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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.06.08
今日の言葉

円覚寺ご本尊

夏期講座の第一日目には、鎌倉国宝館館長の山本勉先生に「円覚寺仏殿本尊考」と題してご講演いただきました。

山本先生は、半蔵門ミュージアムの館長でもいらっしゃいます。今日仏像の研究では第一人者でいらっしゃいます。

七年前には、この円覚寺の仏殿にお祀りされているご本尊の調査をしていただいたのでした。

あの大きな仏像を台座からおろして調査していただいたのでした。

円覚寺は弘安四年二度目の元寇があった、その翌年の十二月八日に開堂されています。

開堂のときに、仏光国師の語録には、毘盧遮那仏、十二菩薩、観世音菩薩、護法天龍などを祀ったと記録されています。

円覚寺開創の時に、ご本尊は毘盧遮那仏でありました。

今回も改めて学びましたが、円覚寺は実に幾度も火災に遭っています。

弘安五年一二八二年に開堂されて、そのあと弘安十年一二八七年にはすでに火災に遭っているのです。

わずか五年後のことであります。

更に正和五年一三一六年にも地震の際の火災で、円覚寺仏殿は罹災しています。

その翌年までには復興されて、諸尊は再安置されています、

大きな罹災は、応安七年一三七四年の火災で、円覚寺はほぼ伽藍のすべてを焼失してしまいました。

応永八年一四〇一年にも火災に遭っています。

更に永禄六年一五六三年には円覚寺の仏殿、山門、開山塔などが罹災炎上したのでした。

そのときの焼失仏像の記録に「宝冠釈迦如来木像」「十二大士」「梵天帝釈天」と書かれているのです。

ただし「御面相はとり出す」と書かれています。

お顔だけは、とり出して残ったというのであります。

そんな記録がありますので、円覚寺ではご本尊さまの頭部のみは古いものだと言い伝えられてきました。

このたびの山本先生の綿密な調査によって、頭部には創建時のものと思われる部材が残っていることが明らかになったのでした。

仏光国師や北条時宗が拝んでいたお顔が今も残されているのであります。

幾度の火災に遭いながらも、あの大きな仏像のお顔を守ってきたということなのであります。

そう思って拝むと、より一層有り難く思うのであります。

ただご本尊の名前の変遷も興味深いものがあります。

円覚寺では、今は専ら宝冠釈迦如来とお呼びしています。

もともと華厳の仏さまである毘盧遮那仏をお祀りしたと仏光国師の語録にあるのですが、宝冠釈迦如来へと変わってゆくのです。

山本先生によると、文保元年一三一七年の頃、円覚寺の東明慧日禅師の法語には、「薄伽至尊」と書かれていて、これはすでにお釈迦様を表しています。

至徳元年一三八四年の夢窓国師法語には、「薄伽世尊」と書かれていて、これもお釈迦さまを表しています。

更に永徳二年に義堂周信が足利義満の問いに対して、本尊を中尊宝冠釈迦と答えているのであります。

そうして永禄六年一五六三年には、焼失した仏像のなかに、本尊宝冠釈迦木像と書かれているのであります。

はじめは毘盧遮那仏としてお祀りされたのですが、華厳の教えに毘盧遮那仏と釈迦如来と同体であると説くことから、釈迦如来として呼ばれるようになり、宝冠をかぶっているので宝冠釈迦如来というようになっていったということです。

とても興味深いことであります。

毘盧遮那仏というのはどういう仏さまかというと、玉城康四郎先生の『スタヂィーズ 華厳』(春秋社)には、

「毘慮遮那仏というのは華厳経の本尊です。

これはヴァイローチャナ・プッダ、それを音訳して中国の言葉で毘盧遮那仏と言います。

…毘慮遮那仏は、「光の仏」あるいは「太陽の仏」という意味になります。」

「その毘慮遮那仏は、われわれが今生きている宇宙世界そのものです。

現に生きている世界だから、見渡してみるとわれわれは宇宙を見ているのですが、われわれの目に見えるものは建物とか皆さまの姿とか、広々とした東京とか、せいぜい大空とか、そういうものしか日に映らないのですね。

ところが毘慮遮那仏は宇宙そのものですから、目に入ってこないのです。

だからわれわれが今生きているということは、自分は意識しないけれども、実は毘盧遮那仏のまっただなかに生きているのです。」

というのであります。

仏光国師が華厳の教えに基づいて円覚寺を開創されたので、この毘盧遮那仏というのにも深い意味があったのだと思います。

それにしても山本先生も、幾度もの火災に遭いながらも、その頭部だけは守ってこられたのですから、奇跡のようなことだ仰っていました。

そんな仏さまを拝むことができるのですから、有り難いことであります。

それから、仏殿にお祀りしてある達磨大師のことも解説してくださっていました。

これはこのたび山本先生たちが調査してくださったおかげで、とても古いものだとわかったのでした。

鎌倉時代の末期から南北朝時代の初頭、十四世紀前半頃の作だというのです。

私たちは寺にいながらもそんな古いお像とは認識せずに、普段の行事にお祀りしていたのでした。

元亨三年一三二三年の円覚寺法堂建立の頃ではないかというのです。

そんな時代の達磨大師が、仏殿の奥にお坐りくださっているのです。

仏像というと、東京禅センターで、ただいま龍雲寺の細川晋輔さんと谷中の霊梅院の副住職の柳建宗さんとが、仏像について解説してくれている動画が公開されています。

先日は円覚寺の傳宗庵の薬師如来、そして同じく円覚寺にある黄梅院の千手観音さまを解説してくれていました。

とてもわかりやすく解説してくれていますので、お薦めしておきます。

 
横田南嶺

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