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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.11.02
今日の言葉

「寒い」と言わない

森信三先生の『修身教授録』には、第二十八講「平常心是道」という章があります。

その冒頭に、

「これからしだいに冬に入りますが、諸君はなるべく「寒い」という言葉を使わないようにー。

われわれ人間も、この「暑い」「寒い」ということを言わなくなったら、おそらくそれだけでも、まず同じ職域内では、一流の人間になれると言ってよいでしょう。」

と説かれています。

ハッとする言葉であります。

つい急に寒くなってきたりすると、「寒いですね」と言ったりしてしまっています。

しかし、森先生は、修養ということからいえば、「暑い」「寒い」などという言葉がでる間は、心のどこかに隙間があるというのです。

更に森先生は、

「武道や体操を得意とする人が、冬になると「寒い、寒い」と震えているようでは、実際だらしなくて見ていられませんからね。ところが実際には、武道や体操をやる人に案外そういう人が多いようです。

竹刀を持った場合には、選手だの有段者だのと言われながら、一たん道具を解いて道場を出れば、普通の人以上に「寒い、寒い」と言っているようでは、実際何のための武道か分かりません。
武道や体操を得意とする人は、むしろ道場や運動場以外のところで、より精神的な緊張を持しているようでないといけないと思うのです。それができないようでは、いかに技はうまくても、要するに一個の軽業師にすぎないでしょう。」

と実に手厳しく説かれています。

森先生は、

「とにかく道場で竹刀を持ってからにわかに緊張してみたり、また柔道着を着けてから、急に真面目になるだけではいけないのです。その程度の心がけでは、とうてい技を通して人間を磨くという所へはいけないでしょう。

そこで武道や体操をやる人は、つねに肉体の欲に打ち克つ心がけが大切です。そしてこの点に気付き出すようになって、初めて真の武道に入るわけです。それというのも真の武道家は、ご飯を食べていても、風呂に入っていても、つねに油断があってはならないのです。」

というのであります。

森先生の厳しい洞察は、僧侶に対しても向けられます。

「つまり高僧と凡僧との別は、坐禅を解いてからの言動の上で分かるとも言えましょう。というのも、坐禅を組んでいる間は高僧も凡僧も格別の差はないとも言えるわけですが、ひとたび坐禅をやめたとき、凡僧は「アア」などとあくびをして、坐禅はもうすんだものと思うでしょう。

ところがえらい坊さんは、坐を解いても坐禅がすんだとは思わない。それどころか、真の坐禅はむしろこれから始まると思って、一層その心を引き締めることでしょう。同時にそこに人間の優劣の岐れ目があるわけです。
この点に着眼しない間は、何年坐禅しても、結局は何の役にも立たないのです。否、自分は何十年どこそこの道場で坐禅の修業をしたなどと、なまじいの自慢の種になるだけ、かえって悪いとも言えましょう。坐禅の後で「アア」とあくびなんかして、「ヤレヤレ今日もこれですんだわい」などと考えている程度では、何十年坐禅をしたとて、結局、しないのと、同じことなんです。」

ということであって、

森先生は、「要するに平生が大事なのです。このことを昔の人は、「平生心是道」と申しています。

つまり、剣を持ったり、坐禅をしている間だけが修業ではなくて、むしろ真の修業は、竹刀を捨て坐禅を解いてから始まるというわけです。人間もこの辺の趣が分かり出して初めて、道に入るのです。」

ということなのです。

森先生は、「人間というものは、最初は痩我慢から出発する外ないでしょう」と説かれています。

思えばブッダもまた、

『スッタニパータ』の五二番において、

「寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽と熱と、虻と蛇と、ーこれらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。」

と説かれました。

また『法句経』には、八番に

「この世のものを不浄であると思いなして暮らし、(眼などの)感官をよく抑制し、食事の節度を知り、信念あり、勤めはげむ者は、悪魔にうちひしがれない。ー岩山が風にゆるがないように。」

と説かれ、八一番に、

「一つの岩の塊りが風に揺るがないように、賢者は非難と賞賛とに動じない。」

と説かれています。

禅語に「風吹けども動ぜず天辺の月」とありますように、暑いの寒いのだに左右されることのない心境が大切であります。

しかし、いつまでも暑いとも寒いとも思わないだけでは、周りに窮屈な思いをさせてしまうことにもなりかねません。

俵万智さんの和歌に、

寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいる暖かさ

とありますように、「寒いですね」「そうですね、冷えてきましたね」と言い合うことも、何か温かみがあるものです。

禅の場合、とくに馬祖禅師の説かれた「平常心」とは、取りつくろうことをしないことであって、ありのままの心であります。

そこで、暑い時には、暑いと言い、寒い時には寒いと言うのが、馬祖禅師の説かれる平常心なのです。

修行や修養のはじめには、痩我慢をして、暑いとも寒いとも思わぬくらいの修行をした上で、暑い時には「お暑いですね」と言い、寒い時には「お寒いですね」と言うことも大事ではないかと思います。

馬祖禅師のありのままというのは、はじめからありのままでよいというのではなくて、厳しい修行を経た上でのありのままだと思います。

 
横田南嶺

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