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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.12.13
今日の言葉

”禅”らしい禅

私たちの宗門で、平四郎というと二人ございます。

一人は、昨日ご紹介した、真壁の平四郎です。

こちらは、鎌倉時代の方であります。

もう一人は、山梨平四郎という方で、こちらは江戸時代の方であります。

白隠禅師に参禅された方であります。

山梨平四郎は、庵原の平四郎とも呼ばれています。

庵の原と書いて、庵原と読みます。

今の静岡市清水区や葵区のあたりであります。

山梨平四郎は、了徹居士とも申します。

宝永四年一七〇七年のお生まれであります。

寛保三年一七四三年家督を継いで平四郎と名乗ります。

四女二男に恵まれましたものの、長男が夭逝してしまいます。

父は、延享三年に七十四歳で亡くなっています。

白隠禅師のもとに参じるのは、その二年後の延享五年一七四八年であります。

この父が七十四歳という、江戸時代においては長生きされていて、そして自分の長男が早く亡くなるという体験が、平四郎の参禅の機縁となっています。

白隠禅師は、「臘八示衆」の第五夜に平四郎の話をしているのです。

近頃、庵原に平四郎という者がいるのを知らないのかという言葉から始まります。

平四郎は、不動尊の石像を彫刻して吉原山中の滝のところに安置しました。

そこで滝から水が流れ落ちるのを見ていました。

すると水の泡が次々と浮かんでは消えてゆく様子が目に入ります。

泡を見ていると、浮かんだと思うとすぐに消えてしまうものもあれば、一メートル二メートルと流れてから消えるものもあるのです。

その泡の浮かんで消える様子を見て、この世の中が無常であることは、この水の泡のようなものだと悟ります。

まさしく自分の父のように七十四歳と長生きをする者もあれば、自分の長男のように早く亡くなる者もいます。

その無常の思いが身に迫って、安らかではいられなくなってしまいました。

たまたま、ある人が沢水法語という書物を読んでいるのを耳にしました。

すると、

勇猛に修行する者には、成仏は一念にあるし、怠けている者には悟りは永遠に訪れないという意味の言葉がありました。

この言葉を聞いて、平四郎は発憤するのです。

どうしたかというと、一人で浴室に入って中から戸や窓を閉じてしまいます。

そこで、背骨を立てて、両手の拳を握りしめて、目をカッと見開いて、自分なりに坐禅したのでした。

すると妄想が次から次へと湧いてきます。

まるで蜂の巣でもつついたかのように、湧いてきました。

これらの妄想と自ら戦ったのでした。

そうして強い意志で戦って、とうとう自分の意識であれこれと思いはかり考える事を断ち切ってしまいました。

妄想を断ち切って、無心の境地に入ったのでした。

明け方になって、鳥や雀が家の周りで鳴いているのを耳にして、フッと気がついて自分の体を確かめようとしますが、自分の体が消えていたのでした。

ただ両方の目だけが地上にあるのが分かりました。

しばらくすると、グッと握りしめていた両手の拳の爪が手のひらにくい込んで痛いのに気づきました。

そこでようやく体の感覚を取り戻してきました。

両目ももとの位置に戻って、ようやく体の感覚も戻ってきたのでした。

そこで起き上がることができました。

このようにして三夜過ごしました。

三日目の朝になると、顔を洗って庭の木を見ると、今まで大いに違って見えました。

どういうことかと思って、近くのお坊さんに聞いても分かりません。

お坊さんは、白隠禅師のところへゆけば分かるだろうと言ってくれたので、原の白隠禅師を訪ねようとします。

籠をかいて、薩埵峠を越えて、はるかに田子の浦の風景を眺めると、草木国土悉皆成仏という世界を得ていたことが分かりました。

草も木も皆仏だという心境に達していたのです。

薩埵峠とは、静岡県由比町と静岡市の境で、駿河湾に突き出した山の裾にある峠です。

歌川広重の東海道五十三次「由井」にも描かれています。

富士山を背景にした美しい眺望でございます。

ただちに白隠禅師にお目にかかると、いくつかの公案をその場で透過してしまいました。

白隠禅師が六十四歳、平四郎は四十二歳の時であります。

そこで、白隠禅師は臘八摂心に挑んでいる修行僧達にこの平四郎の話をして奮起させようとするのです。

彼はお坊さんではない、一般在家の方です。

坐禅の作法も禅の教えも特に学んだわけではありません。

それでもたった三夜の坐禅のこれほどの心境に達したのです。

白隠禅師は、

「唯だ勇猛の一機、妄想と相戰って勝を得たる者なり。」

と平四郎を賞賛されました。

そして修行僧達に、あなた方もどうして奮起しないのかと励ますのであります。

この話を私も修行時代に臘八になると必ず聞かされて、師家になってからは必ず臘八の時に話をしていました。

この平四郎の体験というのは、誰しもできるものであります。

体が無くなるという体験がたしかにあるものです。

それでも目だけが残るというのも共感します。

そういう体験をして、外の世界ががらりと変わって見えるのであります。

白隠禅師は、平四郎の坐禅を勇猛の機で、妄想と戦って勝ったのだと仰せになっています。

お釈迦様の降魔成道を思い起こします。

お釈迦様が悟りを開かれる前にも悪魔の軍勢が襲ったのでした。

これはお釈迦様の内心の表れだと思います。

それと勇ましく戦って打ち破ったのでした。

魔の軍勢に打ち勝つには、まず勇ましい気力が必要です。

腰を立てて、両手を握って、目を見開いてあたかも仁王さんのように坐るのであります。

この頃は、臨済の坐禅でも一般の皆さんに説明するときには、雑念や妄想が起こっても相手にせずに、起こったなと認めておきましょうとなどと説明されることが多いように感じます。

マインドフルネスのような説明をすること多くなっていると感じます。

これもひとつの効果がありますし、否定するものではありませんが、白隠禅師の坐禅というのは、そういうものではなくて、強い意志、勇ましい気力をもって雑念妄想と戦って勝ち抜くというものでした。

こういう所謂禅らしい禅というのも、忘れはならないところであります。

 
横田南嶺

”禅”らしい禅

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