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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.12.29
今日の言葉

足をたたむ

坐禅をするのに、まず「足を組む」と言います。

そして「足の組み方」を教えます。

こんなことは全くあたりまえのように思っていました。

ところが、そんな思いこみが覆されることがありました。

先日ヨガの先生に足の組み方を教わっていて、「足をたたむ」もしくは「足をおりたたむ」ということを習いました。

さて、組むこととたたむことでは、どう違うのでしょうか。

とても興味深く思って、いろいろ調べたり考えてみました。

まず「足を組む」という場合の「組む」は、『広辞苑』で調べてみると、

まず自動詞として、

「①手足などを互いに掛け合わせる。

②互いに体を接触させて戦う。取り組む。組討ちをする。

③事をするために仲間になる。組になる。」

という意味があります。

他動詞では、

「①細長いものを互い違いに重ねたりねじり合わせたりする。織る。編む。

②互い違いにする。交差させる。

③複数のものを規則的に合わせて作る。

④組織する。編成する。「徒党を組む」という場合です。」

このような意味が書かれています。

坐禅の時に足を組むというのは、他動詞の二番の意味でしょう。

互い違いにする、交差させるということです。

『広辞苑』の用例にも「足を組む」「手を組む」と書かれています。

ですから「足を組む」というと、足を互い違いに交差させるということを言います。

確かに坐禅の足の組み方は、結跏趺坐、半跏趺坐といって、足を互い違いに交差させているのであります。

ただ「足を組む」と表現しますと、この交差させることに重点が置かれています。

では「たたむ」というのはどういうことかというと、これもまず『広辞苑』で調べてみると、

他動詞として、

「①折り返して重ねる。

②積み重ねる。折り重ねる。また、平石を道路に敷きつめる。

③(自動詞的に)積み重なる。折り重なる。

④閉じて引き払う。まとめて始末する。

⑤重ねるようにしてつぼます。すぼめる。

⑥いじめつけて、弱らせる。

⑦(結末をつける意から)手ひどく痛めつける。殺す。

⑧表へ出さずにかくす。心の中に秘めておく。」

などの意味が書かれています。

六番から八番まではあまりいい意味ではありません。

足をたたむという時には、

一番の折り返して重ねるという意味で、用例には「着物をたたむ」があります。

または五番の「重ねるようにしてつぼます、すぼめる」という意味で、用例には「傘をたたむ」があります。

たたむという場合は、折り返して重ねるのであります。

「おりたたむ」というと、

「折って重ね合わせ、小さくする」という意味であります。

足を折り返して重ねることが、足を組むということなのであります。

たたむや折りたたむには、折り目正しくたたむことが大切になってきます。

「折目」とは何かというと『広辞苑』には

「①折り畳んだ筋目。折りぎわ。

②機会。ちょうどよい折。

③物事のきまり。けじめ。」

などという意味があります。

折りたたんだ筋目を正しくする必要があるのです。

さらに「折目正しい」という表現も『広辞苑』に載っていました。

これは、

形容詞で「おりめただし」、「折目がきちんとしている。礼儀正しい。」という意味であります。

要するに坐禅をするには、足をきちんと折りたたむことが大切なのであります。

それには折目を正しくする必要があります。

まずは股関節をほぐすことから習いました。

股関節にはたくさんの筋肉がついているそうなのです。

股関節が固いというのは、関節が固いというよりもその関節についている筋肉がこわばってしまっているので、その筋肉をほぐしてゆくと関節もゆるくなって、可動域も広まるのです。

その股関節をほぐす体操を入念に教わりました。

そうして股関節をほぐして、曲げる方向をきちんとしてから膝を曲げないと、膝を無理にねじってしまうことになります。

これが坐禅して膝を痛める要因になってしまいます。

それから悪いことは連動するので、足首もねじってももの上に載せてしまうと、これまた足首を痛めてしまいます。

股関節から折目正しくたたまないと、膝も足首も更には腰までも痛めてしまうことになるのです。

そのような理論を学び、そして実際に股関節をどうしたらほぐして可動域を広げられるかを習うことができました。

私などは、小学生の頃から坐禅してきましたので、坐り慣れていますが、それでもやはり長時間坐ってばかりいますと、股関節の詰まりを感じることがあります。

これを放置しておくと腰の痛みや膝の痛みになってしまいますので、やはり坐ることが長くなると股関節を伸ばす運動をしないといけないと感じるのであります。

修行道場では、こんなことを今まで考えて来ませんでした。

足が痛いのは当たりまえであって、無理矢理にでも足を組ませて辛抱させるようにしていました。

快活は痛処より来たるなどと言ったものです。

苦しみに耐えて耐え抜いてこそ、心地よさが得られるというのです。

たしかにそういう一面もあって、私も何十年もそうしてきました。

しかし、そのような方法ですと、私のように幼い頃から始めて足が慣れているといいのですが、股関節の固い人がいきなり行うと、膝や腰を痛めてしまいます。

それにせっかくの坐禅が単なる苦痛になってしまい、我慢比べになっては残念であります。

スポーツの世界でも「根性論」から、きちんとした方法を教えるように変わっているのであります。

きちんと折目正しく坐れるようになれば、これは苦痛ではありません。

むしろ快適なのであります。

苦痛に耐えることも必要ですが、苦痛だけでは、長続きはしないのであります。

特に坐禅の修行は生涯かけて行うものであります。

修行時代に苦痛ばかり与えてしまうと、修行道場を出てから坐禅をしなくなってしまいます。

かつて藤田一照さんも今の修行道場のやり方では坐禅嫌いを作ってしまうのではないかと懸念されていました。

私も同感しますので、生涯身につく坐禅をしてもらいたい、修行道場を出てからも坐りたくなるような坐禅を身につけてもらいたいと願って、あれこれまず自分が勉強しているところなのです。

というわけで、無理矢理足を組むのではなくて折目正しく足をたたんで坐るように工夫しています。

 
横田南嶺

足をたたむ

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