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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.10.02
今日の言葉

是非を争わず

野口晋哉先生と、遠藤卓也さんと私とで三人で鼎談したときのことでした。

私は、対談でも鼎談でも、できる限り相手の言い分を尊重して、相手側の発言を促すように心がけています。

相手の言われたことに相づちを打ちながら、時に軌道修正をするくらいのものであります。

先だっての鼎談の折には、一度だけ遠藤さんのご発言に異を唱えました。

それは世襲制の批判についてです。

寺院が衰退してしまっている原因の一つに、徳川時代から続く檀家制度に守られて、また明治以降、僧侶の妻帯が公的に禁じられなくなり、世襲の寺院が多くなり、その結果お寺はその家のもの、家族の住まいとなってしまっているというのです。

これはよく言われることであります。

また分かりやすい図式とも言えます。

ただ分かりやすい図式には、往々にしてワナが潜んでいるものです。

分かりやすさは危険だと思った方がいいというのが、私のふだんから思っているところです。

そういう一面もありますと認めながらも、必ずしもそうとは言い切れないと申し上げました。

これは実際に修行道場で多くの若い修行僧に接しているから思うことでもあります。

今修行道場に修行に来る方のほとんどはお寺の血縁の方であります。

在家から出家して修行するという人は稀であります。

でも、そのお寺に生まれた者が問題かというとそうとも思えないのです。

お寺に生まれて世襲で寺を継ぎながらもご立派な方はたくさんいらっしゃいます。

また在家から発心してお寺に入っても、なかなか難しい場合もあるものです。

よしあしを、単に世襲だからと決めるわけにはいかないと思っています。

私のところに修行に来ている若者達も、世襲の批判があることはよく分かっています。

いろいろな問題を抱えながらも、苦悶しつつ後を継ぐ決意をして今も葛藤しながら修行しています。

これは尊い姿だと感じるのであります。

このように悩み苦悶しながら道を進むことこそ大事なところです。

在家から発心して寺に入っても、傲りの心があれば、問題を起こすことにもつながるものです。

特に先日の鼎談は、野口晴哉先生の道場で、野口先生の御孫さんである野口晋哉先生が、この「場」を開き、引き継いでいくのに苦労なされている上での話なのです。

世襲の問題を提起されて、私までもが、世襲こそ諸悪のもとだとでも言ったりするのは避けないといけません。

今回私はゲストの立場で招かれて行っているので、自由に思うところを述べればいいのですが、時にはこういうバランスも大事なのであります。

鼎談の中で、私が先代の管長から後を引き継いだ時に、円覚寺を残そうとするな、伽藍がなくなったら、そこに「円覚寺跡」という石碑を建てておけばいいのだと言われたことを伝えました。

言葉足らずだったのか、鼎談の後の質問で、円覚寺という素晴らしい境致を後世に伝えることが大事なのではないかとご指摘をいただきました。

その方は円覚寺に行くと、その境内に入っただけで素晴らしいものを感じると言ってくださっていました。

それほどの素晴らしい境致を大事にすべきで、無くなってもいいとは思えないというのです。

これはもっともであります。

私も決してなくなってもいいと思っているわけではありませんし、お寺を存続させていくためにも、日夜あれこれと工夫をしています。

ただ先代の管長が言われたのは、大事な本質を失ってまで残すことはないという意味であります。

そんな説明をしながら、かつてドイツのコール首相が円覚寺にお見えになったときのことを思い出してお話しました。

コール首相はドイツの東西統一を成し遂げた方であります。

要人がお見えになるので、当時の管長足立老師が案内をなされました。

私は足立老師のおそばについている役でありました。

ただ先代の管長は境内を案内してもあまりあれこれ説明なさる方ではありませんでした。

説明を求められても、「ご覧の通りです」と言われるような方でありました。

先代がコール首相を案内して今の修行道場の門をくぐって中に入ったときでした。

先代はここがどういう場所であるかという説明はいっさいなさいませんでした。

しかし首相は門を入ったところでピタリと足が止まって、何か通訳の方に言っていました。

何を言われたのかというと、通訳の方が、ここは修道院のようなところですかと聞かれたというのです。

修道院のようなと言われても、建物も全く異なるものです。

茅葺きの建物であります。

それから修道院で行っている修行と私たちの修行とでは、その内容は異なります。

信じていることも違うし、行っていることも違うのですが、「ここは修道院のような雰囲気がしますね」とこう言われたのでした。

修行するという「場」をお感じになったのだと思います。

そういう大事なものを失ってはいけないのだと先代の管長は言いたかったのだと思います。

そんなことをお伝えしたのでした。

「場」というのは、そこに住む人によって作られていくものでもあります。

そんな「場」の話をしたのでした。

それぞれの立場を尊重しながら、是非を争うのではなく、お互いに共通して大事にしているものを話し合ってきました。

 
横田南嶺

是非を争わず

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