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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.03.28
今日の言葉

足で地面を押して立つ

坐禅の修行を始めた頃に、当時参禅していた老師から「一歩一歩、足の指先が畳にめり込むように歩け」とか、「公案を頭で考えてはいけない、足の裏で工夫しろ」とか、「足の裏で呼吸するように」と言われたものでした。

私たちが立つには、足の裏で地面を押して立っているのです。

これは自明の理なのですが、なかなか実感している人は少ないと思います。

足で地面を押すというと、『維摩経』の言葉を思いおこします。

お釈迦様が宝積長者に、

「されば宝積よ、浄い仏の国が得たいと思うならば、その心を浄うするがよい。心が浄いならば、その居る国も浄い」

と説かれました。

原文は「其の心の淨きに随って則ち佛土淨し」です。

大法輪閣の『仏教聖典』には更に次のように続いています。

「この時舎利弗は心に思う。「もし心が浄ければ、その国も浄いというのならば、世尊が嘗て道を求められた時に、よもや汚れた心を起こされたのではあるまいに、この世はどうしてこのように汚れているのであろう」」

というのです。

それに対して世尊は、

「人人はその罪によって仏の国の浄さを見ることができぬのである、

この世は浄い、しかし汝にはそれが見えないまでである」と仰せになっています。

更に「この時、座にあった一人の婆羅門が云う。

「尊者舎利弗よ、この世界は決して汚れてはいない、神神の宮殿のように澄渡っている」。

舎利弗。「私はそうは見ぬ、この世界は丘や山や、砂礫や、坑や、荊棘等の醜い穢れたものに満ちている」

婆羅門。「それは汝が仏の智慧によらず、心に高低の見をもっているからである、菩薩はすべての人人に対て、平等の浄い心を抱いておるから、この国も亦浄らかに映るのである」。

この時、世尊、御足をあげて大地を指し給うと、忽ち世界は一変して広広と光輝き、人人はいつの間にか、皆宝で鏤めた蓮華の座にその身を見出して、驚きの眼をみはった。

世尊。「舎利弗よ、汝はこの世界をいかに見る」。

舎利弗。「世尊、私はこのような浄く美しい世界をこれまで見たことはありません」。

世尊。「私の国はいつもこのように浄い、しかし心の劣っている人人には、悪と汚とに満ちた世界としか見えない、故に舎利弗よ、人人が皆、私の説法によって心を浄めて見直したように、もし心を浄めて見直したならば、いつもこのように光り輝く世界を見ることが出来るのである」。」

と続いています。

「世尊、御足をあげて大地を指し給う」というところは、原文には「佛、足の指を以て地を按ず」と書かれています。

「按」にはおさえるという意味があります。

足の指で地面をおさえると、「忽ち世界は一変して広広と光輝き、人人はいつの間にか、皆宝で鏤めた蓮華の座にその身を見出して、驚きの眼をみはった」というところが実に興味深いものです。

先日も西園美彌先生にお越しいただいて足の指について講座を受けていました。

西園先生には、二〇二〇年の一月からお世話になっていますので、かれこれもう二年ご指導をいただいています。

西園先生との出会いによっても大きな変化がありました。

まず膝の痛みが全くなくなりました。

その前までは少し膝に違和感を感じていたのですが、足の指を調えることによって、膝に問題がなくなったのでした。

ちょうど足の裏、足の指に注目していた頃に、西園先生とのご縁があったのでした。

それから二年、いろいろと教わってきました。

おかげで随分と足が調ってきました。

内心、もうそんなに驚くほどの変化はないだろうと思っていたのでした。

しかしながら、先日二ヶ月ぶりに講座を受けて、大きな変化がありました。

そして感動でありました。

今回はくるぶしに注目して三時間講座を行って下さいました。

ちょうどその前日に井上欣也さんから足の指を開くには、くるぶしから開くように意識するとよいと教わったところでした。

また私自身もこの頃、足の距骨に注目して研究していたところなので、くるぶしと聞いて、不思議なご縁を感じました。

くるぶしとは、足首の内側と外側にある丸みのある突起です。

足首には、脛骨(すねの骨)、腓骨(すねの外側の骨)、距骨(かかとのすぐ上にある骨)の三つの骨があります。

これらがつながることで足関節となり、立つ、歩く、走るなどの足の機能に大きく関わっているのです。

内くるぶしは、脛骨の末端、外側のは腓骨の末端にあたります。

西園先生も距骨の大切さには注目されているそうですが、距骨というのは一般の方には伝わりにくいので、くるぶしの方が伝わりやすいのだと仰っていました。

先日は藤田一照さんもお見えになって一緒に学びました。

まず内くるぶしと外くるぶしとは同じ高さになっていないといけないと言われて、一照さんも私も内くるぶしと外くるぶしとの高さがかなりずれていることの気がつきました。

それからいつものように足指のトレーニングを行って、くるぶしから足首を回すように何度も講習を受けていました。

それから顔の蝶形骨もくるぶしに関わるのだと聞いて驚きました。

そんなことを繰り返して習って、くるぶしの高さが揃うように調整して立つと、なんと立つ感覚がはっきりしました。

足の裏の拇指球、小指球、踵の三点でしっかり地面を押しているのがはっきりと分かるのでした。

まさに足で地面を押して立ち上がっているのが実感できたのでした。

今までは足で地面を踏んで立っていたつもりでいただけで、足で地面を押して立っていなかったと気がつきました。

足の裏、足の指、足首、どれも奥深いものです。

まだまだ分かっていないことだらけなのだと実感しました。

ともあれ、今回も大発見と感動なのでありました。

 
横田南嶺

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