2011年12月30日

かなちゃん物語

12月30日(金)
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今日はお正月の準備に本山に行って参りました。早速、入り口でかなちゃんに
遭遇。かなちゃん、実は、人間で言えば70歳以上のおばあ様なんです。
居士林横の景福荘の軒の下で生まれたそうで今でもねぐらはそこだそうです。
弟さん、妹さんがいましたが先になくなられたそうです。妹さんは亡くなる前の
数週間姿が見えなかったのですが、突然姿をあらわし、いつもお世話になって
いた人に挨拶をしてから山へと去って行ったそうです。最近、白と薄茶の若い
ライバル猫らしきものを見かけますが、シーちゃんは押され気味のようですが
かなちゃんはまだまだ気丈のようです。何気なくのんびり生きているように
見えますがいろんな苦労をなさっているんですね。頭が下がります。
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ダルマさんの掛け軸をかけて
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「蓬莱(ほうらい)」と呼ばれるお菓子セットを作りました。お正月は
これとこぶ茶を出してお客様をお迎えします。
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こちらもお正月用掛け軸。「寿山萬丈高(寿山 萬丈 高し)」
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良い天気で空がきれいですね。明日は午後4時に総門はいったん
閉まります。そして午後11時頃から開き、元日午後4時までは
自由に出入りできます。(拝観料はありません。)

2011年12月29日

年末・年始の行事

12月29日(木)
 今日は、黄梅院で一日、お正月の準備をしました。
松竹梅などで松飾りを作って、本堂・観音堂・山門等を
飾り付けしました。
 さて、年末・年始の円覚寺の行事ですが、
31日 14時  除夜念誦「佛殿」→「舎利殿」
     23時40分頃 国宝大鐘で除夜の鐘→弁天諷経
              
              (ただし、大鐘は一般の方はつけませんが間近で
        
               聞くことができます。数百年を経た大鐘の響きは
               歴史を感じさせてくれます!)
     同時刻に 「舎利殿のある僧堂」にて除夜の鐘(こちらは誰でもつけますが
             毎年混み合いますので108枚の整理券を事前に
             配っています。雲水さんが鐘の四方に立ちお経を
      
             読んでいる中でだいたい4人一組になってつきます。)
 1月1日 午前2時半  僧堂では新年の儀式、終わって朝課(今年始めのお経を
             読みます。普段は入れない僧堂に年末・年始は入れます
             ので、建物の外からですが雲水さんがお経を読んでいる
             姿を拝見することができます。)
        5時   祝聖「佛殿」→大般若転読「舎利殿」→大般若転読「方丈」
              (方丈の大般若が6時前くらいに始まりますので、例年
              
               一般の方はそこで待っている方が多いようです。)
   2日   6時   大般若転読「舎利殿」→大般若転読「方丈」
   3日   5時   大般若転読「舎利殿」→開基廟回向「仏日庵」
              →大般若転読「方丈」
           
   年末・年始は普段は一般公開されていない舎利殿に近くまでいく
 
  ことができ、夜はライトアップされています。方丈での大般若転読は
  誰でも建物にあがって拝見することができます。間近に見る
  お経のパラパラ読みや厄払いのため気合いの入った声を
  言いながらお経を置く姿は、独特です!
  みなさんお寺もいいですよ!
  
     
            
 

2011年12月27日

餅つき

12月27日(火)
 午後6時から、僧堂に餅つきのお手伝いに行って参りました。
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僧堂は、昔ながらのやり方でお餅を作っていきます。まずは
餅米を蒸かします。
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たくさん作りますので、蒸かし始めと終わりの時間、それと
何を作るのか(鏡 大 1とは鏡餅の大きいもの一つの意味です)
を表にして記入していきます。
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蒸かし終わった餅米は、うすに移し、まず4人一組で小さな杵で
こねていきます。
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ある程度こね終わったら、大きな杵でついていきます。
つき手と「手がえし」とが2人一組になってついていきます。
「手がえし」とはつく合間に餅に水をつけたり、均等につけるように
ひっくりかえしたりする役割です。管長様がなさっていますね。
周りに人は「よいしょ!よいしょ!」のかけ声でうち手を応援します。
雲水さん、楽しそうですね。
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つき終わった餅は、鏡餅やのし餅などに形をととのえていきます。
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 近隣の和尚様方もご家族でお見えになりとてもアットホームな
雰囲気の餅つきでした。「もういくつ寝るとお正月」ですね。
(後記)
   今、居士林だよりの書籍化に向けて管長様の提唱と
  写真の選定をしています。だいたい提唱を40話と写真を
  40枚ぐらい選ぼうと考えています。皆さんの中でこれは選んで
  欲しいと思う提唱や写真がありましたら、コメントをお寄せ下さい。
  できる限り反映できたらと思います。
  それにしても改めて思うのは、管長様の提唱は何度読んでも
  色あせることがないですね。それが真理だからでしょうか。
  
  
  
  

2011年12月26日

出会いの不思議

12月26日(月)
 昨日の日曜説教会のお話の中で管長様が触れられた「出会いの不思議」
についての全文を紹介します。この文章は中学のスクールカウンセラーを
されている方が中学生に向けて書かれたものです。
 {鎌倉に円覚寺という、鎌倉時代から続くお寺があります。そこで、
毎月一度行われている説法は、円覚寺老師の、「生まれたこと、
今こうして生きていること、こうして巡り会うことのできたご縁に感謝
しましょう」という言葉から始まります。
 
 「ふーん」と聞き流してしまうそうなきれいな言葉ですが、たとえば今、
皆さんの教室で、となりに座っているクラスメイトと、どれだけの縁が
あると思いますか?人と出会うというのは、実は一人一人が、もの凄い
確率で奇跡的に出会っているのです。
 現在、世界の人口はおよそ69億人と言われています。つまり
地球上で特定の誰かと出会えるのは、69億分の1。仮に日本だけでも
1億3千万分の1。宝くじの1等に当たる確率は、1億分の1程度らしい
から、今までの出会いは、宝くじの1等に当たるよりも遥かに貴重な
ものなのです!
 この長い人類の歴史の中でたまたま偶然同じ時代を生きていて、
たまたま同じ地球に生まれて、たまたま同じ日本で育ち、たまたま
同じ県にいて、そのうえ同じ中学校にいて、しかも隣に座っている。
 そう考えると、人が出会うというのは「たまたま」や「偶然」という言葉で
片付けてしまうには、あまりに天文学的な確率だとおもいませんか?
今、自分の隣にいる人というのは、いわば選ぶ抜かれたよりすぐりの
精鋭なのです。AKBのオーディション合格どころの騒ぎではありません。
 「出会い」の不思議がわかってもらえましたか?自分の周りの人達は
皆、気の遠くなるような確率の中、何かしらの「縁」があって出会っています。
だからこそ、別れが待っているとしても、出会えたことを感謝し、大切に
したいと思います。これからも、いったい何人の人達と、どんな出会いが
あるか楽しみですね!}
(後記)
  今の中学校は、このようにカウンセラーの方がいらっしゃて
 悩み事の相談など聞いてくださっているようですね。そういう
 話を聞いてもらえる、相談をうけてもらえる人の存在って
 子ども達はもちろん誰にとっても本当に貴重だと思います。
 
 

2011年12月25日

達磨図

12月25日(日)その2
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 午後、隠寮にお伺いするとたくさんの墨跡が置かれていました。
管長様が末寺の方の為に揮毫されたものだそうです。
畳一畳くらいの大きさの紙にこの達磨です。
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それにしてもいいお顔をなされていますね。
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こちらも畳一畳くらいの大きさの紙に「酬恩(しゅうおん)」と書かれています。
 
 恩に酬(むく)いることです。仏様、仏祖の恩に少しでも酬いることのできるように
生きましょうということでしょうか。
 大きな字は大きな力を感じさせてくれます。管長様の大力量がこちらに
ひしひしと伝わって来ます。

2011年12月25日

真珠のように

12月25日(日)
 管長様が本日の日曜説教会で提唱されたことをまとめてみました。
 お釈迦様は「ただ、ひたむきにそしられる人も、ただ、ひたむきに
ほめられる人もいない。」と言われています。世の中はほめられてばかりの人
もいないし、けなされ・そしられてばかりの人もありはしないのであります。
 どんな人でもいい目にあってばかりということはないし、逆に悪い目に
あってばかりということもないはずであります。
 いずれにしても、その時一時の忍であります。
 くさらず、あきらめず、投げ出さず全部一通り受け止めてみてじっくり
練ってみるといいましょうか、待ってみる。そうすると状況は必ず変わっていく
ものであります。
 真珠という宝石があります。あれは真珠貝が自分の体に埋め込まれた
核といいましょうか石つぶをとかしてとかして綺麗な真珠の玉にしていきます。
そのように自分たちも自分を苦しめる不幸や災難をそれをどうか変えていく力
これが忍の力であります。
 いろんなことがある一年
でありましたがこれらも真珠の玉のように
変えていく。つらいこともよい出会いであったとこう変えていくことが
できるように願うものであります。
   

2011年12月24日

水仙とシーちゃん

12月24日(土)その2
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今日は居士林の水仙がお見事!でした。
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土曜坐禅会も年内は今日で終わり。一年間有り難うございました。
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総門あたりにいる猫シーちゃん(しのぶちゃん)です。
3食の他に牛乳付きだそうです。みんなにかわいがられて
だいぶおデブさんになってきています。

2011年12月24日

それでいいではないか。

12月24日(土)
 管長様が土曜坐禅会で提唱されたことをまとめてみました。
 我々は普段ついつい迷い・悩み・苦しみがすべてなくなって
やがて悟りがあらわれると思い描いてしまいますが、そんな迷い
などが全部なくなって安心が得られるというのは絵空ごとであります。
 そういう悩み・苦しみなど全部ひっくるめて「それでいいんだ!」と
認めていくことが大切であります。悩み・苦しみはみなすべて天地自然から
たまわったものとして受け止めていく。余計なものは何一つありはしない、
いろいろなことがあるけれど「それでいいんだ!」とこう受け止めていく。
 結局、私達は「只今の自分というものをどう受け止めていくか?」であります。
地位、財産、深い悟りなど自分には何か足りないと言い出すと切りがありません。
 只今の自分はこんなに尊い心と体をいただいている!今こうして生かされて
いるということ、ここでこうして坐っているということ、こうして話を聞いている
ということ、寒さを肌で感じているということ。そしてこの心この命を
授かっているということ。
 これ以上尊いことはどこにもありはしないのであります。
 そう徹することによって初めて安心という安らかな気持ちになれるので
あります。まあ、いろんなことがあるけれどそれでいいのではないか!
であります。

2011年12月22日

もみじの毛布

12月22日(木)
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 この時期になる苔を霜や寒さから守るため、モミジの葉を掃かずに
そのままにしておきます。そして3月頃の暖かくなってきたらそれを取ります。
苔にとってはモミジの毛布といったところでしょうか。お互いがお互いを
生かしあっているんですね。<黄梅院>
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今年の色づきは、オレンジ色っぽいですね。橙色だから橙葉とでも呼びましょうか。
これはこれで風情があっていいですね。
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観音様eyeです。黄梅院の聖観音様はいつもお見守りしています。

2011年12月21日

冬夜(とうや)

12月21日(水)
 今日は午前中、今年最後の淡青会坐禅会でした。一年間無事に
終わったこと、本当に感謝しています。
 午後四時に僧堂の冬夜(とうや)に行って参りました。僧堂が
円覚寺山内の和尚さんをお招きして一年間無事に終えことを
感謝してお膳を出しておもてなしをします。お膳は全部雲水さんの
手作りで、しょうがご飯・けんちん汁・カボチャなどの天ぷら・きのこの
蒸し物・五種盛り・春菊の和え物でした。
 冬夜とは冬至の夜の前夜のことで、ちょうど日が短くなる「陰」
から日が長くなる「陽」の変わり目です。天地自然の転換点です。
 普段は規律厳しい雲水さんもこの日の晩ははお酒を飲んだり
さわいだりすることが許されます。そしてさっぱりして新しい気持ちで
次の日を迎えるわけです。
 メリハリというか、締めるときは締める、ゆるめるときはゆるめると
いう具合に僧堂生活はよくできていまね。

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