icon_arrow-r_01 icon_tryangle icon_search icon_tell icon_download icon_new-window icon_mail icon_p icon_facebook icon_twitter icon_instagram icon__youtube

臨済宗大本山 円覚寺

臨済宗大本山 円覚寺

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ 2026.04.12 更新
  • 法話会・坐禅会・
    写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • 円覚寺売店
  • お知らせ
  • Q&A
  • リンク

© 2019 ENGAKUJI
ALL RIGHTS RESERVED.

お問い合わせ

2026.04.12
今日の言葉

我が師の恩

岐阜家揖斐川町にある大興寺様には、毎年法話にお参りしています。

毎年のことですが、何か題を決めてお話しています。

昨年は、「仰げば尊し」と題して話をしました。

「仰げば尊し」の歌がこの頃は歌われなくなったということから、今は歌われていない童謡をいくつか取り上げて、そこから禅の話にむずびつけたのでした。

「村の鍛冶屋」や「灯台守」の歌を紹介したのでした。

一昨年は、「ブッダを慕いて」と題して、ブッダの話をしています。

この年には、インドの仏跡を巡拝してきたあとだからでした。

その前の年には、「慈悲のこころを」という題でありました。

絵本の『パンダはどこにいる』を出版したあとでしたので、パンダの絵本の話から、人は誰しも素晴らしい仏様の心をもっていることを話しました。

その仏様の心とは慈悲の心にほかならないのです。

絵本の終わりに書いている

「仏教では、仏になることを理想としています。
仏とは、慈悲の心に満ちた完成された人格です。
仏の心とは、慈しみ思いやりの心です。
人は誰しも、生まれながらに、この慈しみの心をもっています。
そこで禅の教えでは、人は皆もともと仏であると説いています。
ところが、そのことに気がつかずに、外に向かって仏を求めてしまいます。」という言葉を紹介しながら話をしたのでした。

その前の年は、令和四年で、「こころひとつでー明るい方へー」と題しています。

心一つで
生きていることが
楽しくならねばならぬ
たとえ貧乏していても
ベッドに寝たきりでも
心一つで
楽しくなれるものだ
光が射してくるものだ
人々の幸せのために
湧出してこられた
仏さま方が
手を差しのべていられるのだ
だからしっかりと
おん手を握って
楽しく生きてゆこう(全詩集第三巻)

という坂村真民先生の詩を紹介して話をしたのでした。

それぞれの年に思うことを話をしてきています。

今回は、「我が師の恩」としました。

昨年の「仰げば尊し」から歌の言葉では続きになります。

しかしながら、この歌についての話ではありません。

ちょうど三月の末に、私が初めて坐禅を教わった和歌山県新宮市清閑院の後藤牧宗和尚の七回忌と、それから円覚寺の先代管長であった足立大進老師の七回忌の法要をお務めしたので、我が師の思い出、その教えについて話をしたのでした。

私は小学生の頃に、清閑院の坐禅会に出て初めて坐禅を教わりました。

そこで、目黒絶海老師にお目にかかることができました。

それから坐禅に通うようになって、中学生の頃には、公案をいただいて独参をしていたのでした。

絶海老師は、お話をなさるときに、今日ここにお集まりの皆さんはみんな仏様ですと手を合わせて拝まれていました、

まずこの教えが忘れられません。

初めてうかがったときには、老師は何か勘違いをしているのではないかと思ったほどでした。

私たちはほんの少し坐禅したといっても、足が痛いとか、蚊が飛んできたとか、雑念ばかりです。

そのいったいどこが仏なのだろうかと不思議に思ったのでした。

しかし、それからずっと坐禅をしてきて、この言葉は真実であることがよく分かりました。

それから「天神七代、地神五代、並びに八百萬の神、悉く皆身中に鎭坐せり」という言葉を教えてもらったものです。

この身体には天の神様も地の神様も、八百万の神々が鎮座しているのだ、その神々をお祀りするのが坐禅だという教えであります。

足立大進老師には二十六歳の時にお目にかかってお世話になりました。

大学を出て建仁寺の僧堂などで修行してきて、しばらく出家したお寺である龍雲院で小池心叟老師のもとで修行をしていました。

その時に、円覚寺本山から送られてくる、季刊誌『円覚」に載っていた老師の文章に心打たれました。

「速達で送った引導」という文章でした。

学生時代によく円覚寺に坐禅に通っていたという、足立老師とも親しい方が、癌にかかって一年も持たない容態になって、老師はお見舞いに行かれたのでした。

その後に、速達で手紙を出されました。

その中に

君のトレードマークの
笑顔を病床に見て
安心した 
「死」は必定の栖処(すみか)
安らかに迎えたまへ
もう世界のことも 日本の
ことも もちろん会社のことも
放念し ただ家族のことを
念じ 最後は
「無字」の息を丹田に
その呼吸にまかせよ
医師看護師さん そして
家族に「アリガトウ」を
忘れずに
妻を愛し 子供を慈しみ 
会社の為にも大いに尽くした
その誇りをもって「サヨナラ」を
言いなさい
五岳上人の辞世に
いざ西に
向いてお先に
出かけます
ゆっくりござれ
あとの連中
とある
「アリガトウ」の一句に
すべてをこめて
安らかに去れ
 右 引導申すなり

と書かれたというのです、

それを読んで、こういうことを言える老師に就いてみたいとは思って、円覚寺にお世話になることにしたのでした。

そうして老師のもとで修行しているうちに、老師の厳命で三十五歳の時に僧堂の師家となって修行僧の指導を任され、平成二十二年に、菅長になったのでした。

はじめて老師にお目にかかった時に、老師は「これからは馬車馬の如くに修行しなさいと言ってくださった」のでした。

馬車馬というのは「脇見をしないように目の両側におおいをされることから、脇目もふらずに物事をひたむきにすることのたとえ」です。

「馬車馬の如く進め」、こんな言葉をいただいて感動したのでした。

いろいろと老師に教わった教えについてお話をさせてもらったのでした。

 
横田南嶺

我が師の恩

前の記事

カテゴリー

  • 僧堂提唱(37)
  • 坂村真民 詩(97)
  • 掲示板 (今月の詩)(37)
  • 今日の言葉(2413)
  • 今日の出来事(164)
臨済宗大本山 円覚寺

〒247-0062 鎌倉市山ノ内409  
TEL:0467-22-0478

  • 円覚寺について
  • 拝観案内・アクセス
  • 境内案内
  • 年間行事・法要
  • 管長のページ
    • 管長侍者日記
    • ビデオ法話
    • 回覧板 (おしらせ)
  • 法話会・坐禅会・写経会
  • 御朱印・御祈祷
  • お知らせ
  • リンク
  • 円覚寺売店
  • Q&A
  • お問い合わせ