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臨済宗大本山 円覚寺

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2012.10.04

煩悩について

10月4日(木)
 管長様が暁天坐禅会の方との質疑応答の中で「煩悩について」
お答えになった事をまとめてみました。
 煩悩のもとは何か?と問われて、強いて言うならば、我々の
生きているいのちそのものなんです。煩悩と仏心は別物だと
思いますか?相反するものだと思いますか?
 水に喩えるならば、津波・洪水といった恐ろしい面に遭遇した
人はもう、水は恐怖でしかありません。しかし、水の本質は何であるか?
と尋ねていくと自分たちが毎日飲んでいるのも同じ水であります。
自分のいのちを支えているのも同じ水です。それどころか、私達の
この体も水でできています。
 津波・洪水のように現象だけを見ると、きわめて恐怖の対象に
なることもあります。こころも同じであります。こころのはたらきに
煩悩という名前をつけたら、犯罪や暴力といった「悪いもの」に
なってしまいますが、煩悩もいのちそのもののはたらきなんであります。
 水が津波・水害となる一方で同じものが恵みの雨、私達のいのちの
支えになるように、煩悩もいのちそののはたらきと同じなんであります。
 そうとはいえ、やはり人に攻撃的となるような煩悩は制御して
いかなくてはなりません。
 お釈迦様は「川を治めるようにこころをおさめなさい。」と仰せに
なっています。
 煩悩をきちんと自分で制御できるようになると、だんだんと
煩悩の本質と仏心の本質が変わらないと気付いてきます。
そうなればあえて断除する必要はありません。
 全部煩悩がなくなってしまうことは生きることを否定すること
と同じであります。ですから、人を攻撃するような、被害を
与えるような煩悩を抑えて、人に喜んでもらいたいというような
良い欲望に変えていくことが大切であります。
 煩悩の本質は仏心と一つであります。
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(後記) 今朝は、年2回の恒例となりました、暁天坐禅会の方々
(16名)との粥坐会でした。会場は如意庵さんで
和尚様が用意されたお粥をみなでありがたくいただいてから、
本堂へ移り、管長様をお招きしての質疑応答の時間と
なりました。
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 管長様と暁天坐禅会の方々との活発な質疑応答が行われました。
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 管長様は一つ一つの問いかけに、和やかな雰囲気の中で
真摯に丁寧にお答えになっておられました。
blog-DSC00096.jpg
 夕方から仏殿での達磨忌宿忌に出席して参りました。
明日10月5日は達磨大師のご命日です。午前5時半から仏殿で
法要が営まれます。
 

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