2014年12月14日

日曜説教会 映像

 今日、円覚寺・大方丈で行われた円覚寺派管長 横田南嶺老師による日曜説教会の映像です。

2014年12月13日

明日は日曜説教坐禅会です。

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-百観音と紅葉-

 明日は、円覚寺・大方丈にて日曜説教坐禅会が行われます。

●9:00~10:00 円覚寺派管長 横田南嶺老師による法話

●10:00~11:00 坐禅

 毎回500人近い、老若男女が集うお説教と坐禅会です。初めての方も多く参加されています。

また、同時に延命十句観音経写経会(10:00~12:00 場所 大書院)も開催されています。

どなたでも自由に参加することのできる会です。皆様のご来山を心よりお待ちしております。

2014年12月12日

今週末の円覚寺行事

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-山門 龍隠庵参道から望む-

 さて、今週末(12月13,14日)の円覚寺でどなたでもご自由に参加ができる行事の紹介です。

12月13日(土)は、

●13:10~14:20 土曜坐禅会 初心者の部 場所:居士林

最初に坐り方の説明をしますので、初めて坐禅を経験したい方にお勧めです。

●14:40~15:40 土曜坐禅会 経験者の部 場所:居士林

20分の坐禅を2回と最後に15分、般若心経、延命十句観音経などのお経を読みます。

 12月14日(日)は、 

●9:00~11:00 日曜説教・坐禅会(横田南嶺老師による法話) 於 円覚寺・大方丈

●10:00~12:00 延命十句観音経写経会 場所:大書院

となっております。

 また、東京近郊の方には、明日、横田老師が兼務住職をされている文京区・白山にある龍雲院で

毎月行われている坐禅会があります。横田老師による碧巌録提唱もございます。

●12月13日(土) 8:30~11:30 坐禅の集い(碧巌録提唱) 於 龍雲院(文京区白山5-5-5)

お問い合わせは、TEL 03-3812-5946 龍雲院まで。

 どなたでも自由に拝聴することができます。皆様のご参加をお待ちしております。

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-仏殿 選仏場 龍隠庵参道から望む-

2014年12月11日

冬季宿泊坐禅会 参加者募集中

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-居士林堂内・・・坐禅の風景-

 来る12月24日~26日まで円覚寺内にある在家修行道場・居士林にて

冬季宿泊坐禅会(冬季学生大攝心)が開催されます。

 2泊3日の間、坐る坐禅だけではなく、お食事や掃除など「禅の生活」を体験できます。

禅の修行僧が送る1日に準じたプログラムが組まれています。

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-日天掃除の様子-

 学生だけでなく一般の方も多く参加され、初心者の方にも坐り方から食事の作法まで

説明いたしておりますので安心してご参加ください。

 期間中、2回、円覚寺派管長 横田南嶺老師による提唱(法話)もございます。

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-食事の様子-

 ただし、あくまでも「修行」ですから、ある程度の心構えは必要です。

 修行僧に準じた生活ですから、もちろんエアコンなどはなく、自然の温度の中で坐禅をします。

また、修行期間中は裸足で過ごします。

 いっけん、辛いようですが、そういう環境だからこそ、気づくことも多いはずです。

 参加を希望される方は、11月13日の「居士林だより」または、トップページの「坐禅会」→「学生坐禅会」を

ご覧になってください。

 定員締め切りが近づいて来ていますのでお早めにご応募ください。

皆様のご参加をお待ちしております。

2014年12月10日

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-水月観音-

 選仏場にてお参りすることができます。

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-晩秋の夕暮れ-

2014年12月8日

成道会

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 今日は円覚寺仏殿に於きまして成道会(お釈迦様がお悟りを開いた日を記念して行われる法要)の儀式が

行われました。仏殿本尊の宝冠釈迦如来像の前には、お悟りを開いて雪山を下られた姿を描いた

「出山釈迦像」が掲げられました。
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 円覚寺派管長 横田南嶺老師をはじめ

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宗務総長さんや山内和尚様方、臘八大攝心を終えて凛々しい顔をたたえた雲水さんなどが

出席し儀式が進められました。

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 横田管長が成道会の偈(漢詩)を力強い声で唱えられました。

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<意訳>

 お釈迦様は6年の間ひたすら、いばらの中で坐られた。その間には蘆の芽が膝を穿って

出るほどであったが、それでもひたすら真理を求めて苦しみ尋ねられた。

 今朝は成道会であるが、何も特別に変わった事もない。空を仰げば一点の明星は、

お釈迦様の時代も今も変わることなく輝いている。

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列拝(れっぱい)

blog-DSC00841 抑揚をつけて詠みます。

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最後に「楞厳呪(りょうごんしゅう}というお経を列を成し歩きながら奉読していきました。

2014年12月7日

涼しい風

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-山門と紅葉-

臘八大攝心 最終日

 横田南嶺老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。

「相送って門に当たっては脩竹あり 君が為に葉葉清風を起こす」という言葉は

禅の世界ではよく出てきます。

道元禅師も本来の面目、本来の自分と題して

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」という歌を詠んでいます。

この歌の最後の「すずしかりけり」が素晴らしいといわれたのが坂村真民先生です。

真民先生の詩にはこの涼しさを詠っている詩がいくつかあります。

 {仏教は涼しい風である

 涼しい人 それが 仏身である}

良寛さんの詩は涼しい 一遍さんの念仏のすずしい

西行も芭蕉も きれをもっている

私もこの涼しさが好きである。

 真民先生には「涼しい風」に関してこういう逸話があります。真民先生は40代の頃、四国・宇和島の大乗寺に

毎朝、坐禅に通われていた。たまたま、そこにアメリカの青年が来た。真民先生は「どうして

こんな四国の片田舎にアメリカの青年が禅をやるためにやって来たのか」と不思議に思って

いた。

 ある時に地元の宇和島城を案内していたら、城に上る途中にあった竹林のとこで

その青年が立ち止まってじっと竹を見ている。そして真民先生の方に振り返って

何を言い出すのかと思ったら「これがわかるか?」と言った。

 するとその竹林から涼しい風が吹いてきた。そして、その青年は「この風が禅だ」と

言いいました。真民先生はびっくりしてこんな青年はもう日本をさがしてもどこにも

いないだろう、アメリカの青年だからわかるまいと決めつけてはいけないと反省

させられたそうです。

 もう一つ、真民先生には「涼しい風」に関して忘れられない話があります。

戦後間もないたいへんな時代に真民先生家族は四国に移ることとになってはじめて

真民先生のお母さんを九州から連れて行くことになりました。四国渡る船は小さな

木の船で夜通し揺れている。真民先生の3ヶ月の赤ん坊は泣いてまわりの人からは

うるさいと責められて夜一睡もできない。

 ようやく四国の港に着いて、普通ならこれだけたいへんな思いをしたのだから

えらい目にあったとかと愚痴の一つもでるところ、真民先生のお母さんは一言

「御大師さんの国の風は涼しいね」と言われたのです。

 この涼しさが禅であり仏であります。真民先生の詩の大きな柱の一つになっている

ものであります。

(後記)

 明日は、成道会(お釈迦様がお悟りを開かれた日)です。

円覚寺では、午前10時から仏殿に於きまして

円覚寺派管長 横田南嶺老師をはじめ和尚様、臘八大攝心を終えた雲水さんが

出席をされて盛大な儀式が行われます。どなたでもご自由の拝見することができます。

 皆様のご来山をお待ちしております。

 
 

2014年12月6日

その人が光ってくる

臘八大攝心 6日目

 横田南嶺老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。

滋賀県彦根にある摺針峠には、弘法大師にちなむ逸話が残されています。

 その昔、また諸国を修行して歩いていた大師が、挫折しそうになって、この峠にさしかかったとき、

白髪の老婆が石で斧を磨ぐのに出会います。聞くと、一本きりの大切な針を折ってしまったので、

斧をこうして磨いて針にするといいます。そのとき、ハッと気がついた大師は、自分の修行の未熟さを恥じ、

さらに修行に励んだというものです。

 後に再びその場所を訪れた大師が詠んだ歌が

「道はなほ 学ぶることの 難(かた)からむ 斧を針とせし 人もこそあれ」

です。
 
 我々の修行もこうして円覚寺開山・無学祖元禅師の語録を読んでいると、なお、この上があるか

なお、この上があるかと実感をさせられます。しかし、ただ、呆然と仰ぎ見て立ちすくんでいるのでは

意味がありません。

 今、こうして我々がやっていることは決して無意味ではありません。

 坂村真民先生に「鈍刀を磨く」という詩があります。

{鈍刀をいくら磨いても 無駄なことだというが

何もそんなことばに 耳を借す必要はない

せっせと磨くのだ

刀は光らないかも知れないが 磨く本人が変わってくる

つまり刀がすまぬすまぬと言いながら

磨く本人を 光るものにしてくれるのだ

そこが甚深微妙の世界だ

だからせっせと磨くのだ}

 我々の修行もかくのごとくです。自分らのようなものが修行をしたって仏光国師や祖師方には

到底及ぶまいが、せっせと磨けば、刀は光らない合かもしれないが磨く本人を光るものにしてくれる。

 公案(禅の問題)もわかる、わからないにあまりとらわれてはいけない。それよりも一生懸命

一呼吸、一呼吸の無字に没頭する。わかる、わからないではなく、一呼吸一呼吸、一生懸命に

拈提していけば、その人が変わってくる、その人が光ってきます。

 だからせっせと磨くのです。

<後記>
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本日午後一時から円覚寺の方丈で、臨済会主催による「禅をならう会」が催されまして、
南嶺老師が仏光録を提唱してくださいました。
お寒い中70名程の方々にご参加いただきました。
ご来場賜りましてありがとうございました。

2014年12月5日

光と闇

臘八大攝心 5日目

 横田南嶺老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。

 この臘八大攝心で提唱しているのは、円覚寺開山・仏光国師・無学祖元禅師の御修行時分の

話です。この時代の禪僧の中でもご自分の修行時代の体験をこれほどつぶさに記しているのは

他に例のみない程で外の世界からも注目をされています。

 仏光録(無学祖元禅師の語録)を拝読するとどこでどういう人に会い、そこでどういうふうに

修行をしてどのような体験をしたのかがつぶさに書かれています。それは私たち、今日修行するもの

にとっても、今読んでも全く色褪せるものではございません。

 物の世界、科学の世界の実験か何かであるなら、何百年前の資料といのは今日においては

ほとんど役に立たないでしょう。しかし、私たちの世界においては、この宗教体験というもの、

修行の上における実体験というものは、700年前の仏光録を今読んでも、全く色褪せることが

ない。これは宗教、心の世界の素晴らしいところです。

 仏光国師はたいへんな苦労をして宗教体験をされました。光と闇と申します。

 光というものは闇がなければ、光はありません。悟りというのも迷いがなければ、悟りもない。

悩み苦しみがなければ悟りという喜びもないのです。何の問題意識もない、何の悩みもない

ところに、どこかから悟りがふってくるという道理はないのです。

 必ず陰と陽の法則です。悩みが深いほど大きなものが得られるのです。仏光国師は17~22歳の、

普通の人なら青春を謳歌しているとき、人間のもっとも活力のあふれる時期を一歩も僧堂の門の外に

出ずにただ、ひたすら無字の修行をだけに取り組まれました。

 深く悩み苦しむ中で、1年が過ぎ2年が過ぎ3,4年と経ちました。この絶望のどん底に落ちた

体験があったからこそ宗教体験をされたときの喜びは一入(ひとしお)ならぬものでありました。

 修行というものは骨折りして苦しむことであります。そして骨折りして苦しみ悩んだ分だけ必ず

得ることがある、これが道理です。何かを失うこと、苦労をすること、骨を折ること、これを

惜しんではいけません。

(後記)

 さて、今週末(12月6,7日)の円覚寺でどなたでもご自由に参加ができる行事の紹介です。

12月6日(土)は、

●13:10~14:20 土曜坐禅会 初心者の部 場所:居士林

最初に坐り方の説明をしますので、初めて坐禅を経験したい方にお勧めです。

●14:40~15:40 土曜坐禅会 経験者の部 場所:居士林

20分の坐禅を2回と最後に15分、般若心経、延命十句観音経などのお経を読みます。

●12月7日(日) 8:00~9:30 日曜坐禅会(今回は坐禅のみとなります。) 

於 円覚寺・大方丈

となっております。

 また、12月6日(土)  13:15~16:00 禅をならう会 於 円覚寺・大方丈

も開催されます。「禅をならう会」(会費:500円 途中退出はできません。)は臨済会が主催の坐禅会です。

詳しいタイムスケジュールは、

1 受け付け(  ~1:15)
2 初心者指導(12:45~13:10) 参加希望者は定刻までに集合
3 開会挨拶(13:15~1:20)
4 成道会(13:20~  )
5 横田南嶺老師による提唱(13:30~   )
6 講了 (  ~14:15)
7 小憩 (  ~14:40)
8 坐禅・経行・質疑応答 (14:40~  )
9 茶礼 (15:45~16:00)
10 閉会 片付け、清掃後解散

以上です。参加希望の方は当日、大方丈玄関までお越しください。

 紅葉は、今週末が最期の見頃となるでしょう。皆様のご来山をお待ちしております。
 

2014年12月4日

苦行6年

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-僧堂の侍者寮前に掲げられている釈迦苦行像の写真-

臘八大攝心 中日

 横田南嶺老師が僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。

 白隠禅師は、お釈迦様の苦行6年、達磨様の面壁9年を生涯、胸に刻んで修行をされました。

我々はそれとともに、今日学んだ円覚寺開山・無学祖元禅師の無字6年の修行を胸に刻まなくて

いけません。

 我々は、お釈迦様の苦行を慕って、難行苦行の一端を体験しようとして臘八大攝心をいたします。

お釈迦様の修行の様子は、釈迦苦行像の写真からわかるように最後は断食をなさった。歯と歯とを

噛み合わせて坐り抜くということをなさった。

 この苦行像の写真をよくみるとあの衰え細った体の中でただ、瞳だけ落ちくぼんだ深い井戸に

宿る星のように光り輝いています。もはや、腹の皮をさすれば背骨をつかむことができ、背骨を

さすれば腹の皮がつかめるがごとくです。立とうとすればよろめいて倒れ、体中の毛ははらはらと

抜け落ちたと言われます。

 もう自分ほど苦行をしたものはいないというくらい自分を追い込み、火に焼かれ寒さにこごえ、

只、一人理想を求めて坐り抜いたのがお釈迦様です。

 こうして、私たちの臘八大攝心も、夜も寝ないで修行をするから油断をすると眠ってしまいます。

普段はいくらでも食べてかまわないのですが、おなかにものを入れたら入れた分だけ眠くなるものです。

食べるなとはいいませんが少しは食べるものを節制しなければ眠気に負けてしまいます。

 どうにかこの程度ならやっていけるのではないかのギリギリのところを目指して

自分の限界に挑戦し、どこまでも自分を追い込んでいくことができるのが臘八大攝心の醍醐味です。

 お釈迦様の姿をよく目で見て胸に刻みこむ、無学祖元禅師の無字6年の修行を肝に命じて

この苦行の一端を自分も体験するのです。お釈迦様の御心を指して道心といい、御形を指して

出家という。お釈迦様の御心をいただいてお釈迦様の御姿をならっれ私たちも修行をに励まなければ

いけません。

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-雨の妙香池-

 一雨ごとに葉がはらはらと散り、紅葉も終わりに近づきつつあります。

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