不思議でありがたいこと
講演の資料に金子大栄先生の言葉がありました。
『ありがたさについて』という本からの引用でした。
こんな言葉であります。
「あらゆることにおいて不思議を感ずるのが信仰であるというのです。
因縁不思議ということは、人間はどれだけ知識をすすめてみても、むしろ知識をすすめればすすめるほど、不思議ということが感じられるのでなければならぬ。
知識がないから不思議というのではない。
知識をもった人が知識の限界を知って大いなる不思議の前に頭が下がるのが宗教感情なのでありましょう。
正しき信仰といっても別なものはない。
花がどうして咲いたものであろうかとじっと追究して、いよいよ人間の知識のおよばないところにいったときに、おのずからなにかにたいして敬虔感情がでてくる。
そういう意味において、因縁不思議といえるのでありましょう。」
という言葉です。
この言葉に深く感銘を受けました。
金子先生ならではのお言葉だと思いました。
金子大栄先生は、浄土真宗大谷派の僧であります。
昭和五一年に九十五歳でお亡くなりになっていますので、たいへん御長命でいらっしゃいました。
昭和五十一年は一九七六年ですので、今年で没後五十年となります。
私も中学、高校の頃から、金子先生の本はよく読んでいたものです。
金子先生の『仏教概論』は繰り返し読んでいたものでした。
『ありがたさについて』は、在家仏教協会で講演されたものを集めた本であります。
その中に金子先生は、龍樹の『中論』の言葉を引用して説かれているところがあります。
衆因縁生の法、
我れ即ち是れ空なりと説く。
亦た是れ仮名なりと為す。
亦た是れ中道の義なり。
という偈であります。
意訳すると、
さまざまな因と縁によって生じているものを、私は「空」であると説く。
そして、それは仮に名づけられて存在しているものでもある。
このように見ることこそが、「中道」の意味なのである。
『中論』でもとても大事な偈であります。
あらゆるものは、それ自体だけで独立して存在しているのではなく、多くの原因と条件によって成り立っています。
それ自身に固定した不変の本質、すなわち「自性」はないのであって、それを龍樹は「空」というのです。
決して「空だから何もない」ということではありません。
固定した実体として存在するのではないけれど、いろんな原因があり条件があって、成り立つので、仮に名づけられています。これを「仮名」といいます。
「実体として有る」と執着することにも偏らず、「空だから何も無い」と虚無に陥ることにも偏らないというのは、龍樹の説く「中道」なのです。
さまざまな原因と条件によって成り立っているからこそ空であり、そのようなものを仮に名づけているのであって、そのあり方を正しく見ることが中道であると説いています。
因縁というのは、結果をもたらす直接的な原因である『因』と、それを助ける間接的な条件である『縁』のことをいいます。
金子先生は、「因縁といえば、われわれにはわかっているはずの言葉ですが、それをちがった言葉で言い現わすとなるとむずかしいようです。ある人は相依相関の理論と言い現わしています。なるほど、どんなものでも、一つだけ独立してあるのではなく、相依相関で、もちつもたれりして関係し合ってできておる。」
と説かれています。
「ものはさまざまの関係においてあるのであって、関係をはなれて、ものはない。」というのです。
そのような関係において成り立つことを「空」というのですが、「空」について、金子先生は
「空とは、実体がない、独立的存在がないことであります。
龍樹は無所得という言葉をつかっています。
これは「手づかみにできない」というような意味でありましょう。
いまの言葉でいえば「把握することができない」といったらいいかとおもいますが、その把握することのできないものを空というのである。」と解説されます。
そしてさらに、「それでは、わたくしたち日本人がつかっている言葉でこの空とか仮とか中とかをどう言いあらわしたらいいかといえば、まず「即是空」は「不思議」という言葉にあたるかとおもいます。「不思議な因縁でして」というように、因縁といえばかならず不思議というものがでてきます。」
と表現されています。
「人間の知識をもって思議することができない、把握することができないものであるということになります。」というのです。
それを花を通して説かれています。
金子先生は「花が咲くのは、日当たりがよかったとか、手入れがとどいたとかいうこともあって、人間の知識である点まではわかるけれども、その人間の知識でわかっただけのことで花が咲いたとばかりはいえるものではない。もっともっと人間の知識でわからない、大きな力によって咲いたものであろうということになると、ただ不思議というほかはないのでありましょう。」
というのであります。
本日はお盆の迎え火を焚く日であります。
私たちが生きて生かされているのは、このはかりしれない不思議なる、因縁なのであります。
それには両親はもとより、代々のご先祖のおかげであります。
大自然の恵みのおかげであります。
私が本日こうして命をいただいて生きていることは、実に不思議なる原因と条件が精妙に関わりあっているのであります。
不思議なるというのは有り難いことでもあります。
そんなことを思ってご先祖をお迎えしたいものです。
お盆はいのちの不思議、ありがたさに手を合わす日でもあります。
横田南嶺