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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.12.13
今日の言葉

戒がなければ禅はない

禅文化研究所発行の『明治の禅匠』には、十五名の禅僧や居士のことが書かれていますが、南天棒こと中原鄧州老師のことも書かれています。

その中には春見文勝老師が「鄧州全忠 南天棒老師をたたえる」と題して書かれています。

そのはじめにある言葉を引用します。

「豪僧、南天棒老師ゆいて五十年。

「道得るも南天棒、道不得るも南天棒、肚を作れ、人を作れ」が座右銘であり、遺偈でもあった。

常に南天の一棒を引き担ぎ、東奔西走、夜汽車の赤切符で(三等より乗らず)夜昼かまわず、「坐禅!坐禅!」と獅子吼し、八十七年の生涯を衆生無辺誓願度」と働き通し、すっかり燃え尽くして坐脱した。

まことに法喜禅悦の妙味あふれる素晴らしい巨匠であった。」

というものです。

簡潔にして南天棒老師の人となりをよく表しています。

「南天棒」というのは、あだ名のようなもので、正式には中原鄧州。諱は全忠です。室号は白崖窟であります。

天保十年(1839)にお生まれで、大正十四年(1925)にお亡くなりになっています。

佐賀県に生まれて、十一歳のとき平戸の雄香寺で出家し、諸方の道場で修行して梅林寺の羅山禅師から印可を受けられました。

徳山の大成寺、松島瑞巌寺、西宮の海清寺などに住されました。

どうして「南天棒」と呼ばれるようになったのかというと、『明治の禅匠』には次のように書かれています。

「この南天棒じゃが、老師曰く。

ワシも子供の頃は、孝次郎と呼ばれたほど孝行者じゃった。
ワシの生国は唐津の十人町で、天保十年(一八三九)四月三日に、小笠原藩士塩田寿兵衛の伜として生まれた。

七歳で母を失ってから毎日一人ぼっちで墓参りするうちに、出家になって母の菩提を弔いたいと思うようになり、十一歳で平戸の雄香寺で得度を受けたんだ。

その時もらった僧名が中原鄧州サ。

羅山から印可のとき、白崖窟という室号をもらい、白崖窟鄧州全忠だ。

ワシが三十五歳のとき九州巡廻中、宮崎と大分の国境の百姓家の牛小屋のすみから、ニョコリッと太い南天が出ておるじゃないか。

飛び付くほどほしくなった。あれで竹箆(警棒)を作り、本当の人間を打ち出したい。

しゃにむにほしくなって、そこの主人に手を合わせて一心に頼み込むと、先祖の植えた家宝で、惜しそうだったが心よく差し上げましょう、と言ってくれ本当に嬉しかった。

心経三巻読んで「われ、二百年の寿を保つ汝に、大慈悲底をなす。汝の大死一番を活用せずんばおかじ」と引導して、切り出してかついでくると、同行の二人が口をそろえて「南天棒、南天棒」と呼んだのが、渾名のはじまりだ。」

というのであります。

春見文勝老師が、この南天棒老師の追憶を書かれていますが、これはもともと昭和四十九年三月発行の季刊誌『禅文化』に書かれたものです。

昭和四十九年というと、一九七四年であり、南天棒老師がお亡くなりになって四十九年経った時です。

四十九年で五十回忌を営むのであります。

来年は更に五十年が経って南天棒老師の百回忌となります。

それで、ただいま禅文化研究所では、南天棒老師を見直そうといろいろの企画を進めているところです。

そこで、私も今一度南天棒老師について学び直しています。

この老師はなんと修行時代に、二十四名の老師について参禅しておられるというのです。

『南天棒禅話』にその老師方の名前が書かれています。

さらに老師は、明治二十六年宗匠検定法というものを作って、天下の老師方の公案の修行について、再点検すると言われたのでした。

しかし、この検定法は功を奏さなかったようであります。

春見文勝老師が「豪僧」と評されているとおり、豪快な方だったことがわかります。

その一面で、『南天棒禅話』には、こんなことをも書かれています。

「『大乗盛んなるは法滅尽の徴』

これは天台大師の語じゃ。 如浄や道元さんも、天台の書は読めと仰せられた。なかなかよい誡めじゃ。

今時、小乗宗はない。法相三論の権大乗も形ばかりじゃ。多くは極大乗で、一超直入如来地の禅や、一弾指の間に極楽往生ができる真宗、さては娑婆即寂光の日蓮、阿字本不生・即身成仏の真言など、都合よくはできておるが、空腹高心では体が動かぬ。

腹が減っては戦ができぬ。

旅費がなければ心は矢竹に早れども行くに行かれぬ十万億土。

夢ならば早く覚めよかし。

学んで思わざれば固く思うて学ばざれば殆し。

希望熱ばかり高くなって、実地の経験がない。

さあ最後の戦いとなると、敵にも多くの伏兵がある。
総退却の止むを得ざるに出でねばならぬ。

もはや援軍も求むるに由なし。重囲に陥りて軍門に肉担せねばならぬ。

地獄の捕虜とならねばならぬ。」

と厳しいご指摘をなされています。

「とかくに大乗の法門は、いうことは高尚(けだか)いが、希望熱にうかされて戒律を無みする傾きがある。

機の深心の弊であろうが、これを破大乗というじゃ。 」というのであります。

即心即仏とか、この身このままで救われるということが単なる概念に終わってしまう危険性があります。

「禅は仏法中の仏法、宗教中の宗教で、すべての宗教に生命と光明とを与うる本源ではないか。

すべてを大菩提心の大網に包容しようというのがその期するところで、すべて行動もこれに順ぜねばなるまい。

ただ戒の神聖さえ持ってゆかるれば、この難は免るることができる。

戒がなければ禅は一日もないのである。

天台の語を見て猛省一番してもらいたい。

もっとも天台の語にも表裏がある。

『法滅尽経』を仏が説かれたと同じこと、破大乗を警誠されたのだ。」

と説かれているのです。

南天棒を振りかざす豪僧であると同時に、繊細な心をもって戒を大事にしていたこともよく分かります。

「戒がなければ禅はない」とは肝に銘じたいことばです。

戒や禅定という土台がしっかりした上でのご活躍だったのであります。

 
横田南嶺

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