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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.04.09
今日の言葉

根無し草

四月四日には、花園大学の入学式に出席しました。

これでもう総長として五年目の入学式であります。

五年目ともなると、すっかり慣れたものであります。

初めての時には、緊張したものでした。

来賓の方々も大勢お見えになって、あらかじめご挨拶もしなければなりませんでした。

入学式もコロナ禍になってずいぶんと変化しました。

まず大勢の来賓が無くなりました。

今や学内の代表者のみですので、ほんのわずかな人数であります。

今年は、例年より入学生が少ないとのことで、大学としては少々意気消沈しているところがありました。

それでも入学生の減少は、全体の傾向だそうです。

私の祝辞はいつもの通り短いものです。

「入学おめでとうございます。今日はよいお天気にめぐまれて、このよき日に入学式を迎えられましたことを心よりお祝い申し上げます。」

とお祝いを述べておいて、

「この大学は、もともと臨済宗という禅の教えを学ぶ学校でありました。今も「禅的仏教精神による人格の陶冶」を建学の精神としています。」

と建学の精神に触れました。

ただこの「禅的仏教精神による人格の陶冶」という言葉が難しいので、「禅の教え、禅的な考えを学んで、お互いの人格を向上させてゆこうというものです」と説明を加えました。

そのあと「私は、禅の修行の世界で多年過ごしてきて、今もその中にいます。あまり学問については詳しくありません。

多年禅の修行をしてきた経験から今日は皆様にこれからの心構えをひとつお話させていただきます。

多年修行してきて学んだことの一つは、人間、楽をしようとすると結果はろくなことにはならないということです。

中国の古典にも楽をしようとすると禍を招くという言葉があります。
 
何か、どちらにしようか道に迷うような時には、楽な方ではなく、少したいへんな方を選んだ方が結果よくなることが多いと感じています。 

しかし、少したいへんだと思うようなことでも一所懸命にやっていると楽になってきます。

大変だと思っていたことが、楽になるということがあるものです。

楽になってくると、楽しくなってきます。

学ぶ事、修行することが楽しくなってくるのです。

本学に楽道館という建物がありますが、道を楽しむことができるようになります。

そうして、学ぶ事、人格を向上させることが楽しくなってくると、あとは自然と自分の進む道がはっきりして、うまく進んでゆきます。

楽をするとろくなことはない、少々大変だと思ってもあきらめずにやっていると楽になってくる、楽になってくると楽しくなる、そうすれば自ずと道が開かれる、そんなことをお話して今日のお祝いと致します。」

とお話しました。

磯田学長の式辞は、丁寧なものでありました。

今回もその式辞の原稿を印刷して全員に配ってくれていました。

まずはじめに学長も建学の精神に触れてくれていました。

そして更に臨済禅師の「随所に主と作れば、立処皆真なり」という言葉を引用して、「どのような状況にあっても主体的に行動できる自立性、自律性を養成すること」と説いてくれていました。

そして本学が、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)の基本的哲学である「誰一人取り残さない」を基本に、学生一人ひとりを大切にしたていねいな教育に取り組んでゆくことを話してくれました。

「多様性は社会的、経済的活力の源泉である」と指摘されました。

それから、三つのことを話されました。

第一には「初心忘るべからず』です。「今の気持ちを大切にし、よく覚えておいてください」と語りました。

第二には「困ったことがあり思い悩むときは、周囲の人と対話を重ねてください」ということです。

いただいた式辞から引用させてもらいます。

「周囲の人と話したとしても直接の答は与えてくれないかもしれません。

引き続き考え悩むかもしれません。

しかしながら、対話をすることによって、自分の考えが整理できます。

自分が何をしたいか。自分が悩んでいることが、本当はどのようなことなのか。
自分の心根も変わります。」

と示してくれました。

そして三番目に、どういうことかというと、こちらも少々が長くなりますが、引用させてもらいます。

「第三に、「根無し草」にならないでください。
 
政治学者の佐々木毅先生がおっしゃっているとおり、世界のどこでも通用し、活躍する人材、すなわち、グローバル人材は究極的には社会的に見て「根無し草」です。

他方、どの社会も個性と歴史を持ち、地域に根を生やしている以上、「根無し草」ばかりを集めても社会をつくることができません。

社会と地域の将来を慮り、多くの人々を糾合して新しい姿を描き、実践していく人材には何よりも地域性へのこだわりが必要です。

専門性の高い政治や行政、地域経済の担い手なしに社会の再生産は不可能です。
 
人は具体的な人との関係の中に生きているのです。

家族や地域や職場の仲間という具体的な人との関係の中で人は生き、それらの人々との間で愛や友情や信頼を醸成し、そこにこだわりを持ち、生きる意味を感じるのです。」

ということであります。

この根無し草にならないでという言葉が私には一番印象に残りました。

寺に帰って根無し草を『広辞苑』で調べてみると、

「根のない草。水面に浮かんでいる草。浮いて漂う物、また、浮いて定まらない物事にたとえていう。」

という解説がありました。

「浮いて定まらない」というのはあまりよい意味ではありません。

人は具体的な人との関係の中に生きているのです。

グローバル人材は、世界のどこでも通用して、よいように見えても根無し草だというのです。

根無し草ばかり集めても社会を作れないという言葉には考えさせられました。

学長が「人は具体的な人との関係の中に生きている」というのは事実ですし、そして「家族や地域や職場の仲間という具体的な人との関係の中で人は生き、それらの人々との間で愛や友情や信頼を醸成し、そこにこだわりを持ち、生きる意味を感じるのです。」というのはまさにその通りなのであります。

私は長年『般若経典』を学んで、なにものにもとらわれない、こだわらない空の思想を学んできました。

ただ、あまりなにものにもこだわらないという生き方は、時として軋轢を生じることがあります。

多くの方は、その地域、伝統、しきたり、風習などにこだわりをもって生きているのであります。

空の思想にばかりかたよるのも問題であって、こういうこだわりをもって人は生きているという一面もしっかり受け止めていないといけないと、「根無し草」という言葉を聞いて思ったのでした。

 
横田南嶺

根無し草

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