用意してくれ。アーナンダよ。わたくしは疲れた。横になりたい」というのです。
そうして最期をお迎えになるのでした。
本日午前十時から円覚寺の佛殿で涅槃会の法要が行われます。
横田南嶺