生死自由
岩波文庫の『臨済録』から入矢義高先生の現代語訳を引用します。
「君たちが、衣服を脱いだり着たりするように、自由に生死に出入したいと思ったら、今そこで説法を聴いている〔君たち〕その人が、実は形もなく姿もなく、根もなく本もなく、場所も持たずに、ぴちぴちと躍動していることを見て取ることだ。
その人が発動するさまざまの方便はすべて、はたらきとしての跡かたを一切とどめぬ。だから追いかければ追いかけるほど遠ざかり、求めれば求めるほど逸れていく。ここが摩訶不思議というものだ。」
というものです。
もともとの仏教では涅槃を理想としていました。
涅槃には有余涅槃と無余涅槃とがあります。
生存中に煩悩を滅して未来の生死の原因をなくした状態が有余涅槃であり、心身とも離脱した状態が無余涅槃であります。
いずれにせよ、もう再び輪廻することがないのです。
しかし大乗仏教になると、「無住処涅槃」ということが説かれるようになりました。
これは生死にも涅槃にも住することのないものです。
あえて涅槃にとどまらないのです。
迷いの世界にもとどまらず、しかも大悲をもって衆生を救うために迷いの世界で活動するから、涅槃の境地にもとどまらないのです。
「無住処涅槃」について岩波書店の『仏教辞典』には、
「大乗仏教では、<無住処涅槃>が説かれる。<不住涅槃(ふじゅうねはん)>ともいい、生死の世界にとどまることなく、かといって涅槃の世界にも入らない状態、すなわち生死煩悩の迷いの世界にも悟りの世界にもとどまらない涅槃のことをいう。無住処涅槃という思想の背景には、あらゆる人びとを救うためには、自らが悟りの境地に入っていては救うことができない、といって煩悩に捉われていても救うことができない、自らは悟りの境地を体験しつつもその世界にとどまらず、悩み多い人びとの住む生死界にあって活動することこそ菩薩の行である、という大乗仏教思想の展開がみられる。不住涅槃、生死即涅槃。」
と解説されています。
先の『臨済録』の一節を、山田無文老師は禅文化研究所の『臨済録』で次のように提唱されています。
「理屈はいらん。言葉にとらわれたらいかん。この因果をまぬがれ、生き死にの世界を超越したいと思うならば、今,そこで臨済の話を聴いておるそいつだ、そいつをつかまえるのだ。
そいつとは何か。
男が聴いておるのではない。
女が聴いておるのでもない。
男でもなく女でもなく、年寄りでも金持ちでもない、何もないやつが、今臨済の話を聴いておるのだ。
姿もなく、形もなく、色もないやつだ。
その心はどこから出て来たかという根本もないし、三界に住することもない。
しかも、その心が活鱲々地、生き生きと自由自在にこの世界に出て働いていくのである。
この何もないやつが、そこで話を聴いておるそいつが本当の自分だと言われるが、そいつは一体どこにおるのか。
求めるとますます離れて行く。
自分の本心とはどんなものかと求めておる、そいつが本心だと分かれば、求めるものは何もない。
そこのところのコツはとても説明できるものではないし、説明を聞いて分かるようなものでもない。
自分で自分を分からんといかん。」
というのであります。
生死自由であった例はいろいろとあります。
唐代の禅僧である南泉和尚は、いよいよ臨終になって、死んでどこに行かれるのかと問われました。
南泉和尚は、山下に一頭の水牯牛となると答えました。
私も老師に随いますという僧に、南泉和尚は、私についてくるなら、自分が食べる分の藁をくわえて来いと言いました。
これなども生死去住自由なる消息です。
南泉和尚の師である馬祖禅師はどうかというと、『馬祖の語録』には次のように書かれています。
師は貞元四年正月、建昌の石門山に登り、林の中をそぞろ歩きし、洞穴が平らなのを見て侍者に言った、「私の身は、来月ここに帰ることになろう」。言いおわって帰ると、やがて病に臥した。
院主がたずねた、「和尚、このごろお具合はいかがですか」。師が言った、「日面仏、月面仏」。二月一日、沐浴し結跏趺坐して入減した。」
とあります。
朝比奈宗源老師は、『碧巌録提唱』の中で、
「釈宗演老師は、大正八年におなくなりですが、そのおなくなりになる前に、ご病気が相当悪くて、松が丘の東慶寺でお休みのところを、お目にかかった。私が行くと、老師は寝たままでだれもいないで二人きりだった。
私が、「いかがですか。」といってお辞饑する。
「日面佛月面佛。」とやられた。
お師家さんというのは親切なもんだと思います。
これが、私が宗演老師生前お目にかかった最後であります。」
と書かれています。
はるか遠い昔の中国唐の時代の問答が、日本の大正時代に再現されているのです。
山本玄峰老師がお亡くなりになる前に、「旅に出る、きものを用意しろ」と言われたといいますが、これもまた自由自在の心境かと察します。
建仁寺の竹田益州老師は、
「「初夏の青葉がいつしか秋になって紅葉となり、晩秋の霜に触れて赤々と映え、ああ美しいと見とれているうちに、やがて風もないのにはらはらと散って行く。自分の一生もこれとあまり違わぬと思う」(『金剛窟の風香』)と述べておられます。
また更に
「生あるものは誰しも一度は死に直面する。早いか遅いか、畳の上か海の上か、山中か空中かの違いがあるだけだ。どうせ死ぬなら青い草の上がよいかもしれぬ。草の香と土の香を嗅ぎながら、大空の下で大往生したらいいだろうと思う。でも人の死に方はいろいろだ。別にこだわる必要もあるまい。心の準備さえ出来ていたら。…やがて、やってくるだろうと思う。心静かに待つつもりである」とも説かれています。
いろいろの生死であります。
そのどれもが禅僧においては自由自在であることがうかがえます。
横田南嶺