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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.04.10
今日の言葉

善光寺参り

「牛にひかれて善光寺参り」とは、よく聞く言葉であります。

『広辞苑』によれば、

「(長野の善光寺の近くの不信強欲の老婆が、さらしておいた布を隣家の牛が角にかけて走ったのを追い、知らぬうちに善光寺に駆け込んで霊場であることを知り、後生を願うに至ったという伝説から)ほかのことに誘われて偶然よい方に導かれるのにいう。」

という解説があります。

牛に引かれてという訳ではありませんが、甲府のお寺の儀式の為に出掛けた折に、甲府の善光寺にお参りしてきました。

ただいま信濃の善光寺は、七年に一度のご開帳ということで、大勢の方がお参りになっているようであります。

元来は、昨年がご開帳の年だったようなのですが、新型コロナウイルス感染症の蔓延のためにこのご開帳も一年延期になったのだそうです。

前回のご開帳には、七百万人以上もの方がお参りになったというのですから、たいへんな信仰の篤さであります。

善光寺の御本尊は「一光三尊阿弥陀如来」と言います。

これはひとつの光背の中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並んでいるのです。

この形が、善光寺独特のものだそうです。

これは、白雉5(654)年に、百済の聖明王によって我が国に献呈されたものです。

それ以来の絶対秘仏なのであります。

ですから、誰も直接に見たことがないのであります。

ご開帳されているのは、鎌倉時代に造られた御本尊の御身代わりとしての「前立本尊」なのであります。

この前立本尊さまが七年に一度の御開帳の時だけ、特別にお姿を拝むことができるというのであります。

鎌倉時代には、源頼朝や北条一族は厚く善光寺を信仰していました。

その頃に御本尊の模刻像が多く造られたようであります。

実は円覚寺にも、文永八年(1271年)の銘のある、銅造阿弥陀如来及両脇侍立像がございます。

これが善光寺式阿弥陀三尊像なのであり、国の重要文化財に指定されています。

円覚寺は弘安五年の開創ですので、円覚寺よりも古い仏像なのであります。

なぜそんな阿弥陀三尊像が円覚寺に伝わっているのか、よくわかっていません。

毎年円覚寺の宝物風入れの時には、大書院にお祀りしていました。

さて、今回私がお参りした善光寺は、この信濃の善光寺ではなく、甲斐の善光寺であります。

甲斐の善光寺というのは、かの武田信玄公が、川中島の合戦の折に、信濃善光寺が焼失してしまうのを恐れて、永禄元年(1558)、御本尊の善光寺如来像をはじめ、諸仏寺宝類を甲府に移したというのであります。

武田氏滅亡の後に御本尊は織田、徳川、豊臣氏を転々としたそうなのですが、慶長三年(1598)信濃に帰ってきたのであります。

そこで甲府では新たに、この前立仏を御本尊と定めて現在に至るのだそうです。
そういうたいへんな由緒のあるご本尊さまなのであります。

この甲斐の善光寺のご開帳も、1997年から長野の善光寺と合わせて行われているのであります。

そこで甲府まで訪ねた折に、ご開帳の阿弥陀様を拝ませていただいたのでありました。

甲斐の善光寺ご本尊は、一光三尊式善光寺如来像であり、在銘は最古のうえ、かつ大きな等身像なのであります。

内陣にお祀りされているご本尊を有り難く拝むことができました。

その尊いお姿に感激して、私もしばし手を合わせて拝んでいました。

そのあとに宝物館を訪ねると、なんと大きな牛の角がございました。

ふと、これが「牛に引かれて善光寺参り」の牛の角かと思いましたが、あれは長野の善光寺だと思いました。

買い求めた『甲斐善光寺』という本によれば、

「延宝六年(一六七八)の五月のことです。

江戸の芝(現港区)牛町のある家に飼っている牛が主人の夢枕に立って、「甲斐善光寺に参詣することが念願です。どうか放してください」とお願いしました。

妙なこともあるものだと思ったのですが、なんと三日間同じ夢を見たのです。

すると六月の初めころ、実際に牛が小屋を飛び出し、西を目指して駆けていきました。慌てた主人は追いかけますが捕まえられません。

先日の夢と思い合わせて、放っておくことにしました。

牛は四谷口から甲州街道をひた走り、六月十八日、甲斐善光寺近くの集落に着いたのです。

牛は一軒一軒、家を覗いてまわります。

村人が、何をしているのかと不思議な思いで見ていますと、ある家の前に汲み置いてあった水に口を差し入れ、身を清めるかのような動作をします。

そして寺に参詣しました。

牛が四足を折り曲げ、頭を垂れる姿は、まことに人が如来を拝むかのようでありました。

しばらくすると、牛は立ち上がり金堂の東側にうずくまること七日間、八日目に善光寺を出て今度は甲州街道を東に向かい主人の家に帰りました。

その後一月ほどしてこの牛が落命したので、主人はこれを深く悲しみ、二本の角を甲斐善光寺に寄進しました。」

と書かれていました。

そのうちの一本が宝物館にあったのでした。

それにしても、善光寺さまは、ご本尊は絶対秘仏で誰も見たことがないのです。

浅草の観音様も秘仏で、誰も直接拝むことはできません。

もっとも浅草の観音様は明治の初め頃に一度調査して確認されたと聞いたことがあります。

いずれにしても、姿も見えないけれども、その阿弥陀さま、観音さまを信じて大勢お参りするのであります。

目には見えなくても拝む心が大切なのであります。

甲斐の善光寺の本堂に、大きな二本の柱があり、金色の文字で次の言葉が書いてありました。

「佛身は円満にして背相無し、十方来人 皆対面。」という言葉です。

仏様のお体は円満であって、誰に対しても決して背中を向けることなく、十方から来る人、どなたにも対面するという意味であります。

「冥加」という言葉がありますが、これは「知らず知らずのうちに神仏の加護をこうむること」「目に見えぬ神仏の助力」のことを言います。

お互いは、この目に見えない神仏の力に守られているのであります。

それは人間ばかりでなく、牛や獣にも及んでいるのであります。

こちらが気づいてなくても守られている冥加を思います。

有り難く甲斐の善光寺をお参りして、そんな冥加を感じてきました。

 
横田南嶺

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