2018年4月26日

止観双運


横田南嶺老師が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。

禅定の根本は、心を一つに集中をさせるということで、これが我々の禅定の修行の

土台です。しかしながら、この禅定とともに、止観という言葉があるように、

観(かん)という、智慧というような、よく観(み)るという働きが

なくてはならない。

 止と観の両方をおさめていくことが大切であると『天台小止観』には説かれている。

心を一つに集中をする、それだけであって真理を観察する智慧がなければ、

そのような禅定は誤った禅定となってしまいかねない。

 逆に集中することなくして、ただ、智慧ばかりでは、これもまた、十分な力を

発揮することができない。心が動揺をしてしまう、または、狂った智慧とも

なりかねない。

 禅定のない智慧もダメであって智慧のない禅定も不十分である。

この二つは非常に大切な問題です。

 心を一点に集中をさせる、臍下丹田に集中をさせる、心を散乱しないようにする。

公案なら公案、無字なら無字で一枚になる。それでも、また、心が動揺を

してしまったり、集中が十分でない場合は、自分の心の様子を冷静に

観察をする。これも、『天台小止観』に説かれている。

 歩きながら足が上がる下がるのその動きをよく観察する。さらに、呼吸の

出入りの様子を観察をする。これは、心を観察するための準備でもある。

足の動きの方が大きな動きですから観察しやすい。さらに微かな呼吸の様子を

観察し、そして、さらに、自分の心の様子を観察する。

いろいろな念というものは、確かに浮かんでくる。それは、止むことはない。

しかし、浮かんでは消えていく様子をただ、客観的にずっと観察をしていく。

すると、念や思いに引き込まれてしまわないように、あくまでも冷静に

観察をし続けていけば、それらは、どの様な念であろうと、一瞬のうちに

生じては滅すを繰り返しているだけで、何ら実体のない、いわゆる無常であると

わかる。無常であるから、とらわれるものでないということが観察をすることで

見えてくる。

 そして、観察が出来るようになると、なお、一層、禅定が深まるようになる。

禅定が深まるとなお、心の様子が観察することができるようになる。

 そのようにして、禅定と観察、禅定と智慧、止と観とを平等におさめていくと

心の底から、深いところから、こういう和らいだ気持ち、いくつしみの気持ち、

落ち着きが沸々と湧いてくる。

 生きとし生けるものに対する思いやりやいくつしみの心が自然と湧いてくる

ということが『天台小止観』に説かれている。臍下丹田に心を落ち着ける、

心を一つに集中をさせる止の修行と心の移り変わりの様子を観察する智慧

の修行とを実践をしていけば、深い禅定に入ることができて、そこから、

生きとし生けるものに対するいくつしみの心や思い遣りの心が湧いてくる。

これが私たち大乗仏教の大事なところです。

{平成30年4月26日 横田南嶺老師『武渓集提唱』}

2018年4月25日

4月28、29日どなたでも参加できる円覚寺の坐禅会

さて、今週末(4月28、29日)の円覚寺でどなたでもご自由に参加ができる行事の紹介です。

4月28日(土)は、

●13:10~14:20 土曜坐禅会 初心者の部 @居士林

 初心者を対象とした坐禅会です。初めに、呼吸や体に意識を向けるなど

準備体操にあたる瞑想をして、心を落ち着けます。それから、体の動きを止めて

静かに15分間くらいの坐禅をします。最後に5分で質疑応答という流れとなっています。

●14:40~15:40 土曜坐禅会 経験者の部 @居士林

20分の坐禅を2回と最後に15分、般若心経、延命十句観音経などのお経を読みます。

(経験者の部では、足の組み方などの説明は、ございません。初めて坐禅をされる方は

なるべく、初心者の部に参加して初歩的なことを体験してくださいますように。)

<土曜坐禅会が行われる居士林堂内>

 4月29日(日)

●8:05~9:50 日曜坐禅会 @大方丈 

8:05~8:20 坐禅

8:30~9:30 横田南嶺老師による「盤珪禅師語録」という禅の語録の提唱

9:30~9:50 坐禅

という内容です。初心者の方には、8:10~20の間で、足の組み方などを説明しますので、

 必ず、時間までにお越しください。

2018年4月25日

止という土台


 境内から山を眺めると野生の藤が色鮮やかに彩っています。

横田南嶺老師が今日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。

 朝比奈宗源老師は、お説きになられました。我々は、皆、仏心を備えている。

井戸を掘れば、必ず水が出ると信じるように、私たちには、必ず仏心が備わっている

から、やれば、必ずできるのである。まず、この信を起こすことが第一である。と。

 そうして、信を起こしたならば、実際に修行をやっていかなければならない。

姿勢を正し、腰を立てて静かに息を調えていく。そうして、下腹部の丹田の一点に

意識を集中させていく。

 止観の修行というのが昔から説かれている。心を集中させるということを

昔の人は、3通りに説きました。

 一つ目は、繋縁(けえん)の止です。それは、心を一点に集中することを言う。

一つのところに繋(つな)げることです。自分の心を臍下丹田の一点に押し付ける。

 あるいは、心が沈んできたならば、鼻先の一点に意識を集中する。

 二つ目は、制心の止です。心を制する、心を抑える。これは、数息観などをやったりして、

心が何かに飛んでいった場合、また、意識が別のことを考えていった場合、

すぐさま、そのことに自分で気が付いて、もう一度、呼吸や心に取り戻すという

修行です。

 心が外に向かって散乱をしてしまうのをすぐに取り戻す。心を制御させるという修行です。

 三つ目が、体真の止です。これは、朝比奈老師の言葉によれば、数息観をして呼吸が

段々と調ってきたならば、今度は、公案と成り切る。外のことを全部振り捨ててぐっと

一枚に成り切るんだということです。

 これが心をして止そのものにせしめるという。無字一枚になるという我々がやっている

修行は、まさにこの体真です。心をして信そのものにならしめる。無字一枚にならしめていく。

こういう修行が止観の止ということです。これが修行の一番の土台であります。

これをよく練っていく。

 心を気海丹田なら、気海丹田の一点に集中をする。そうして、あちこちに散乱するのを

自分で気が付いて、取り戻す。そして、一枚に成り切っていく。これが土台です。

{平成30年4月25日 横田南嶺老師 「武渓集提唱」}

2018年4月24日

身体と心の調え方 


 なんじゃもんじゃの花。@法堂跡

 横田南嶺老師が本日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。

呼吸を調える、身体を調えるということだけでも、これができるようになるまでには、

本当に長いことかかるのもです。また、この攝心が終わったらなら、真向法などを

教えていきたいと思っています。

 私たちは、一般的に悪い姿勢の習慣がついていますから、腰を立てる、

腰が立つようになるには、本当に長い時間がかかります。ですから、

調えていくには、根気よく身体をほぐしていくことが重要で

続けていけば、自然と腰が立った状態が保てるようになります。

すると自然とおへその下、下腹部が充実する。

 しかし、どうしても、お腹に力を入れるというと、腹筋、筋肉に力を入れてしまったり、

胸が張ってしまったり、腰を過度に入れ過ぎてしまったりしてしまいます。

 理想なのは、おへその上、上腹部のあたりがふっと緩んだ状態で、それでいて腰が

立っている状態です。

 こういう風に姿勢を調えたら、次に呼吸を調えていく。『天台小止観』に説かれて

いるのは、風・喘・気・息です。

 風というのは、ハーハーと音のする息のこと。これは荒い呼吸です。

喘というのは、あえぐという意味ですが、風ほど大きな音はしないけれど、

まだ、呼吸の乱れがあるものです。気というのは、音もしない静かな呼吸と

なってくるのですが、しかし、もう一歩足りないという呼吸です。

風・喘・気のこの3つでは、まだ、ダメであって、最後が息となります。 

息というのは、音もなく乱れもない、荒くもなく、まるで、呼吸をしているのか

していないのかわからないような微かな呼吸です。

 それを昔の人は、鼻の頭に鳥の羽を置いて、それで呼吸をしても、

微動だにしないような呼吸と表現をしています。そのような、なめらかな

静かな呼吸に調えていく。

 その為には、いつも心を下の方に、臍下丹田に向けて集中していくことです。

呼吸が単に鼻から出入りするだけでなくして、まるで全身の毛穴から静かに

外に出て行ったり、入って来たりしている様子を静かに見つめていくような状態に

していく。そうして、心を調えていく。

 心を調えようとすると、惛沈(こんちん)掉挙(じょうこ)と言いまして、

心が沈んできたり、または、逆に浮ついて来たりします。惛沈の時は、

気持ちを上に上げる。鼻の頭に意識を持っていく。一方、いろいろなことが

思い浮かんでしょうがないとうような掉挙の時は、おへその下に意識を

持っていく。

 また、寛といって緩んでしまう、だらっとしてしまう時には、なお、

姿勢を意識して調えていき、特にお尻をきゅっと引き締めて坐る。

 そのように段々と呼吸を調えて心を平静にしていく。

 次の段階では、心をおさめる、調えるだけではなくして、今度は、

さらに一歩進んで、善い欲を起こしていく。単に欲を離れるとか、

心をおさめようとするだけだと消極的になるので、善い欲を持つようにする。

 善い欲とは、「一生懸命、修行をしていこう」や「少しでも良い禅定に入れる

ように」「少しでも善い人間なれるように」のような欲で、こういう善い欲を

かき立ていく。

 そして、精進、努力をやめない。それから、念と言って、常に思うことが大事です。

姿勢を調えるとか呼吸を調えることを常に意識して、意識から外れないようにしていく。

 それから、その次には、正しい智慧を保っていく。二度と再び五欲を追うような

愚かな生き方には戻らない。何が正しくて、何が愚かであるか、何が賢明な生き方で

あるのかということを常に智慧を持って判断して見失わないようにしていく。

 そうして、最後が一心です。心を一心に定めて動ずることがない状態にして

禅定に入っていく。

 善い欲を持つ、精進努力、意識して忘れない念、智慧を持つ、一心につとめる

という五つの法によって、さらに深い禅定へと入っていく努力をしていくことが

大切です。

{平成30年4月24日 横田南嶺老師「武渓集提唱」}

2018年4月23日

「独坐大雄峰(どくざだいおうほう)」

百丈禅師にある僧が質問をしました。「いかなるかこれ奇特(きどく)の事」と。

奇特とは、めったにないこと、すばらしいことをいいます。

修行をしていくとどんなすばらしい事があるでしょうかと聞いたのです。

百丈禅師は、「独坐大雄峰(どくざだいおうほう)」と答えました。

大雄峰は百丈禅師がいらっしゃった山のことをいいます。

今自分がこの山にこうして坐っていることだと答えられたのです。

坐禅していると、どんなすばらしい事が起こってくるのか、

なにかめったにないようなことが起きるのか思うかもしれませんが、

ここにこうして坐っている、このこと以上にすばらしく貴いことはないのです。

今ここにこうして坐って息をしている、これ以上のことはないと気がつくことが大切です。

{平成30年4月23日 横田南嶺老師 「武渓集提唱」}

2018年4月23日

「五欲を離れ、五蓋を除く」


坐禅をするには古来「五欲を離れ、五蓋を除く」と説かれます。

五欲は、眼耳鼻舌身が外の世界に触れて愛着を起こすことです。

目で見たもの、耳で聞いたもの、鼻で臭いを嗅いだもの、舌で味わうもの、

身で触れるものにそれぞれ心地好いと思い愛着を起こすことです。

この五欲を離れるには、五欲は結局人を害し、苦しみをもたらすものでしかないと

はっきり見極めることです。

五蓋とは何かをいえば、心は本来清浄な仏心なのですが、五つの蓋が覆いかぶさっているのです。

まず第一は貪欲です。無性に欲しがるのです。この貪欲が蓋になってしまっています。

次には怒りです。気に入らないことに腹を立てます。これが本来の心の妨げとなります。

第三には、昏沈睡眠(こんちんすいめん)といって、心が重く暗くなって沈んでしまうことです。

だるくてやる気が無くなり、とろーんとして眠くなったりします。

第四には掉挙(じょうこ)といって、心が高ぶって落ち着かなくなることです。

そして第五には疑いです。自分が信じられなくなります。

心が沈んでいるときには、坐禅をして姿勢を正し呼吸を調えて、意識を鼻端に置くようにして心がけます。

心がざわついて落ち着かない時には、同じように姿勢を調えて、呼吸を静かにして、

意識を下の方の丹田にもってゆきます。疑いが起きて、自分が信じられないなら、

今日までどうしてやってきたか考えてみるといいでしょう。自分にやれるかどうか、

疑いが起こったら、自分を生んで育ててくれた親のこと、

親の思いや願いがこもって生きてこられたこと、

ここに修行に来るにもまわりの人達が理解し支えてくれたからこそ、

来られたこと、たくさんのご縁が実ってここに来ているんだと思えば、

疑いが晴れて自信が湧いてきます。

{平成30年4月23日 横田南嶺老師 「武渓集提唱」}

2018年4月22日

「人間として生きる」


シャガ

洪川老師は、我々が修行をしてゆくことを、大きな家を造ることにたとえました。

大きな家を造るには基礎がしっかりしていなければなりません。

大木に根がしっかり張っているのと同じです。花や枝は目に見えますが、根は見えません。

我々の根とは何でしょうか。親が私達を産んで育てて下さったこと、

今日まで色んな人のお世話になってきたこと、それらすべてが根です。

根には、養分が必要です。様々なことを学び深め、そしてじっと堪え忍ぶことによってこそ根が深くなります。

深く根を張り、しっかりした基礎を築いてこそ、大木にもなり、大きな家も建てられます。

人間として生まれたからには、人間として生き、人間らしい人間になることが勤めであります。

その為にこうして坐禅をし自己をみつめ、目に見えない修行に励むことです。

{平成30年4月22日 横田南嶺老師 「武渓集提唱」}

2018年4月20日

僧堂 開講


 今日、円覚寺専門修行道場(僧堂)では、雨安居(4~7月)の開講でした。

雨安居期間は、毎月1週間の大攝心(集中坐禅修行)があり、大攝心中は、毎日

円覚寺僧堂の師家である横田南嶺老師による提唱(禅の語録の講義)があります。

 読経する雲水。円覚寺僧堂では、今年、7名の新到(新入僧)が加わり

全員で26名となりました。

 雲水さんは、今日から26日まで1週間、禅堂に籠り坐禅修行に精進します。


提唱台上の横田南嶺老師。


 杖を持ち雨安居の偈頌(宗旨をうたった漢詩)を唱える老師。

 雨安居偈頌。

安居結制す、万年の顚

道の為に頭を聚めて法筵を開く。

語を寄す、満堂の龍象衆、

放身捨命、真禅を究めよ。

 「安居結制す、万年の顚、道の為に頭を聚めて法筵を開く。」

老師曰く「こうして万年山に安居結制します。お釈迦さま以来の伝統に則って、皆が一所に集まります。

仏道を求める為にこうしてお互い集まって摂心をして講筵を開きます。

「語を寄す、満堂の龍象衆、放身捨命、真禅を究めよ」。

わが身を放ち命をも捨てん覚悟で、禅の真実を究めて欲しいのであります。

今ここに生きているいのちは何か。今話を聞いているこの一念がなんであるか、

これを究めてゆくのです。禅を究めるといっても、長い間坐るとか、

たくさんの禅語を覚えることではありません。

この一念を見つめて、この一念が無量の命であると気づくことです。

この一念こそ仏心そのもの、無量劫来連綿と伝わる命そのものであります。無量寿なのであります。

そこに目覚めるのが見性悟道であり、禅の道であります。どうぞ各自精進して、

この一念を明らかにして欲しいと願うばかりであります。」

2018年4月19日

管長 花園大学総長として講義

 円覚寺派管長・横田南嶺老師は、先日の4月17日に京都にある花園大学にて

「新入生に伝えたい禅の心(大木に学ぶ)」という題のもと、ご講義をされました。

 学生から一般まで、大勢の方々が聴講をされました。

 次回以降の花園大学での横田南嶺老師による講義は、5月8日(火)6月12日(火)

いずれも時間は、10:40~12:10の予定となっております。

無料公開講座ですので、どなたでも聴講することができます。

 近郊の方は、お誘いあわせの上、ぜひ、ご参加ください。

2018年4月19日

4月21、22日どなたでも参加できる円覚寺の坐禅会


 今、境内では、藤と新緑が見頃を迎えています。

さて、今週末(4月21、22日)の円覚寺でどなたでもご自由に参加ができる行事の紹介です。

4月21日(土)は、

●13:10~14:20 土曜坐禅会 初心者の部 @居士林

 初心者を対象とした坐禅会です。初めに、呼吸や体に意識を向けるなど

準備体操にあたる瞑想をして、心を落ち着けます。それから、体の動きを止めて

静かに15分間くらいの坐禅をします。最後に5分で質疑応答という流れとなっています。

●14:40~15:40 土曜坐禅会 経験者の部 @居士林

20分の坐禅を2回と最後に15分、般若心経、延命十句観音経などのお経を読みます。

(経験者の部では、足の組み方などの説明は、ございません。初めて坐禅をされる方は

なるべく、初心者の部に参加して初歩的なことを体験してくださいますように。)

<土曜坐禅会が行われる居士林堂内>

4月22日(日)は、 

●9:00~11:00 日曜説教坐禅会(円覚寺派布教師和尚による法話と坐禅) @大方丈

 老若男女が集うお説教と坐禅会です。初めての方も多く参加されています。

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ー日曜説教坐禅会が行われる大方丈ー

 皆様のご参加を心よりお待ちしております。

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