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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.01.10
今日の言葉

臨済の教え

本日一月十日は、臨済禅師のご命日であります。

円覚寺では、早朝に仏殿でお勤めを致します。

臨済禅師は、臨済宗のいちばん大本になるお方です。

衣川賢次先生の『新国訳大蔵経 臨済録』(大蔵出版)によれば、

「臨済義玄(?―八六六)は唐末の禅僧。宋代以後の禅宗、ひいては中国の思想界に大きな影響力をもったひとりであったが、生前および圓寂直後にはさして名は知られず、伝記の詳細、出自から受業地、正規に登壇受戒した成僧であったのか否かも、じつはわからない。」

と書かれていますように、お亡くなりになった年こそ分かってはいますものの、お生まれになった年が分からないので何歳で亡くなったのもかも分からないのであります。

またその詳しい経歴も不明なのであります。

衣川先生は、「義玄の百年前に始まる馬祖道一(七〇九ー七八八)の新興禅宗を初期段階において継承し荷ったのは、唐宋変革期といわれる動乱の時代に輩出したこういう草莽の禅僧たちであった。」

という禅僧の一人なのであります。

どのような経緯で出家したかは分かりませんが、はじめは仏教学を学んで、戒律をよく学び、経典を広く学んでいたようなのであります。

ところがあるときに「こんな仏教学はくすりの処方箋に過ぎない、教外別伝の教えではない」といって、禅僧の衣に替えて行脚に出かけて、そこで禅門の黄檗禅師に参禅しました。

黄檗禅師は、百丈懐海禅師のお弟子であります。身の丈七尺、額に円珠あり。いつも礼拝していて額に丸いこぶができていました。大機大用の大禅師であります。
 
初めは黄檗禅師のもとで、行業純一と言われるように、純一に修行していたのです。

そんな様子を見ていた修行僧の頭にあたる僧が、これは若僧だけれども、皆と違って見込みがありそうだと思いました。

臨済禅師に「ここに来て何年になるのか」と聞くと、「はい三年になります」と答えました。

「では今までに老師のところに参禅にいったのか」と聞くと、「今まで参禅にうかがったことはありません、何を聞いたらいいのか分かりません」と言いました。

こういう所が純一なのです。

何を聞いたらいいか分からないという、純粋に思いをあたためていたのであります。

分からないことをいいかげんにごまかさないのです。

そこで、「いったいどうして老師のところに行って、仏法のギリギリの教えは何ですかと聞かないのか」と言われて、その通りに行ってみました。

言われたとおりに老師の所にいって質問しようとすると、その質問が終わらないうちに黄檗禅師に打たれてしまいました。

臨済禅師がすごすご帰ってきましたので、頭の僧が「どうだったか」と聞きますと、「私がうかがうと、声も終わらないうちに打たれました、どうしてだかさっぱり分かりません」と答えました。

更に「もう一遍行ってこい」と言われます。

また行くとまた黄檗禅師に打たれてしまいました。

三回行って三回も打たれました。

頭の僧に対して、「幸いにもお示しをいただいて参禅させていただきましたが、こんな有様でなんのことやらさっぱり分かりません。今まで過去世の障りがあって老師の深いお心が計りかねます。これではここにいてもしかたありませんからお暇しようと存じます」と言われました。

将来臨済禪師と称される程のお方であっても修行時代はこの通りなのです。

そこで臨済禅師に、出てゆくならチャンと老師にご挨拶してから行きなさいと指示しました。

その僧がさきに黄檗禅師の所に行って言いました。

「さきほど問答にきた若いのは、なかなか如法に修行していて、あれはきっとものになります。

どうか挨拶にきたら、うまく導いてやって下さいませ」とお願いしておきました。

そして臨済禅師のことを「将来きっと大木となって世間の人達に涼しい木陰を作って憩わせることになりましょう」と言ったのでした。

臨済禅師が挨拶に来ると、黄檗禅師は「いいか余所に行くなよ、必ず高安灘頭の大愚の処に行けよ、なにか導いてくれようからな」と諭しました。

さて大愚禅師のところに行くと大愚禅師は、「どこから来たのか」と問います。

「はい黄檗の処から参りました」と答える臨済禅師に大愚禅師は、

「そうか黄檗は何と言っていたのか」と尋ねます。

臨済禅師が「私は三度仏法のギリギリの教えは何かと問いましたが、三度とも打たれました、私の一体どこがいけないのでしょうか」
と答えます。

その言葉を聞いた大愚禅師は、

「なんと黄檗は親切なやつだ、あなたの為にそこまで親切にやってくれて、それでいて自分に何の落ち度があろうかなどと聞くとは」と言いました。

そこで臨済禅師はハッと気がつきました。

黄檗禅師の仏法は実に端的そのものだったと気がついたのでした。

黄檗禅師の教えとは、「ほかならぬ自らの心が仏である」ということに尽きます。

「仏法とはどのようなものでしょうか」と問う臨済禅師に対して黄檗禅師は、まさにそのように質問している、あなた自身こそが仏であると、その心こそが仏であると、打つことによって、もっとも直接的に示してくれたのでした。

そのように目覚めた臨済禅師でありますから、『臨済録』にある説法では、自らの外に仏を求めようとする修行者にたいして、仏とは今この話を聴いているあなた自身だと説き続けたのでした。

自心是れ仏であると気がついて、外に向かって求める心がやんだのを、臨済禅師は「無事」と説きました。

仏とは無事の人だと説いたのでした。

その自覚に基づいて、「随処に主となれば、立処皆真なり」

と示したのでした。

「その場その場で主人公となれば、おのれの在り場所はみな真実の場と」(岩波文庫『臨済録』入矢義高訳を引用)なるというのです。

臨済禅師の言葉は、実に生き生きとした、主体性のあるものです。

本日臨済禅師のご命日、改めて臨済禅師の教えを思うのであります。

そして自らに問うのです、「主人公となっているか」と。

 
横田南嶺

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