語らざるは愁い無きに…
十一月七日付の記事は、「気持ちを語る自由」という題であります。
冒頭に、
「つらい時や悲しい時、怒りを感じた時、自分の気持ちを表現することは心を守る大事な手段となる。気持ちを抑え一人で抱え込んでいるうちに気持ちは落ち込んでいく。」
と書かれています。
つらい時や悲しい時に、自分の気持ちを表現することがなかなかできないことがあります。
特にそれが、自らの意志で言わないというのでなく、何らかの力が加えられて言えないというのは、問題であります。
海原先生は、
「自分の気持ちを表現できないことや、「それは違う」と反論したくても言えないということがどんなにつらく厳しいか想像してほしい。家庭の中で夫に「それは違う」と言いたくてもそれを言うと怒鳴られたり、暴力を受けたり、逆切れされたりするのが怖くてものを言えない女性がどんなに多いことか。離婚になれば、一人で食べていけないから我慢してしまう、ということも聞く。
職場でも同じだ。上司がどう見ても理不尽なことを言っても、反論すると、逆切れされたり、職を失ったりすることを恐れ、我慢して話を聞く人も少なくない。」
と書かれています。
読みながら、私たちの修行の世界も同じであるなと感じました。
自分よりも先輩の人が言うことには絶対に服従するという世界であります。
口答えの許されない世界であります。
これがいいのか、悪いのか未だに分かりませんが、長い伝統でそのようになったのでしょう。
もっとも修行の上で、自我をなくするために行うことであれば意味がありましょうけれども、どう考えても不当なことだと思うことも多いのが現状であります。
「自分の気持ちを語る自由があることは、幸せなことだ。そんな幸せをすべての人が等しく持てるように」
と海原先生は書かれていますが、実際には難しいことだと思わざるを得ないのであります。
もちろんのこと、その様になって欲しいという願いを持つ事は尊く、忘れてはならないことであります。
そんな記事を読みながら、思い出した禅語が、
君看よ双眼の色、語らざるは愁い無きに似たり
というものです。
この言葉には思い出があります。
今からもう十数年前に、岩波書店から足立大進老師の編集で『禅林句集』を出版した時のことです。
当時早稲田大学の教授であった田島照久先生と私とで、この編集作業の実務を任されました。
すべての禅語の出典を明らかに調べ直して、従来に出版されていた禅林句集の禅語を校訂して、編集し直すということでした。
七年ほどかけて二人で調べ直したのでした。
まだ検索の機能も十分に使えない頃でしたので、ずいぶん苦労したという思い出だけが残っています。
その編集にあたって、足立老師が、禅語の出典に『槐安国語』を用いてはならないという厳命が下されていました。
『槐安国語』というのは白隠禅師が著された書物であります。
しかし、そこにある禅語はすべてそのもととなる出典があるのです。
そのもととなる出典をつきとめるようにして、『槐安国語』が出典だとしないようにということでありました。
従来の禅林句集には、『槐安国語』を出典としているものが多かったのでした。
そこで、すべての禅語を調べ上げたのですが、ただひとつ、この
「君看よ双眼の色、語らざるは愁い無きに似たり」
という禅語だけは、『槐安国語』以外に出典を求めることができなかったのでした。
平成十五年に上梓された禅文化研究所の『槐安国語』にも道前宗閑老師が註釈で、
「明暦三年(一六五七)刊行の『句双葛藤鈔』(内題は「宗門葛藤集」)にこの語を収め、「愁情に沈んだ人のなりぞ。未悟の人なり」と注する。典拠未詳。但し、ここでは「我が心底の愁いを知る者は誰もいない」の意であろう。」
と書かれています。
道前老師ほどの碩学の老師が、典拠未詳と書かれているのです。
そこで、どうしてもこの言葉だけは、『槐安国語』以外の出典が見当たらないので、『槐安国語』出典と表記させていただきたいと足立老師にお願いしたのですが、足立老師というお方は一度こうだと仰せになると、決して譲歩されない方でしたので、頑としてお許しにならず、とうとう、この禅語の出典は空欄にしたままで出版したのでした。
白隠禅師は、西暦一六八六年のお生まれで、一七六九年にお亡くなりになっていますので、明暦三年一六五七年の『句双葛藤鈔』にあるということは、白隠禅師もご自身で作られた句ではなく、何かで御覧になったのだと察しますが、今もわかりません。
後に良寛さんが、この言葉を書かれていますが、良寛さんは、一七五八年に生まれて、一八三一年にお亡くなりになっていますので、白隠禅師より後の方でいらっしゃいます。
白隠禅師が、『槐安国語』でこの言葉を用いられているのは、大燈国師の頌に対する著語であります。
『碧巌録』の第三十七則に「三界無法」という公案があります。
盤山禅師の言葉で「三界無法、いずれのところにか心を求めん」(三界に何ものも存在しない、どこに心を求めようというのか)というのに対して、大燈国師が頌を作られました。
それが
千峰雨霽れて露光冷かに、
月は落つ、松根蘿屋の前。
等閑に此の時の意を写さんと擬すれば、
一渓雲鎖して水潺潺。
というものです。
簡単に訳しますと、
千山に降り注いだ雨もあがり、露の光一面に清らかだ。
松の根もと、つた葛のまとう我が家にも月影が差し込んでくる。
心のおもむくままにこの趣を表現するのなら、
谷に雲がたちこめて川の水がザアァザアァと流れるのみだ。
というところです。
格調高い漢詩であります。
このはじめの句に白隠禅師が、
「君看よ双眼の色、語らざるは愁い無きに似たり」
という一句を着けたのでした。
深い味わいがあります。
自ら語るに語れぬ趣は深いものがありますが、不当な圧力によって語られぬということはあってはならないと思うものであります。
横田南嶺