煩悩・妄想も仏様の心
7月20日(水)
管長様が淡青会坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
煩悩・妄想がなくなって、そうして仏様になるのでは
決してありません。煩悩・妄想は実は仏様の心と裏表、
同じであり、どうはたらくかの違いにすぎません。
夏になると夏草が生えてたいへんですが、それを
夏草と見るか、一つの景色と見るかです。生えすぎて
人の通れないほどになりますと「煩悩」ですし、ほどよく
生えていたら一つの景色ですから、「悟り」です。
間違って夏草を薬剤を使って全部枯らせてしまうのは
これはよくありません。煩悩が全部なくなってしまったら
仏でもありません。草を全部枯らせてしまったら、虫も人も
住めないのと同じです。煩悩・妄想も邪魔にならない程度に
せめて人様の迷惑にならない程度にほどよくあれば、それは
一つの景色なのです。
坐禅をしても、なかなか煩悩・妄想はなくなりません。
それでいいのであります。
ほどよく煩悩・妄想があるからいろいろな人の苦しみ
悲しみがわかるのであります。煩悩・妄想がいろいろ湧いて
仕方がないという苦労をしているからこそ、煩悩・妄想のことで
相談に乗ってあげることもできるのであります。
(後記)
本日は、午後から本山に、明日から始まる夏期講座の
準備のお手伝いに行って参りました。
「椅子もいいが、わしは座布団じゃ!」
今年から、椅子席を増やしました。約250席用意しています。
とはいえ、健康な方は、なるべく座布団席にお願いします。
管長様の無門関提唱は、8時半から始まります。詳しくは
円覚寺ホームページまで。