icon_arrow-r_01 icon_tryangle icon_search icon_tell icon_download icon_new-window icon_mail icon_p icon_facebook icon_twitter icon_instagram icon__youtube

臨済宗大本山 円覚寺

臨済宗大本山 円覚寺

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ 2025.05.13 更新
  • 法話会・坐禅会・
    写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • 円覚寺売店
  • 弁天茶屋
    (休業中)
  • お知らせ
  • Q&A
  • リンク

© 2019 ENGAKUJI
ALL RIGHTS RESERVED.

お問い合わせ

2016.08.06

「心の過剰な反応」 一日一語 112

blog-DSC06046

横田南嶺老師が先日の日曜坐禅会(5月19日)で提唱されたことをまとめてみました。

  何ものにもとらわれることがない。坐禅というものは、まず、外の世界に対して

善悪の境界を起こさない。分別をしない、分け隔てることをしない。

 真理は、皆一つのものと言うんでありましょうけれど、なかなか、

一変に一つのものとはいかないまでにしても、皆、それぞれ相かかわりながら、

一つながりに繋がっている。

 そこに分け隔てることは無意味であると冷静に見ていくことが大事で

ありましょう。外のものに対して心が過剰に反応をしない。過剰に反応

するということは、分別する、分け隔ててしまって、執着をしてしまって

いることです。

 これが苦しみなんです。苦しみを造り出しているものは、外の世界ではない

ということをよく自分の心を観察して苦しみの様子をまずよく知ることが

苦しみから抜け出すことの大切な要因です。

 いや、そうではない、環境が私を苦しめているとか、あの人が私を苦しめているとか

そう思う、思わざるを得ない様子も私共は十分理解ができるのでありますが

しかし、真実は、やはり、それに対する自分の過剰な心の反応が自分自身を

苦しめているのであります。

 それで坐禅というものは、外の世界に心が振り回されないようにする。

ただ、無心に、ただ、聞いている。これが坐禅の要領です。

「心の過剰な反応」 一日一語 112

前の記事
次の記事

カテゴリー

臨済宗大本山 円覚寺

〒247-0062 鎌倉市山ノ内409  
TEL:0467-22-0478

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ
    • 管長侍者日記
    • ビデオ法話
    • 回覧板 (おしらせ)
  • 法話会・坐禅会・写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • お知らせ
  • リンク
  • 円覚寺売店
  • 弁天茶屋(休業中)
  • Q&A
  • お問い合わせ