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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.05.02
今日の言葉

一日を楽しく生きる

月刊PHPは、私の知る限りでは、日本の月刊誌の中でも最も発行部数が多いものだと思います。

今年の一月号から、「心に禅語をしのばせて 生きるための禅の言葉」という連載を頼まれて書いています。

六月号が早くも届きました。

私の連載は、禅語を揮毫した書とわずか四百字の文章であります。

六月号でとりあげているのは、「形(かたち)直(なお)ければ影端(ただ)し」という言葉であります。

形が真っ直ぐならば、その影も真っ直ぐであるということから、身体が真っ直ぐであれば、心も正しくなるという意味で用いています。

坐禅をするのに、腰骨を立てて姿勢を調えていると、自然と心も調うことを書いておきました。

森信三先生は、

「もししっかりした人間になろうと思ったら、先ず二六時中腰骨をシャンと立てることです。

心というものは目に見えないから、まず見える体の上で押さえてかからねばならぬのです。

したがって正しい心を整えるには、先ずからだを正し、次いで物を調える事から始めてゆかねばならぬのです。

 私は今、人から「子供の教育上なにが一番大事か」と問われたら、一瞬の遅疑もなく「それは常に腰骨を立てる人間にすることです」と答えます。

この立腰を我が子にしつける事が出来たら、これこそ親として我が子への最大遺産と言えよう。

しかしそれだけにまた容易ならぬ事と言えます。」

と仰せになっています。
 
六月号の特集は、「一日が楽しくなるとっておきの秘訣」というものです。

そのなかに、「僕は、僕を認める!」という青羽悠さんの文章がありました。

青羽悠さん、どこかで名前を聞いたことがあるなと思いました。

京都大学在学中に出したという小説『凪に溺れる』という本を読んだことがあるのでした。

私は普段小説は読まないのですが、新聞に大学生が小説を書いたというので、この頃のお若い人はどんなことを考えているのかと思って、珍しくその小説を買って読んだのでした。

青羽さんは、楽しいという感覚は何とも捉えどころもない、曖昧なものだと書かれています。

それよりも「認めることに重きをおく」というのです。

「原稿用紙数枚分は小説を書き進められた。

夜ご飯を自分で作って食べた。……

そういう一つひとつのことを点検し、ほどほどに頷いていく。

まあよくやったよ、まあそんなものだよ」

というように書かれています。

こういう感覚は私も同感なのです。

私も、毎日「まあ、こんなものだよ」と思って暮らしています。

「あなたの笑顔は武器になる」という題で、ヨシダナギさんという方が書かれていました。

フォトグラファーという方であります。

この方が大事にされていることのひとつに、母からもらった「人生の知恵」があるというのです。

七歳の時、母が告げたそうです。

「あなたの顔は世間一般としてはそんなに可愛くない」と。

驚きの言葉です。

そのあとに、「でも、笑顔には愛嬌がある、それはあなたの武器だから、笑顔でいなさい。必ず助けてくれる人がいるから」と言われたのでした。

ヨシダさんは、「これは真実でした」と書かれています。

このヨシダさんが、日々楽しく過ごすコツとして、幸せのハードルを下げることを書かれています。

「楽しいことは、求めればキリがありませんが、苦がない状態なら、すぐ実現できます。

「今日も生きている」だけで幸せになれる……」

というのです。

これも同感です。

私は、有り難いことに毎日を楽しく過ごしています。

それは何も特別なことがあるから楽しいのではありません。

やはりなんと言っても、毎日の坐禅が楽しいのであります。

毎日、毎日同じ坐禅は一度もありません。

毎回新たな発見があります。

そこで思うのですが、私の幸せのハードルというのは、毎日坐禅すれば幸せなのだということであります。

四十数年貫いてきたことは坐禅くらいです。

十歳の時にはじめて坐禅して、ここに真実の道があると直観して、ずっとこれだけを行ってきました。

この年になっても、車の免許も何の資格も持たず、僧の資格ひとつのみ。

しかも出来ることと言えば坐禅のみ。

それだけで楽しいし、幸せなのであります。

坐禅というよりも、腰を立てて、呼吸をしていれば、それだけで十分に楽しく幸せなのであります。

そうして坐っているだけで、自然に笑顔になれるものです。

人生で、こんなすばらしいものに出会えたことが、幸せだと思っているのであります。

こんな坐禅の有り難さ、この素晴らしさ、楽しさを少しでもお伝えできれば、もう十分なのであります。

なんといっても手間暇要らず、場所もとらず、費用もかからずなのであります。

 
横田南嶺

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