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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.10.10
今日の言葉

人のせい、環境のせいにするよりも

腰塚勇人先生から、今月も『幸縁』116号を届けていただきました。

有り難いことに、最近は毎月お届けくださっているのです。

その中に書かれていた次の言葉が目にとまりました。

「本来、日本人は自分の思うようにならないことが起きると、人のセイ、環境のセイ、言い訳より、それまでの自分の生き方を先ず振り返り、考え方や行動を改め、自分なりの答えを見つけ、問題解決を繰り返す中で自分なりの道をつくってきました。」

という言葉です。

腰塚先生が先輩の方と話をしていて、その方が「コロナ後が楽しみだな」と言われたとのことでした。

その意味するところは、「コロナが終息に向かった時、この経験から自分がどんな成長、進化をしたのかが問われる」ということだと思ったとのことです。

腰塚先生は、「コロナ後が楽しみだな」というのは、「自分の道を新たに切り開けているかを確認できるからであり、私自身も新たな技術やスキルは身につけながらも、一番は進化よりも深化に意識と時間とエネルギーを使った気がします」と書かれていました。

世の中、思うようにゆかないことはままあるものです。

コロナ禍などもまさにそうです。しかし、大事なのは、そういう状況をどう受け止めて生きるかということです。

禅語に「迷えば寂乱を生じ、悟れば好悪無し」とあります。

三祖僧璨禅師が書かれた『信心銘』にある言葉です。

山田無文老師の『信心銘』の提唱を参照しますと(禅文化研究所『無文全集』より)
「『寂乱』は静寂と動乱のことで、迷うと、静かな心と乱れた心と、対立になります。この『信心銘』は初めからしまいまで、対立はいかん、対立を捨てよと説いております。」

と説かれています。

静かなところがいい、さわがしいところは嫌だというのが迷いなのです。

静かなところとさわがしいところという、「対立的な意識が生ずることが迷いのもとですから、その対立を捨てなさい、対立にとらわれてはいかん」、と説かれています。

「迷うから対立が生ずるのです。こんなに心が乱れてはいかんな、ひとつ坐禅をしよう。少しく心が静かになりました。ところが、その「静か」にとらわれたら、またいけません。それがもう迷いであります。」

というのであります。

更に「『好』と『悪』、これも対立であります。いいものと悪いもの、これはいいがこれは悪い、それが対立です。世間に裁判沙汰が絶えないのは、そもそも対立がもとであります。憎いと可愛いと、いいと悪いと、自分と他人となんぞと、そういう対立の意識が混乱して、自分で判断がつかなくなりますと、自分の力ではどうにも解決ができなくなって訴訟を起こすようなことになります。きれいに対立を捨てて赤子のような無心になれば、生まれたままのような無心になれば、その無心が最も道に近いと言うのであります。無心になれば一番早く解決できると言うのです。」と解説して下さっています。

思うに任せない状況というのは、誰しもあることです。

かの孔子ですら、六十四歳の時、陳の国で食糧がなくなり、お供の人々は疲れはてて立ち上がることもできなくなりました。

子路が腹をたててお目みえすると、「「修養をつんだ」君子でも困窮することがあるのですか。」といいました。

孔子は、「君子ももちろん困窮する、だが小人は困窮するとでたらめになるよ。」と言ったのでした。

君子であろうと、修養を積もうと困ることはあるのです。

しかし、取り乱したりしないのです。

お釈迦様にしても、九十日もの間、馬の餌となる麦を食べて過ごされたことがあったのでした。

困難な状況にあっても心を取り乱してはなりません。

三年ほど前のことですが、タイの国で、チェンライの洞窟にサッカーチームの少年十二人とコーチの合計十三人が閉じ込められたという事故がありました。

世界中にニュースは伝わり、安否確認できない時期は非常に心配されましたが、洞窟の中での生存が確認され、タイのみならずイギリスやドイツのダイバーによる必死の救助活動などによって十三人は無事に救出されました。 

約十日間もの間、洞窟に閉じ込められていたのですから、大変な状況であります。
真っ暗な中で、食事も無く、飲み水は滴り落ちる水のみなのでした。

そんな中で、心が錯乱してしまう恐れもあります。もしも心が錯乱してパニックになっていたら、どうなっていたわかりません。

ただそのコーチが二十五歳の青年ですが、八年間も出家修行した経験があって、洞窟の中で子供達に瞑想を教えて実践していたということでした。

もし、自分が同じ状況に置かれていたらどうだったろうかと考えると如何でしょうか。子供達を落ち着けられるでしょうか。子供達どころが自分自身の心を落ち着けることも難しいものでしょう。

心を調える瞑想を身につけていたことが、多くの命を救ったのでした。

困難な状況に遭うことは、人生においてはあり得るのです。

その時に人のせいにしたり、社会のせいにしたりせずに、自らの心をよく調えて、冷静に今の状況を受け止めて活路を見いだす工夫をする事が大切であります。

 
横田南嶺

人のせい、環境のせいにするよりも

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