2011年12月20日

本になります。

12月20日(火)
 blog-PC200170.jpg
今日は白山道場・龍雲院の留守番でした。白山のイチョウがまぶしかった!
blog-PC200171.jpg
 さて、この居士林だよりがありがたいことに本になることになりました。
今日ここ白山で記念すべき第一回目の打ち合わせをしました。
blog-PC200172.jpg
 白山の檀家さんでデザイン関係のお仕事をされているTさんと
居士林・学生坐禅会出身で出版のお仕事をされているMさんと
編集のMさんそして私の4人でこれからどう進めていくのかを
話し合いました。管長様の提唱と四季折々の写真を中心とした
読みやすい本を考えています。管長様の教えが少しでも多くの
人々に伝わりますように工夫していきたいと思います。
こうご期待!

2011年12月18日

睡猫図

12月18日(日)
blog-PC170157.jpg
かなちゃんです。最近は、勅使門の前の日だまりでお昼寝を
している姿をよく見かけます。
blog-PC170161.jpg
気持ちよさそうですね。
blog-PC170160.jpg

2011年12月17日

円覚寺紅葉図(その弐)

12月17日(土)
blog-PC170154.jpg
blog-PC170153.jpg
blog-PC170156.jpg
blog-PC170155.jpg
 

2011年12月16日

年末年始休会のお知らせ

12月16日(金)
 土曜坐禅会・土日坐禅会は、年内は12月24日(25日)が最後と
なります。来年は1月14日(15日)から再開します。
宜しくお願い致します。
居士林主事 合掌
blog-PC160151.jpg
山内、まだまだ紅葉が美しいですよ!

2011年12月15日

円覚寺黄葉図

12月15日(木)その2
blog-PC150147.jpg
如意庵さんの前から見上げる黄葉です。お日様の光の加減で
様々な表情に移り変わっていきます。それにしても、美しい!
blog-PC150146.jpg
blog-PC150150.jpg
blog-PC150149.jpg
南無観世音菩薩。ありがたいですね。

2011年12月15日

成道会

12月15日(木)
 今朝は、午前6時から成道会でした。成道会というのは、
お釈迦様がお悟りを開きになった日です。本来は12月8日ですが
円覚寺では臘八明けの15日に行います。
blog-PC150139.jpg
管長様が臘八の勢いそのままに地も張り裂けんばかりの
お声でお唱えになった偈です。
「蘆芽(あしめ)膝を透り 鵲(かささぎ)肩に巣くう
氷雪堆中 志気堅し
明星を一見して 活眼を開き
山河大地 仏光鮮やかなり」
恐れながら、意訳してみました。
「お釈迦様が6年に及ぶ難行苦行の中で、ずっと動かずに坐禅しているから
組んでいる足の間から蘆の芽がニョキニョキと生えてきてカササギが
肩に巣を作ってしまったという。
 氷雪のような寒さの中でも志は決して折れることはない。
 明けの明星を見てお悟りを開いてみれば
 まわりのあるものみんなキラキラと輝いているよ。」
blog-PC150143.jpg
佛殿の宝冠釈迦如来像の前に「出山釈迦像」を掲げて儀式を行います。
blog-PC150144.jpg
お釈迦様がお悟りを開かれて、修行していた山から下りてきたお姿です。
blog-PC150141.jpg
(後記)
   おかげさまで臘八大攝心、成道会と無事に終えることができました。
  有り難うございました。

2011年12月14日

ありがたいという気持ち

12月14日(水)臘八大攝心7日目
 管長様が本日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
 「見性悟道」といいますが、いっぺんにがらっといくのではありません。
迷いながら、つまずきながら、求めながら、失いながらであります。何か
得たような気持ちになったり、また失ってしまって失望の底に落ち込んで
だり、そういうことを繰り返し繰り返ししていくうちに覚えず知らず
「ああ!仏心の中にあった!」と気づくのであります。
 僧堂の修行は別段何年いればいいというものでは決してない。
大事なことは自分の納得がいくまでやっていくことであります。
 しいて申し上げたいのは私達お坊さんの一番のつとめはお経で
あります。であるから、人から「ありがたいなあ!」と思われるような
お経を読んでいただきたい。それは、声の出し方や技巧、理論・理屈では
決してありません。
 では、読んでもらって本当にありがたいと思われるようなお経は
一体、どこから来るのでしょうか?
 やはり、それは我々・自分自身が本当にありがたいという気持ちに
なることが一番大切であります。欲を言うならば、こうして修行をさせて
もらって本当にありがたいという気持ちが起きるまでやってもらいたい。
 禪は「おもしろいところから入って、ありがたいところに抜けてこなければ
いけない。」と言われています。
 ただこうして臘八で坐らせていただいて何とも申し訳ない、もったいない、
ありがたい。こうしてお釈迦様の弟子にしていただいてもったいない。
こうして円覚寺開山・無学祖元禅師のお膝もとで修行をさせていただいたて
本当にありがたいと。
 何見ても 何を聞いても ありがたし
 こちらがありがたいという気持ちになればもう何を見ても何を聞いても
ありがたくなってくるものであります。そうするとその人の体から
ありがたいという心が発してくるでありましょう。
 「ありがたいという気持ちに自分でひたることができる」一番目指して
もらいたいところであります。
 臘八はまだまだ暁天坐もあり、明朝は成道会とがあります。油断なきように
最後までつとめていただきたいと思います。
 
 

2011年12月13日

修行をさせていただくということ

12月13日(火)臘八大攝心6日目
 管長様が本日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
 よく悟りとは何かといいますが、特別のことではありません。
今まで自分の迷っていた様子がわかるのが本当の悟りであります。
 何と自分は小さなことで悩んでいたか。何と自分は自分のことしか
考えていなかったのか。何と自分はわがままであったことか。
何と自分のわがままなために周りの人に迷惑をかけてしまったことか。
こう、わかり気づくことが本当の悟りであります。
 禪の問題にひたすらに取り組めば、自分の心の中にある
わだかまり、欲望、いらないものを自然と解け落ちていく、
抜け落ちていく。ただし、それは力をいれてやらないといけない。
ただぼやっとしていたのでは、いつまでたっても埒があきません。
 我々がこうして修行ができるのは、修行の世界を守ってくださる
大勢の方々がいらっしゃるからであります。うちの僧堂は幸い
みなさん大勢の方のご供養のおかげで何不自由なく坐ることが
できます。
 たいへん有り難いことの反面、あまり豊かになりすぎて有り難さが
わからなくなってしまうことをむしろ恐れています。
 何気なくいただいているものの一つ一つ、みんないろんな人々の
ご供養の上に成り立っていることを忘れてはならないのであります。
 典座がいただいたものを粗末にしないことはもちろん、我々も
大勢のご供養を決して無駄にすることのないように、一つ一つの
坐禅、一呼吸一呼吸を油断しないように最後までお願い致します。

2011年12月12日

今日の命は・・・

12月12日(月)臘八大攝心5日目
 管長様が本日の僧堂攝心で提唱されたことをまとめてみました。
 いかに自分に対して正直であるか?「まあ、この程度でいいや」とか
「こんなもんでいいや」と妥協をしないこと。また、本当に自分で納得が
いくかどうか?これが修行の上では大事なことであります。
 白隠禅師のお弟子の和尚さんのもとに沖縄から修行者が見えました。
(江戸時代のお話です。)
3年間の期限を決めて一生懸命禪の問題に取り組んだのですが全く理解が
できない。修行僧は和尚さんに「自分は琉球から命がけで本土に
渡って来て禪の問題に取り組んだのですがさっぱりわからない。このまま
むなしく琉球に帰るのは悔しくてならない」と涙ながらにうったえました。
 それを聞いて和尚さんは「とにかくあと7日間やれ。」と慰めました。
僧は7日間やったけれどやはりわからない。そこで和尚さんに
「どうしたらいいか?」と聞くと、和尚さんは「「よし!もう一回7日間
やれ!7日間やればきっとわかる。」と励ましました。それでもまた
埒があかない。次は21日間だ、次は5日間だとやったがそれでも
どうしても埒があかなかった。
 そこで和尚さんは「そういうことであれば、3日間に限る。ただし
3日やって後、埒があかねば琉球に帰るのではなく、その場で
死になさい。」と言いました。
 そこで琉球の僧は火がついて身命をなげうって修行をして
禪の問題を通ることができました。
 死力を尽くすと言います。
あと何日、何年あるから大丈夫と思うのではなく
今日の命は今日使い果たす!
今日死んでもいいんだという覚悟で
臨んでこそ道は開けるものであります。
blog-PC110137.jpg
夕日に紅に照りあがる黄梅院の山です。
 

2011年12月11日

受け継がねばならぬもの

12月11日(日)臘八大攝心中日
 管長様が本日の日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。
 以前に「法光」という冊子の中で坂村真民先生の「バスの中で」という
詩を引用致しました。大意を要約しますと坂村先生があるときバスに
乗っていました。折から核戦争の危機が叫ばれていた頃でしょう。この
地球はこれからどうなるのか、明日はどうなるのか不安に思っていると
一人の少女がきれいな花を自分よりも大事そうに高々と差し上げて乗り
こんできました。
 幼い少女ですから、混んだバスの中で押し合って花を傷めてはいけないと
思って高々と差し上げていたのでしょう・その姿を見て坂村先生は、
ああ、これでよいのだと思いました。たとい明日、地球がどうなろうとこの
ような愛こそが、人の世の美しさなのだと。
 たとえ核戦争で、この地球がどうなろうとそのぎりぎりの時まで、
こうした愛を失わずにゆこうと涙ぐましいまで清められるものを
感じたと詠われています。
 その冊子を見た坂村先生の娘さんが、「いろいろな人に様々な詩が
引用されてきましたがこの詩を引用する人はほとんどなかった。
この詩を引用する人は父・坂村真民の詩を熟知する人である、
父の詩人たる感性を理解されている方だ。」と感動されました。
 そこで、来年3月に開館する坂村真民記念館に管長様の書を
ぜひ掲げたいと管長様にお手紙をお寄せになりました。管長様は
一瞬にして迷わず次の詩を思い揮毫され、高校生の時からの先生との
親交などをつづった長い手紙とともに郵送されたそうです。
blog-PB100028.jpg
blog-PB100027.jpg
「衆生無辺誓願度」は平たく云えばみんなの幸せを願う心であります。
人間だけではなく、あらゆる生き物が命を全うするように願う心であります。
人の迷い苦しみを自分の苦しみとして受け止めてどうか救ってゆきたいと
いう心が火のように燃えているというこであります。
 この心を私達も自分の心として「人に為に自分は一体何ができるのか?」
をよく考えて、それぞれがそれぞれの立場で「何かをしよう」ではありませんか。
(後記)
   今月も先月に引き続き説教会後に、スジャータ・プロジェクト
 (お坊さんによる被災者支援組織)の手ぬぐいを販売させて
  いただきました。売り上げは、すべて被災者復興支援活動に
  当てられます。最近、避難所に暖房器具を届けたそうです。
   
   管長様がお話の中で、
  「被災地の人にとりこれからの問題は「忘却」と「孤独」になる
  
   だろうと言われています。私達は被災者のことを忘れはしない
   という気持ちでご支援ください。」と仰せになっていました。
    そのおかげもあって、今月もたくさんの方々にご厚意を
   いただきました。誠に有り難うございました。
blog-PC100132.jpg
  
 

ページのトップへ戻る