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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.10.28
今日の言葉

善因善果、悪因悪果

修行道場で『無門関』の講義をしていて、第二則百丈野狐の則について皆と話しあっていました。

これは因果の問題を扱っています。

百丈禅師のお寺でいつも禅師がお説法をなさるときに一人の老人が聴講に来ていました。

お説法が終わってみんなが帰ると老人も帰って行きます。

ところがある日のこと、お説法が終わってみんなが引き上げても、この老人だけが残って帰りません。

どうしたことかと思って禅師は、老人に質問をします。

「お前さんあまり見かけないようだが、何処の誰ですか」と。

老人は答えます。「ハイ実は私人間ではありません」と驚くことを言いました。

「昔迦葉仏というお釈迦様より前の仏さまの時代に、この山の住職をしていました。

そのときに一人の修行者が私に質問をしました。

『修行して悟った人も、因果の法則に従いますか』と。

私はそのときにその質問に答えて、修行した者は因果に落ちない、原因結果の法則を超越して従うことはないと答えました。

その答えが間違っていたために五百回も野狐に生まれ変わりました次第です。

そこでこの老人、百丈禅師に対して「どうか一語を賜って、私を狐の身からのがれさせてください」とお願いをして、前に自分が受けたのと同じ質問をします。

「修行して悟りを開いた人も因果の法則に従わなければなりませんか」と。

百丈禅師は答えました。「因果の法則は決してくらますことは出来ない」と。

この禅師の言葉を聞いて、老人は「おかげで私の迷いがはれました。ありがとうございました。」とお礼を表します。

更に老人は「私は既に狐の身を脱してこの山の裏におります。どうか亡くなった僧侶を葬る儀式で私のお葬式をしてください」と頼みます。

百丈禅師はお昼の食事の後に、みんなに「今日はお昼が済んだら、亡くなった僧の葬儀を行う」とおふれを出しました。

みんなは驚きました。今誰も病気をして休んでいる者もいないのに、一体誰の葬儀だろうかと。

さて食事が終わった後、禅師がみんなを連れて山の裏に赴いて、杖で一匹の狐の死体を引っ張り出して火葬にしました。

こんな話なのであります。

これは因果の問題です。

この世は因果の法則で成り立っています。

原因があれば必ず結果が現れます。

また結果のあるところには、必ずその原因がございます。

善因善果、悪因悪果という因果の法則は誰も免れないはずですが、修行して悟りを開けば、因果の法則に落ちないのか、因果を超越することが出来るのかという問いかけに対して、この老人は曽てこの山の住職であったときに、因果に落ちない、原因結果に縛られない、因果を超越出来ると答えました。

ところがこの答えが間違っていたために、五百回も狐に生まれ変わったというのです。

何とも奇妙な話です。ここから誤った禅の教えを野狐禅と呼ぶようになったようです。

仏教では善因善果、悪因悪果という因果応報を説きます。

そうすると必ずあんな悪さをした者がのうのうと暮らしていて、あんないい人がなぜあんな気の毒な病気になるのか、災難に遭わなければならないのかとなど言われます。

孔子のお弟子の顔回は優れた弟子でありながら、貧困のうちに苦労しながらわずか三十歳くらいで亡くなります。

逆に盗人の大親分であった盗跖という人は、春秋時代、魯の人ですが、大泥棒でありながら天寿を全うしました。

中国の歴史家、司馬遷は「天道は是か非か」とその著『史記』で嘆きます。

仏教では古来三世の因果を説いてきました。

因果はくらますことは出来ない、ごまかしはきかないといっても、さて今の原因がいつ現れるのか、それはわかりません。

善悪の原因が今自分の世代で生きている間に結果として現れるものもあれば、次の生で現れるものもあり、

それからずーっと後にいつ現れるかわからないものも有ると説かれています。

それでもどこかで必ず現れるものが因果です。

これを三つに分けて考えています。

一つには順現報受、二つには順次生受、三つには順後次受、この三つです。

一つは、行為をなした報いがその生涯の間に現われる順現報受、二つは、善悪の報いが来世に来る順次生受、三つは善悪の報いが再来世あるいはそれ以後に来る順後次受と言います。

しかし、これは前世や来世という輪廻を信じないと成立しない話です。

修行道場の修行僧たちに質問していても、さすがにお寺の子が多いからか、来生もあると信じている人が多くございました。

なかには自分の前世は虫だったけれども良い行いをしたので、今の自分に生まれ変わったのだという青年僧もいました。

また来世などないという者もいます。

彼らには、悪業の報いが、来世もしくはその次に現れると言われてもピンときません。

しかし、自分の子や孫の時代、次の世代に現れるとしたらどうだろうかというと、これはピンときたようでした。

パナマ文書というのがあります。

これは、パナマの法律事務所モサック・フォンセカによって作成された租税回避行為に関する機密文書だそうです。

1870年代から作成された膨大な記録で、世界の企業や個人が租税回避やマネーロンダリングをしている実態が記されています。

これが2016年5月に情報漏えいをきっかけに公表されたのでした。

有名企業や各国要人、著名人なども含まれていたのでした。

過去の悪業も消えることはないのです。

自分の子や孫の世代に明らかになってくることもあるのです。

坂村真民先生の「あとから来る者のために」という詩は、そういう次世代の方のことを思って良い種を蒔いておこうという詩です。

真民先生の「あとから来る者のために」を紹介します。

 あとから来る者のために

あとから来る者のために
田畑を耕し
種を用意しておくのだ
山を
川を
海を
きれいにしておくのだ
ああ
あとから来る者のために
苦労をし
我慢をし
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる
なにかをしてゆくのだ

因果の道理を昧ますことはできません。

今の行いは、必ず将来に影響が出るものです。

善因善果、悪因悪果であると思って、己の行いを正してゆかないといけません。

 
横田南嶺

善因善果、悪因悪果

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