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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.06.02
今日の言葉

宿を借すぞや 阿弥陀どの

江戸時代に、桃水和尚という方がいらっしゃいました。

桃水和尚というのは、一六一二年にお生まれで、一六八三年にお亡くなりになっています。

江戸時代の初期の頃です。

福岡の柳川のお生まれであります。

六歳で出家されて、二十歳を過ぎて、諸方を行脚して、大愚和尚、雲居和尚、沢庵和尚などの当時の名だたる禅僧について参禅修行を積みました。

大坂、肥後、島原などの寺を歴任したのですが、島原の禅林寺を最後に寺を出奔してしまいました。

その後は、主に乞食(こつじき)の群れに身を投じ、草鞋や酢を売って生計をたてて暮らしていたというのです。

禅文化研究所から出版されている『乞食桃水逸話選』には、次のような話があります。

この本を参考にしながら読んでみます。

大津では、馬にはかせる藁沓を作り、毎日売っていました。

それがいつの間にか評判になって、馬子たちからわざわざ注文がくるようになり、『大津の翁(じい)が沓』と評判になりました。

住居といえば、商家の蔵と蔵との間の、六、七尺ばかりの空き地を借り、藁をふき、家財道具はただ夜具ばかりで、煮炊きの鍋釜もなかったというのです。

そこで、馬沓を作り、その代金で餅などを買って暮らしを立てていました。

そこにはめずらしく二年ほどもいましたが、ある時、馬子や駕籠かき仲間が寄り集まって言いました。

「翁(じい)の所には仏さんがない。仏さんがないところは切支丹というではないか。どうして置かぬのだ」と。

桃水和尚は、それに答えて言いました、

「飯もたかぬようなところは、仏さんもいやがるでな」と。

これには、みなも大笑いでありました。

その翌日、一人の馬子が、大津絵の阿弥陀像を一幅持って来て、

「これを翁へやる、持仏にするとよい」と与えました。

桃水和尚は、「仏さんはいらぬ」と断りましたが、馬子は無理に置いていったのでした。

桃水和尚も仕方なく、
「こんなせまいところに……」
とつぶやきながらも受け取っておきました。

和尚が外出した折り、隣家の者がのぞくと、その仏さまが壁にかけてあり、その上に消し炭で狂歌が一首、したためられていました。

隘けれど宿を借すぞや阿弥陀どの
 後生頼むと思しめすなよ

というのです。

せまいけれども、阿弥陀さま、あなたが宿に困っているようなら、お部屋を貸してあげましょう。

そうはいっても、私が阿弥陀さまに、極楽往生をお願いしているだなどと思われることがないようにというのです。

先日夏期講座で、講義した『無門関』の中に、「他是阿誰」という公案がありました。

五祖法演禅師が、あるとき言われたのでした。

「釈迦や弥勒といっても、彼の奴隷である、その彼というのは誰のことかと。

釈迦様といえば、我々仏教徒にとっては最も大切な方です。

弥勒様というのも、お釈迦様の後、五十六億七千万年の後に、この世に現れて人々を救って下さる仏様です。

そんな最も尊いお方を、使用人のようにして使う者とはいったい誰でありましょうという問題です。

無門禅師は、その公案に対して、もしも、その人にあうことができれば、それは十字路で父親に出くわしたようなもの、それがその人であるかどうかと他人に尋ねるには及ばないと言いました。

そして更に頌を作りました。

他人の弓をひいてはいけない、他人の馬に乗ってはいけない、他人の落ち度は口にしてはいけない。他人の事柄を知ってはいけないというのであります。

どこまでも自分自身の問題として取り組まなければならないということです。

禅は、釈迦様のいいなりになることでも弥勒様にお助けを求める教えではありません。

お釈迦様も弥勒様に自由に使い得る一人を自覚するのであります。

これは自分自身にほかなりません。

本当の自分とは何か、自らに問うのであります。

この自分に何としてでも会いたいという強い思いと共に求めてゆくのであります。

その自分には必ず会うことができます。

なぜなら、その求める自分自身にほかならないからであります。

この公案に深く参じたのが、江戸時代の柳沢吉保公の側室であった橘染子であります。

橘染子は、「鳥の空音」という書物に次のように述べています。

釈迦も弥勒も自由に使える一人とは、男の人が心から愛している恋人のような存在だというのです。

その人と逢えるのならば、何に替えても惜しくない、すベてをその人のために捧げようと、決意している恋人だというのです。

その人に出会いたいという切なる思いで求めてゆかねばならぬということです。

めいめい一人一人の心にお釈迦様とも弥勒様とも寸分違わぬ尊い心を持っています。他人を批判せずに自らも責めることなく、どうぞこの心に気がついてください。

この自己の問題を放棄して、ただ漠然遠くに仏様を仰いでいるようでは、自分自身を見失います。

桃水和尚のところへ、一日に何万遍も御念仏を唱えているという方が来ました。

桃水和尚に、自分は一日に何万遍念仏を唱えておりますが、どうかその上の教えをお示し下さいとお願いしました。

桃水和尚は、歌を一首示しました。

念仏を強いて唱(もう)すもいらぬもの
 もし極楽を通り過ぎては

 
横田南嶺

宿を借すぞや 阿弥陀どの

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