2013年12月11日

晩秋の円覚寺

12月11日(水)
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<山門>
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<総門>
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<白鹿洞脇の参道>

2013年12月8日

日曜説教会 映像

12月8日(日)
 本日の円覚寺大方丈で行われた日曜説教会の映像です。
円覚寺派管長 横田南嶺老師が法話をされています。こちら↓
http://youtu.be/N-mQSmmOuqo
http://youtu.be/4KgOMb1UQiw
http://youtu.be/mHLc9HfxJ5c
たいへん寒い中にもかかわらず、今日も会場には500人近い方々が
拝聴にお見えになりました。
(後記)
 おかげさまで臘八大攝心、無事に終了いたしました。
皆様、有り難うございました。

2013年12月7日

臘八 最後の提唱

12月7日(土) 臘八大攝心 最終日
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 臘八大攝心の提唱も今日で最終日となりました。
横田南嶺管長が臘八を終えるにあたって詩を作られました。
{祈ると必ず雨が降るという名人がいた
どんな秘法なのか
それは簡単だ
雨が降るまで祈り続けるという
 ダライラマの祈りの言葉に
「世界が苦しみに耐え  
生類が苦しみ続けているかぎり
この世の苦痛を取り除くために
願わくはわたしもまたそれまで
共にとどまらんことを」とある
 多くのご供養をいただいて
暮らす私たちには
とてもその供養を
受けるに足りるような
修行ができるものでは無いが
せめて、
世の人々の悩み苦しみが除かれて
みな幸せになるよう
祈りつづけ
世の人々の苦しみが
無くならない限り
この修行をやめないという
願いだけはもちたい
 刻苦光明盛大なり
身を削って修行をした分だけ
ささやかな光となって
まわりを照らすことができると
そのことをただ信じて
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2013年12月6日

臘八6日目

12月6日(金) 臘八大攝心 6日目
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<円覚寺山内・龍隠庵から山門を望む>
 横田南嶺管長が提唱されたことをまとめてみました。
(攝心も終盤になり、疲れの見える雲水さんらに地鳴りのするような
気迫こもった声で叱咤激励されました。)
 参禅の修行というのは、畢竟、闘いである。自分の雑念・妄想と闘い
昏沈、睡魔と鬪かう。良いだ悪いだ、憎い愛しいだという是非憎愛など
様々な思い感情と闘い、最後は一切の自分の迷いと闘って勝ちを得る。
 その為には勇ましい、猛々しい、勇猛でなくてはならない。このまま
妄想や眠気や自分の弱さに負けてしまい無様に攝心を終えてしまうか、
それとも、勇猛果敢にこれに打ち克っていくか?
 もう一度腰骨をしっかりと立てて、ここまできたら、両目は半眼では
寝てしまうから、目の玉をひんむくように大きく開けて、奥歯をかみしめて
坐れ。
 仏道の修行は、一人が万人と鬪かうがごときである。万人と鬪かう気迫で
立ち向かっていけ。
 弓も折れ 矢も尽き果てたところに 
     さしも許さず 強く射てみよ
 弓も折れ矢も尽き果てようとそれでも全身でもって弓をひけ。
最後まで気力を振り絞ってやってもらいたい。
 

2013年12月5日

臘八5日目

12月5日(木) 臘八大攝心 5日目
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<円覚寺山内・居士林 山門>
 横田南嶺管長が提唱されたことをまとめてみました。
 坂村真民さんに「鈍刀を磨く」という次のような詩があります。
{鈍刀(どんとう)をいくら磨いても
  
無駄なことだというが
  
何もそんなことばに
  
耳を貸す必要はない
  
せっせと磨くのだ
  
刀は光らないかも知れないが
  
磨く本人は変わってくる
  
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら
  
磨く本人を
  
光るものにしてくれるのだ
  
そこが甚深微妙(じんじんみみょう)の世界だ
  
だからせっせと磨くのだ}
いい加減に磨いている人は、いくらやったって何にもなりません。
坐禅の修行で一番慎むべきこと、おそるべきことは、何と言っても
惰性で修行をすることです。
 惰性でやっていたのでは、いくらやっても何にもなりません。
必死になって修行に打ち込むのです。全身から玉の汗が出るくらい
一生懸命にやる。
 そうすれば、刀は錆びついてどうしようないかもしれないが磨いている
本人が光ってくる。一生懸命に修行に打ち込んでいる本人が光ってくるのです。

2013年12月4日

臘八中日

12月4日(水) 臘八大攝心 中日
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<円覚寺山内・居士林 山門>
 
 横田南嶺管長が提唱されたことをまとめてみました。
 惰性で坐禅をしていたのではだめです。力を込めて一呼吸一呼吸
おへその下、おなかの下を張り詰めていく。
 昔から仁王様の気迫を持って坐れと言います。そうすれば、体がそびえ立ってくる
気持ちになる。全身が燃えてくる感じ出てきて頭から湯気が出てくるののでは
ないかと思う位の気持ちになる。
 坐禅をしていて縮こまるようでは駄目です。大きく坐らなくてはいけない。
そしておなかに力を込めてやっているとお経の声も通るようになってくる。
 下腹部を風船をふくらましたかのように張り詰めていく。しぼんでいるようで
まだまだです。そうして、どんどんと張り詰めていくと最後はパンと破裂する
感覚がある。
 それは決して風船がなくなったわけではありません。自我が破裂して天地と
1枚になったところです。
 我という 小さき心を捨ててみよ 
       三千世界に 充ちるいのちぞ
 それは、もう自分と他人との隔てのない、生き通しのいのちです。
「生きているものを確かにつかみより」と古人が言った世界です。
この生き通しのいのちを体験する修行であります。
 

2013年12月3日

臘八3日目

12月3日(火) 臘八大攝心 3日目
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<円覚寺山内・黄梅院>
 横田南嶺管長が提唱されたことをまとめてみました。
 公案(禅の問題)というのは、断命根(だんみょうこん)という、
考えを断ち切る為の刀のようなものです。それを公案を解こうとして
あれこれと考えてしまっては、考えれば考えるほど答えからは
遠ざかってしまう。
 公案は、意識・妄念を全部斬る捨てて片付けていく一振り刀なのです。
あらゆる公案がそうなのです。
 何年坐っても坐禅布団の上で足を組み腰を立てて、鼻から天地一杯の空気を
吸い込んで、無字の一呼吸でもって意識分別を断ち切る修行です。何年修行を
やろうとこの繰り返しであります。

2013年12月2日

臘八2日目

12月2日(月) 臘八大攝心 2日目
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<円覚寺山内・龍隠庵から>
 横田南嶺管長が提唱されたことをまとめてみました。
 仏祖三経という書物の中に次のような言葉があります。
「仏道を修業するということは、木が川の流れの中で流れていくようなもの。
両方の岸で途中ひっかかったり、人の為に取り除かれたりせずに
ただ、その流れに随っていけば、その木ぎれは必ず大海にたどり着くことが
できる。」
 この言葉を見て若き時の白隠禅師は大いに力をえて、「自分のようなものでも
はたして修業を成し遂げることができるのか」という疑いを払拭することが
できたと言います。
 こうしてみんなでいっしょにやっていれば必ず大きな悟りに到ることができるのです。
流れに随ってやっていけば必ずできるのだと自ら自信を持ってやっていただきたいと
思います。
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<居士林 中庭>

2013年12月1日

臘八大攝心開始

12月1日(日) 臘八大攝心 初日
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 今月の黄梅院掲示板の詩です。
横田南嶺管長揮毫。坂村真民さんの詩です。
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 円覚寺専門修行道場では、今朝から臘八大攝心が始まりました。
修行僧(雲水さん)は1週間、横にならずにひたすら坐禅に打ち込む
修行期間が始まりました。
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 今日の提唱の中で、横田南嶺管長は、次の言葉を引用され叱咤激励されました。
 「すべてその道に身を入れるものは、その道にひたりきらなくてはならない。
体のあらゆる細胞がみんな一つになって打ち込んでいかなくてはならない。」
 これは森信三先生のお言葉です。自分の体の全細胞が坐禅に向かって取り組んでいく。
全細胞を目覚めさせて、禅の問題に取り組んでいくことを心がけてもらいたいと
仰せになりました。

2013年11月30日

紅葉と臘八大攝心

11月30日(土)
 夕暮れ時の円覚寺です。こちら↓
http://youtu.be/YhF2Wtt-tD4
 さて、円覚寺専門修行道場では、明日から8日未明まで1年で1番厳しい
1週間に及ぶ臘八大攝心(ろうはつおおぜっしん)が始まります。
 
 修行僧は午前2時起床して午後11時まで坐禅に打ち込みます。特に
臘八大攝心の特徴は、午後11時から午前2時の間も横にならずに坐睡
(ざすい)といって坐禅の姿勢にままで休むことです。それを1週間行います。
 円覚寺全体がピンという空気の張りつめた1番重要な期間となります。

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