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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.01.23
今日の言葉

みんなの力で

二十日は、大寒でありました。

大寒は、文字通りの意味ですが、念の為に『広辞苑』を調べてみると、

「①非常に寒いこと。また、その時。

②二十四節気の一つ。太陽の黄経が300度の時で、12月の中(ちゅう)。太陽暦の1月21日頃に当たる。」

と書かれています。

年によって前後しますが、今年は一月二十日が大寒であります。

小寒のはじまりから、大寒の終わりまでを寒中と言います。

今年の小寒が一月六日で、小寒は大寒の前の日までをいいます。

大寒は、立春の前の日までを言います。

そこで寒中というと、一月六日から二月三日までをいうことになります。

寒中見舞いを出したり、武道などでは寒稽古を行うのであります。

修行道場においてもこの大寒から一週間、制末の大摂心を行っています。

例年最も寒い時期の摂心であります。

修行道場にはなんといっても暖房がありませんので、今の時代に暖房のないところで過ごすだけでもたいへんな修行であります。

ちょうど青山老師からお送りいただいた『無量寺便り』には、次のように書かれていました。

「修行は衆力による」という題であります。

「ストーブや暖房器具がゆきとどき、火鉢の炭火で手をあたためるということも、遠い昔の話となった。

この火鉢の火のことで忘れられない澤木老師の言葉がある。

“冷たい火鉢の灰の中に、小さな火種をばらまいたら消えてしまう。

けれども小さな火種でも、まとめておいたら家を焼くほどの力になる。

ちょうどそのように誰しもが一分の道心を持っている。

その一分の道心も冷たい世間にばらまいたら消えてしまうだろう。

だが集まれば大きな力になる。それが僧伽だと。

僧伽とは梵語で、訳して和合衆という複数名詞であることを忘れまい。

お釈迦さまも一人の弱さを、よき友によって頂く精進力を思われたのである。

「修行は衆力による」という言葉のあるゆえんでもある。」

と書かれています。

たしかにその通りです。

一人で、暖房のないところで、一週間坐禅しようとしてもよほど強い願心のある者でないと無理でありましょう。

ひとりひとりは弱くても、集まって修行しようとなると、頑張れるものであります。

同じく青山老師からお送りいただいた『よき師や友は人生の最高の宝』という小冊子には、

「私のような意思の弱い人間は、一日も、半日の坐禅さえもやりきらないのではないかと思う。

そんな私でも大勢の修行僧たちの力を借りれば、一日はおろか、一週間でも、一年でもやらせていただくことができる。

三十一歳で尼僧堂に勤めさせて頂いて今春は九十歳。

一年はおろか六十年に近い歳月を一筋に歩ませて頂けたのは、まさに大衆威神力、同行の善智識によると、修行僧達を拝んでいる。」

と書かれているのであります。

青山老師のようなお方とは比べものにもなりませんが、私なども全く同じ思いであります。

私は南国の和歌山県新宮市の生まれであります。

十八歳まで雪など見たこともありませんでした。

それがこの寒い季節に、皆と暖房のない禅堂で坐禅をするのですから、みんなお力のおかげであります。

修行を始めた頃は、しもやけの体質だったせいか、手も足もあかぎれやしもやけで難渋したものでした。

春になった時には、ホッとしたものでした。

耳などもしもやけで、朽ちるかと思ったほどでしたが、もう三十年以上も同じ暮らしをさせてもらっています。

今はもうすっかり慣れてしまいました。

仏法僧の僧というのは、この集まりのことであります。

仏さまという、私たちを導いてくださる師と、その説かれる真理と、そして教えを共に学ぶ集まりと、この三つが私たちの拠り所なのであります。

青山老師の『よき師や友は人生の最高の宝』には、

「善者に親近すれば霧露の中を行くがごとし。衣を湿らさずといえども、時々に潤うなり」という中国唐代の禅僧潙山霊祐禅師の言葉が示されています。

この言葉は、潙山禅師の潙山警策という文章の中にでてきます。

潙山警策は、佛遺教経、四十二章経と共に『仏祖三経』と呼ばれるものです。

これは「善者に親附すれば、霧露の中を行くが如し、衣を湿おさずといえども、時時に潤有り。悪者に狎習(こうしゅう)すれば悪知見を長ず」という文章です。

青山老師はここを「霧深い中を歩いていると、いつの間にか衣服がしっとりとしめっぽくなる。

いつとはなしというぬれ方は深い。

にわか雨で急にぬれるのと違い、時間をかけてしみじみとしみ通ってゆくというぬれ方である。

この潙山の言葉を取りあげて、道元禅師は「霧の中を行けばおぼえざるに衣しめる。善き人に近づけばおぼえざるに善き人となる」(『正法眼蔵随聞記』)と示され、更に重ねて「善友にはくるしくわびしくとも近づきて行道すべきなり」と示されている。」

と解説されています。

道元禅師の言葉はよく知られています。

良き人のそばにいて、良き仲間と共にいると、自然と良い感化を受けてゆくものです。

修行道場というのは、その中にいるだけで、良い影響がその人に染みわたってゆくものであります。

良き師や良き仲間に恵まれてこそ、歩むことのできる仏道であります。

 
横田南嶺

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