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臨済宗大本山 円覚寺

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2013.01.21

心を籠(こ)める

1月21日(月) 制末大攝心・2日目
 管長様が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
 何においても心を籠(こ)めるということが大切であります。
おおざっぱに、ただ、バタバタとやるのではなく、一つ一つに
心を籠めていく。
 坐禅をするときには、一息一息、一呼吸一呼吸に心を籠めていく。
この心を籠めていく、その心こそが仏であります。
 そのことに気がついて、その一つの教えを伝えてきたのが、
お釈迦様以来、ダルマ様などの祖師方であります。
 中国、唐の時代の禪僧、馬祖道一禅師は、そのお示しの中に
「心を籠める、その心こそが仏である、こう信ぜよ。」と
仰せになっています。仏様と思って手を合わせる、その手を
合わせる心こそが仏であると。
 ダルマ様がはるばるインドから中国に渡り、お伝えしようと
したのは、この一心、この心に他なりません。この心とは別に
仏様はよそにありはしない。仏の他に別に心なしであります。
 天地(あめつち)の 心はおのれの 心なり
    ほかに心の ありと思うな
 天地一杯の仏心こそ、わが心であります。それ以外によそに
心はありはしない。自分自身、これが仏であります。
 「見たり、聞いたりしているもの、今ここで確かにこうして
生きているもの、これこそ、なるほど、仏である。」とこう
気がついてもらいたい。それが、今に到るまで連綿と伝わっている
お釈迦様の教えであります。
 
 

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