昔はいつ?
『広辞苑』で「昔」を調べてみると、
「❶以前の時。
① 長い年月を隔てる過去。いにしえ。
②現在とは情況がまるで違う過去の時。時間の長さにはかかわらないので、前日を指すこともある。
拾遺和歌集(恋)の「逢ひ見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり」」
という用例があります。
それから
「❷過去の10年を1期としていう語。」
というように解説されています。
漢和辞典で調べてみると、
「むかし。時日の重なったこと。」と書かれています。
そして「文の最初に抜き出す場合は、「昔者(むかし)」「疇昔(むかし)」などという。
[対語]は今です。
❷に「憶昔(おもうむかし)」とは、唐詩の常用語で、過ぎ去ったことを思い浮かべて歌う意。」と書かれています。
「憶昔封書与君夜=憶ふ昔 書(ふみ)を封じて君に与へし夜」という白居易の「与微之書」の用例があります。
❸に{名詞}で夜。または前夜。「通昔」で一晩じゅうという意味です。
白居易の「微之に与ふる書」というのは、
「憶(おも)ふ昔 書を封じて君に与へんとせし夜、
金鑾(きんらん)殿の後 明けんと欲する天。」から始まっています。
国訳漢文大系『白氏文集』にある現代語訳では、
「思うに昔、手紙を封緘して君に寄せようとした夜、いつのまにか宿直した翰林院の裏手は夜も明けようとしていた。」となっています。
白居易がいう「昔」とはどれくらいの前のことでありましょうか。
いつ頃から「昔」というのか、修行僧達に聞いてみました。
令和二年に高校を出て大学に入って、卒業して修行に来た者がいます。
大学に入った年はコロナのはじまりの年でした。
その年の二月に、横浜港に停泊したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」で新型コロナウイルスの大規模な集団感染が発生したのでした。
十名を超える死者も出たのでした。
それからやがて緊急事態宣言が出されて、全国の学校が休校になったのでした。
私なども初めて経験する事態でありました。
日本国民は皆マスクをするようになりました。
マスクが不足している時期もありました。
今思うと、もう懐かしい思いがします。
その頃はもう昔のことだろうかと聞くと、修行僧達はもう完全に昔ですと答えます。
六年前で昔なのであります。
私などは、懐かしい思いはしますものの、まだ昔という程ではないという感覚であります。
現代は変化の激しい時代となっています。
変化が激しいと、昔と感じる期間も短くなっていくようであります。
かつては「十年一昔」と言ったものです。
何十年か経って、ようやく昔と言っていた気がします。
そんな話をしておいて、では変化について考えてみました。
私たちはどれくらいの時間で変化を感じるのかと話し合いました。
一年前の自分と今の自分とでは、誰しも変化を感じることができます。
一年修行道場にいる者にしてみれば、去年の今頃というのは、まだ修行道場の暮らしにも慣れなくてたいへんな時期でした。
その頃から一年経つとずいぶん変わったと感じるでしょう。
また今年修行に来た者にしても、去年の今頃はまだ大学生でしたから、今は頭を剃って法衣を着て修行しているのですから、大きな変化です。
では一週間前と今でどうだろうか、二日前とはどうであろうかと考えてゆきました。
そしてある修行僧に聞いてみました。
今勉強するのに使っている机は昨日と同じだろうか、変化しているだろうかと。
同じに感じますと答えます。
私もそうです。
自分が講義している机は、昨日と同じ机だと感じます。
机の置く位置や、机の上の講本などの位置は、少しくらい変化しているでしょうが、机の変化までは感じません。
しかし、それが錯覚なのです。
昨日と同じ机が今あると思うのが、錯覚です。
つねに変化し続けているのです。
これを無常といいます。
「無常」について、岩波書店の『仏教辞典』には、
「常(つね)でないこと、永続性をもたないこと。常住の対。苦(く)、無我とならんで、仏教の伝統的な現実認識を示す。
ひとの生存をふくめ、この世でわれわれが目にするすべては移ろいゆくものであり、一瞬たりとも留まることがないということ。
この無常説は後に、すべての存在するものは刹那(せつな)に滅するものであるという刹那滅論を生むことになる。」
と解説されています。
「刹那」とは
「<念(ねん)><念念>などと漢訳する。きわめて短い時間。瞬間。最も短い時間の単位。その長さについては、指を1回弾く(一弾指(だんし))あいだに65刹那あるという説や、75分の1秒に相当するとする説など多くの異説がある」と書かれています。
「この世の存在物は、実体を伴ってあるようにみえるが、実際には、1刹那ごとに生滅を繰り返していて実体がないことを<刹那生滅>あるいは<刹那無常>という。」
とも説かれています。
それくらいの速さで変化しているのです。
人間の体の細胞も、一日で約3,000億から5,000億個入れ替わっていると言われます。
一秒でも約300万から600万個という膨大な数の細胞が、絶えず生まれ変わっています。
同じように見えてもそれくらい変化しているのです。
そんな変化に気がつかずに昨日と同じ自分がいると思うのが錯覚なのです。
変化が激しいほど、昔と感じる時間が短くなるそうです。
昔を遠い過去と感じるのは、変化が少ないのか、変化に鈍感なのかもしれません。
今の若者が数年前でも昔だというのは、変化を実感しているからともいえます。
修行して深い瞑想に入ると、一秒に七十五回も生滅を繰り返す変化に気がつくのでしょう。
そこまではとても無理でも、少しの変化にも気がつけるようになりたいものです。
横田南嶺