心はもとから清らか
禅とこころという授業です。
今回で三回目となります。
今年は『無門関』に学ぶと題して講義をしています。
『無門関』を四十八則順番に講義するのではなく、第一回はお釈迦さまの公案、第二回は達磨大師の公案をとりあげました。
そして先日の第三回では六祖慧能禅師の公案をとりあげました。
第二十三則の「不思善悪」と第二十九則の「非風非幢」を講義したのでした。
第二十三則は本文だけでも長いのですが、その本文に至るまでの話も長くなります。
六祖慧能禅師が五祖弘忍禅師のもとに修行にゆくところの話から始めました。
『広辞苑』には「慧能」という項目で解説があります。
唐代の僧。中国禅宗の第六祖。広東新興の人。五祖弘忍の付法を受け、六祖大師・曹渓大師などと称せられ、禅宗の大成者。門人きわめて多く、以後主流は南地に隆盛したので、その法系を南宗禅という。語録に「六祖壇経」がある。(638~713)
と書かれています。
岩波書店の『仏教辞典』には、
「俗姓は盧氏、嶺南の新州(広東省新興県)の人。若くして蘄州(湖北省)の黄梅山の五祖弘忍に参じ、印可を得た後、嶺南に帰って韶州(広東省)の曹渓山宝林寺や大梵寺を中心に布教を行い、新州の国恩寺で没した。」と書かれています。
更に「嶺南に東山法門を伝えた人として『楞伽師資記』において〈弘忍の十大弟子〉の一人にも数えられているが、あくまで一方の人物という限定的な評価であり、特別の位置づけがされるに至ったのは、弟子の荷沢神会の活動による」と詳細に記されています。
『六祖壇経』の記述によれば、慧能禅師のお父さんは、范陽という河北省定興県南四十里の地の方でありましたが、どういう事情があったのか左遷されて、嶺南に流され、新州の百姓と作ったと書かれています。
嶺南というのは五嶺の南で、当時は流謫の地でありました。
新州は広東省新興県で、百姓というのは一般の人民のことを言います。
父が早くに亡くなり、町で薪を売って暮らしていました。
たまたま客が『金剛経』を読んでいるのを耳にして心がからりと開けました。
このお経を五祖弘忍禅師が弘めておられると聞いて、五祖のもとに修行に行きます。
何しに来たかと問われて慧能禅師は、仏になることを求めて来たと答えます。
五祖弘忍禅師は、あなたは嶺南の人であり、又獦獠だと言われます。
どうして仏になれようかというのです。
獦獠というのは、北方の人が南方の人をいやしめていう言葉です。
慧能禅師は人に南北の区別があっても仏性には南北の違いはありませんと答えます。
五祖禅師は、これは見所があると思ったのですが、皆の前では、まずは米つき小屋で米をついたり、薪割りをしたり作業をさせていました。
五祖禅師は自分の法を伝える者を選ぼうと、皆に自分の心境を偈にして表すように言い渡します。
大勢の修行僧がいたのですが、誰も偈を作ろうとしません。
修行僧の中でも指導者であった神秀禅師こそが六祖となる方だと思っていたからでした。
しかし神秀禅師は自信がなかったようで、直に五祖禅師に偈を示さずに、廊下に書いておいたのでした。
それが、この体は菩提の樹であり、心は明鏡のようだ、いつも鏡をきれいに磨きあげて、塵やほこりをつけないようにという意味の偈でした。
慧能禅師はその偈を聞いて、自らも偈を作ります。
悟りにはもともと樹などないし、明鏡もまたありはしない、本来無一物だ、どこに塵やほこりがつこうというのかという意味の偈でありました。
五祖禅師は、慧能禅師の心境を認めますが、皆の前ではまだ本来の自己を見ていないと言います。
その後夜中に五祖禅師は慧能禅師を部屋に招きます。
周囲を袈裟で覆って、そこで『金剛経』を説きました。
「応に住する所無くして而も其の心を生ずべし」というところで悟りを開きました。
その時に発した言葉があります。
何ぞ期せん、自性は本より清浄なることを。
何ぞ期せん、自性は本より生滅せざることを。
何ぞ期せん、自性は本より具足せることを。
何ぞ期せん、自性は本より動揺無く、能く万法を生ずることを。
という言葉です。
訳しますと、
何とまあ、自己の本性はもとからそのままきれいなものでした。
何とまあ、自己の本性はもとから生じもせず、滅びもせぬものでありました。
何とまあ、自己の本性はもとから完全なものでした。
何とまあ、自己の本性は本来微動だもせず、あらゆる事物や現象を次から次へと在らしめておりました。
というものです。
現代語訳はタチバナ教養文庫の『六祖壇経』によりました。
かくして五祖禅師は法を伝えた証に袈裟を伝えられて、慧能禅師は五祖禅師のもとを去りました。
その袈裟を取り返そうと、道明上座が追いかけてきたというところから『無門関』の二十三則が始まるのです。
第一回のお釈迦さまの公案では、禅は心から心へと伝える教えだと申し上げました。
第二回の達磨大師の公案では、その心とは「不可得」、限定されることのない天地いっぱいだと伝えました。
今回の六祖禅師の公案では、その心とは本来清らかであることをお伝えしたのでした。
私たちはふだん自分の心は汚れてしまっていると思い込みがちです。
それが本来清らかであったと気がつくことは大いなる救いとなるものです。
横田南嶺