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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.05.01
今日の言葉

外境に振り回されない

本日は五月一日であります。

早くも五月となりました。

連休の間は、円覚寺では、国宝舎利殿の公開や、坐禅、法話の会などが催されます。

私も五月三日の午前10時から円覚寺の方丈で法話をします。

そのあと坐禅となります。

それから三日の午後二時から、御朱印を書きます。

お一人お一人手書きで書いて差し上げる予定であります。

五月五日は、午前十時から御朱印を書きます。

御朱印は、両日とも大書院で行う予定であります。

それぞれ円覚寺のホームページでご確認してくださいますようにお願いします。

さて先日「修行道場で『臨済録』の一節について学んでいました。

「麤なるときは則ち地水火風に、細なるときは則ち生住異滅の四相に逼らる。

道流、今時且く四種無相の境を識取して、境に擺撲せらるるを免れんことを要す。」

という一節について学びました。

岩波文庫の『臨済録』の入矢義高先生の現代語訳には、

「大にしてはこの身を作る地水火風〔の変調〕に、小にしては一瞬一瞬が生住異滅の転変に追い立てられているのだ。

諸君、即今ただいま、これら四種の変化が相なき世界であると見て取って、外境に振りまわされぬようにせねばならぬ。」

となっています。

ここのところは、朝比奈宗源老師の旧版の『臨済録』には、

「大まかに言えば地水火風の仮和合の身は、いつ四大の不調や変化を起こすかわららず。
こまかくみれば一瞬一瞬が生住異滅の四相の変化にせまられているのだ。

お前たちよ、即今ただいま、これらの四種の変化がそのまま空相であると会得して、外境に振りまわされないようにせねばならぬ」

と訳されています。

四大については、岩波書店の『仏教辞典』には、

「広大な範囲で万物の依り所となる四つの実在の意で、<四大種>ともいう。

物質を作り上げる地・水・火・風の4元素のこと。

それぞれの本質と作用として、<地>には固さと保持、<水>には湿潤と収集、<火>には熱さと熟成、<風>には動きと生長が充(あ)てられる。」

と解説されています。

人間の体でいえば、筋肉や骨などの物質的なものが「地」の要素です。

血液や体形などが、「水」の要素です。

体温などの熱が、「火」の要素です。

呼吸などの動きが、「風」の要素です。

『仏教辞典』には「人の身体もこの四大から成り、病気はそれらの調和が崩れたときに起るとみなされるので、病気の状態のことを<四大不調>という。」

と丁寧に解説されています。

お寺の世界では、この「四大不調」という言葉を今も使っています。

どなたか、和尚様がお亡くなりになると、四大不調につき療養のところ、薬石功無く遷化しましたというように使っているのです。

死んで亡くなることを「四大分離」ともいいます。

経典に「人身は四大の集合なる故に四大分離すれば即ち人身なし」とあります。

地水火風の四つの元素が調和している状態が生きていることであり、四大が不調になると病気であり、四大がばらばらになって分離してしまうことが死なのです。

「麤なるときは則ち地水火風に」の「麤」という字は、「鹿」を三つかきます。

諸橋轍次先生の『大漢和辞典』には、「三つの鹿を合わせて、鹿が群れて飛び行く意を表す」と書かれています。

白川静先生の『字通』には、

「鹿には群行の性があり、ただ羊のように一団とならず、競って奔(はし)るところから、雑(そざつ)・笨(そほん)の意があり、粗と通用する。」

と書かれています。

たくさんあると雑然としてしまうのでしょう。

大雑把にという意味です。

大雑把にみれば、地水火風の四つの変化に追い回されるのです。

こまかくみれば一瞬一瞬が生住異滅の四相の変化にせまられているのです。

生住異滅というのは、物が生じ、とどまり、変化し、そしてなくなるという、すべての物に認められる四つの相のことです。

現代の知識でいえば、人間の体を細かくみると、ひとつひとつの細胞で出来ていると言えます。

その一つ一つの細胞が、生じてはそのまま活動し、やがて変化して消滅するのです。

その変化を繰り返しているのです。

そのように見ていけばどこにも変わらない実体などというものは認められないのです。

これが仏教の見方であります。

変わることがないものを求めるのが多くの宗教であります。

古代のインドにおいて、永遠不滅の主体をアートマンと名付けていました。

変わることのない実体があると考えたのでした。

バラモンの家に生まれたものは、バラモンたるの本質を備えていると説いたのでした。

それにたいして、自我を含むあらゆる本体、実体的な存在は虚構であると強調したのが仏教であります。

変わらない実体を否定して、すべては変化していくのだと説いたのでした。

その教えの通りに、インドにおいてはブッダの教えも消えてしまったのでした。

何百年もの間、埋もれてしまって、その存在も確かではない状態になっていました。

十三世紀頃には、インドでは仏教はなくなっていました。

それが十九世紀になってようやく遺跡が発見されたのでした。

その生住異滅の変化は、みな空であって、なんのあとかたもないものだと見てとって、外の世界に振りまわされないようにと、臨済禅師は説かれたのでした。

いつも読んでいる十善戒にある「不邪見」に

すべては変化することわりを知り心を正しく調えん

とあるのはまさにその通りなのです。

 
横田南嶺

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