2015年12月19日

一日一語 69

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<被写体を探していたら、偶然、目の前に飛んで来て枝にとまってくれました。

「鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ」という気迫が伝わってきました。>

 お釈迦様は、「空にあるも 海にあるも はた山間にあるも 窟に入るも

およそこの世に 死の力の及び得ぬところあらず」と仰せになりました。

 坂村真民先生の菩提寺が昨年燃えてしまいました。真民先生が、

もっとも心の頼りとされていた一遍上人の重要文化財のお木像も

燃えました。「愛媛新聞」の写真を見ても、本堂の柱をわずかに残して

全焼です。その写真をみて私は茫然としました。

 祈るしかありません。そして、このすべて燃えた寺をご覧になっていたら、

坂村先生は何と仰せになるであろうか。どんな詩をお作りになるだろうか、

ずっと考えていました。やはり、坂村先生は、その焼け跡をご覧になっても、

「生きねばならぬ」と仰せになったと思うのです。

~ 鳥は飛ばねばならぬ

  人は生きねばならぬ

  怒涛の海を

  飛びゆく鳥のように

  混沌の世を生きねばならぬ

  鳥は本能的に

  暗黒を突破すれば
 
  光明の島に着くことを知っている

  そのように人も

  一寸先は闇でなく
 
  光であることを知らねばならぬ。~

(坂村真民全詩集 第3巻より}

{南嶺老師著 『祈りの延命十句観音経』(春秋社)より}

2015年12月18日

一日一語 68

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<写真投稿 KN様>

 これからは、禅宗だからといって本を読まなくてよいというのではいけません。・・・

 こうして学ぶということは、様々な考えに触れて、自ら疑問を持ち、

そこから自ら勉強して、自分でものを考える努力をして欲しいからです。

{平成27年12月17日 僧堂『致知』読書会にて}

2015年12月17日

今週末、どなたでも参加できる円覚寺の行事

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<写真・文投稿 春竹様>

「葉撮影のため龍隠庵に行き、しばらくすると曇ってきました。

これではせっかくの鮮やかな葉の色も寂しくぼやけてしまいます。

今日はあまり良い写真がとれないかも。私は少しがっかりしながら、

龍隠庵からの階段を下ってきました。

下り切る少し手前でなんだか良い香りがしました。みると、一輪の水仙が咲いていたのです。

近づいてみるとやはり良い香りがします。この一輪でこんなにはっきりと香るはずはないと

あたりを探しましたが、見当るのはやはりこの一輪だけです。

香りは保管することができません。そこにいないと感じられません。

私は水仙が『写真もいいけど、今を見て楽しんでください』と教えてくれたように思いました。」

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<写真・文 投稿 KN様>

「私の好きな龍隠庵の庭越しに紅葉を見た写真です。

この庭の熊笹が気に入っているのですが、紅葉が熊笹との組合せによって

一層艶やかです。」

 さて、今週末(12月19日、20日)の円覚寺でどなたでもご自由に参加ができる行事の紹介です。

12月19日(土)は、

●13:10~14:20 土曜坐禅会 初心者の部 場所:居士林

 初心者を対象とした坐禅会です。初めの20分で足の組み方などを丁寧に説明し

します。お子様、親子でも安心してご参加いただけます。そのあと、10分の坐禅を2回、

最後に5分の質疑応答という流れとなっています。

●14:40~15:40 土曜坐禅会 経験者の部 場所:居士林

20分の坐禅を2回と最後に15分、般若心経、延命十句観音経などのお経を読みます。

(経験者の部では、足の組み方などの説明は、ございません。初めて坐禅をされる方は

なるべく、初心者の部に参加して初歩的なことを体験してくださいますように。)
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<土曜坐禅会が行われる居士林堂内>

 12月20日(日)は、

●8:05~9:30 日曜坐禅会(伝心法要提唱)場所 大方丈

15分間の坐禅と円覚寺派管長・横田南嶺老師による「伝心法要」(禅の語録)の提唱

という内容です。初心者の方でも、最初に足の組み方などを説明しますので、

 安心してご参加いただけます。
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<日曜坐禅会の風景>

 なお、土曜坐禅会、土日坐禅会、日曜坐禅会ともに今年は、これで最後となります。

来年は、1月9日(土)から再開となります。

 皆様のご来山を心よりお待ちしております。

2015年12月17日

北鎌倉幼稚園 餅つき

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今日は、午前中、円覚寺僧堂に於きまして、毎年恒例の北鎌倉幼稚園の餅つきが

行われました。返し手に横田南嶺老師、つき手に雲水さん。ある程度まで、

お餅をついておいて最後の仕上げを園児がつくという方式です。
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主事和尚さんと先生といっしょに。
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園児たちの「よいしょ!よいしょ!」の掛け声の中、雲水さんがお餅をついています。
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年中さん組の餅つきが終わって、南嶺老師や雲水さんに「有り難うございました!」の挨拶の様子です。
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(後記)

先日の日曜説教会では、横田南嶺老師ののどの調子があまり優れないと

ご心配にされた方が多くいると思いますが、今日は午前中は、幼稚園の

餅つきをし、午後からは鎌倉市二階堂にある瑞泉寺の開山忌に出頭されるため、

片道4キロを走って行くまでに快復されました。

 

2015年12月17日

一日一語 67

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お釈迦様がお亡くなりになるときに、このお弟子の迦葉尊者に言われたという

言葉があるんですね。それはお月様です。お釈迦様はお月様を見なさいと。

人々は、お月様が現れると、お月様が出たと思うと。で、お月様が沈んで

しまうと、お月様が隠れたと思うと。でも、お月様は決してなくなったわけ

ではないと。これは分かりますね、新月の晩、これはお月様は見えません。

あるいは、お月様が出ていたとしても、雲が出ていればこちらからは見えません。

でも、お月様は決してなくなったわけではありません。それと同じで、

亡くなった方も、こちらからは見ることができないからといって、

決していなくなったわけではないと、そういうことがいえると思います。

 その辺を仏教詩人の坂村真民先生は、昼の月、という詩で表現して

くれております。

「昼の月を見ると母を思う

こちらが忘れていても

ちゃんと見守って下さる

母を思う

かすかであるがゆえに

かえってこころにしみる

昼の月よ」

(坂村真民全詩集第2巻より)

昼間でもお月様は出ているんですね。こちらからは見ることは出来ません。

こちらは、昼間は仕事で忙しいだ何だって忘れています。でも昼の月が

ずっとこちらを見てくれているように、亡くなった方は、私たちのことを

ずっと見守ってくれているんだという、こういうこころでございますね。

{月桂寺発行冊子 『横田南嶺老大師御法話』より}

2015年12月16日

一日一語 66 

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確かに宗教というのは、あまり、のめり込んだり、狂信的になると、

これまた多少、困った面も出て参りますけれど、おおらかな意味で

宗教心を持つということは、大事なことだと思います。

 でその、宗教心というものは、どういうものであるかといいますと、

こういうことを聞いたことがございます。

 それは、目に見えないものに対する恐れであると。目に見えないものに

対する恐れ、慎みというでしょうかね、恐れ慎む気持ちであると。

その目に見えないものを神様といったり、あるいは仏様といったり、

あるいは何ですかね、イスラムですと、アラーといったり、ま、様々な

言葉で表している、言葉の違いではないかと、いうようなことをいった

方がおります。

 確かにこの、目に見えないものに対する恐れ、目に見えないものを

大切にするという心は、私たちは、非常に大事だと思います。

{月桂寺発行冊子 『横田南嶺老大師御法話』より}

2015年12月15日

一日一語 65

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<夕日の照らされる山>

何年か前に私は、少年院にずっと長年勤めていた人から聞いた話があるんですね。

少年の犯罪、特に(その方が務めていた)少年院というのは、重い犯罪を犯した少年が

来るんだそうですね。そこでね、二十年、三十年、ずっと面接をやっている

人が、私に言ってくれたことがあるんですね。

 そういう少年で、重い犯罪を犯した子供たちの面接をずっとやってきて、

自分が気がついたと。そういう子供たちには、共通していることが一つある

というのです。何ですか、と聞くとそれは、お墓参りをしたことがないと。

 お父さんやお母さんと一緒に、お寺やお宮にお参りしたという経験がないと、

そういうことを言ってくれてましたね。でその方は、ですから、なるだけ、

昔は、小さな子供を連れてお墓参りにいったんですね。ああいうことは、

決して無駄ではないと思いますと。何か子供の心に、感じるものが

あるんだと思うんですね。・・・

{月桂寺発行冊子 『横田南嶺老大師御法話』より}

2015年12月14日

一日一語 64

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<山門>

弘安四年の元寇の際には、日本兵も元の兵士も前線に駆り出された南宋の人たちも

大勢亡くなりました。南宋の人たちは(円覚寺の開山)仏光国師にしてみれば祖国の人たちです。

我が祖国が元に滅ぼされ、その人たちが敵兵となって日本に来襲してきたのです。

 ですから仏光国師にとっては死者に敵も味方もなかったのでしょう。こういう

言葉を残しています。これは仏光国師の語録を集めた『仏光録』巻四に収められた

言葉です。

此軍及び他軍、戦死と溺死と、萬衆無帰の魂、唯願わくは速やかに救抜して、

皆苦海を超ゆることを得、法界了に差無く、怨親悉く平等ならんことを。


(こちらの国の人もあちらの国の人も、戦死した者も水に溺れた者も、すべて帰る

ところのない魂でsる。そういう人たちの御霊を速やかに救って、皆を苦しみの

海から引き上げてやりたい。仏法の世界には敵味方の違いはない。恨みや親しみに

関係なく、すべてが平等あることを願うのである。)

 「帰るところのない魂」といったとき、仏光国師の頭にはおそらく南宋のことが

あったと思います。帰ろうにも帰る祖国はすでにない。その無念の思いをこの言葉に

表したのでしょう。そういう人たちの御霊を救ってあげたい。人間の命には敵も味方も

ありはしない。敵と味方に分かれるのは一時のことで、終わりは平等である。これが

仏教の空の思想です。こういう考えに立って、仏光国師は両軍の兵士を弔うために

円覚寺を開創したのです。

「怨親平等」というのはもともと仏法にある教えです。今の世界では恨みと恨みを

ぶつけ合うような争いが続いていますが、いくら争っても何もよいことは生まれない

でしょう。元寇の際には、壱岐対馬の住人が元の兵隊に虐殺されました。しかし、

戦が終われば敵味方なく平等に供養するというのが「怨親平等」という教えです。

{南嶺老師著 『禅の名僧に学ぶ生き方の知恵』(致知出版社)より}

2015年12月13日

一日一語 63

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 お釈迦様の教えを学ぶには、経典から学ぶことが一番ですが、大自然の姿からも

学ぶことができます。一輪の花が咲いている、その姿にも十分に学ぶことができます。

 花は無常であり、もろくはかないものです。明日にはもう散ってしまうかも

しれません。しかし、決して愚痴を言わずに、与えられたその場所で、精いっぱい

お日様の光を浴びて今のひとときを咲いています。

 そして常に明るい方へ、日の当たる方へと枝を伸ばします。はかなくも

もろいからこそ、今日一日を精いっぱい生きることを一輪の花から学ぶことが

できます。

{南嶺老師著 『祈りの延命十句観音経』(春秋社)より}

2015年12月12日

一日一語 62

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 松原泰道先生が「ありがとうの一言がまわりを明るくします、

おかげさまの一言が自分を明るくします。ありがとう、おかげさま、

これこそが南無の精神です」と仰っていました。南無とは帰命とも言いますが

仏様に帰依する事を申しました、仏教の一番大事な心でもあります。

「ありがとう、おかげさま」この一言に仏教のすべてがこめられています。

このいのちがいかに有り難いものであるか、どれだけ多くのおかげさまで

成り立っているのか、はかり知れません。このいのちの尊さを教えることは、

仏教でも一番大事な教えです。

 私たちが生きていくのに何が大切か、いのちあること、今ここに生きている

ことのすばらしさに気付くことが一番大切です。そして、そのいのちを無駄に

しないために、自分が何をすればいいか。・・・

{南嶺老師著 『祈りの延命十句観音経』(春秋社)より}

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