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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.04.11
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揖斐川町へ法話に行く

岐阜県揖斐川町に大興寺というお寺があって、近年毎年法話にお参りしています。

こちらのお寺は、先代のご住職の頃から布教にとても熱心でいらっしゃり、毎年法話会を開いてお招きいただいています。

京都の清水寺の森清範貫首や、曹洞宗の青山俊董老師も毎年ご法話をなされています。

そんなところに有り難いことに私もお声をかけていただいて、おうかがいしています。

最近は、大興寺さまにお参りする前に、同じ揖斐川町にある華厳寺にお参りしています。

華厳寺という名前のお寺は、たくさんありますが、この岐阜県揖斐川町にあるのは、天台宗の華厳寺であります。

山号は谷汲山と申します。

谷汲山とは変わった山号ですが、なんでもこの寺が建立されるとき巌 (がん) 中から油が湧いて出で、それを灯明に献じたという故事があるそうです。

それで、醍醐天皇から「谷汲山」の号と「華厳寺」の扁額を下賜されたというのであります。

醍醐天皇というと、第六〇代の天皇さまで、在位は八九七年から九三〇年までです。

宇多天皇の第一皇子であります。

このお寺は西国三十三所満願の霊場であります。

旅の間背負ってきた笈摺などが奉納される寺でもあります。

寺伝によれば、西暦七九八年奥州会津の大口大領 (おおぐちだいりょう) が、京でつくらせた十一面観音像を会津へ移す途中、この地で霊験を得、山中に庵 (いおり) を結んでいた豊然 (ぶねん) 上人を招き堂宇を建て、尊像を安置したのに始まるそうです。

巌中から油が湧いてきたのはその頃です。

そして花山法皇が巡幸のとき、当寺を満願所と定めました。

そして法皇は三首の句を納めたので御詠歌が三首あることでも知られています。

南北朝時代に新田軍がこもって諸堂は焼失してしまいました。

しかし一四七九年に再興されています。

本堂は一八七五年の再建であります。

このお寺の参道はとても長くて素晴らしいものです。

はじめておうかがいしたおりには感動しました。

西国三十二番までを歩いてきて、ようやくこの参道にたどり着かれた方のことを思いました。

素晴らしい観音さまの霊場だと感じいりました。

そこで毎年大興寺さまに行く前に、お参りしています。

今回は、もう少し時間に余裕がありましたので、その近くにある横蔵寺にお参りしました。

揖斐川町には、華厳寺と共に横蔵寺という古いお寺があると聴いていました。

ただなかなか時間がなくてお参り出来ずにいました。

今回は朝早くにでましたので、初めて横蔵寺にもお参りできました。

華厳寺は、参道の桜が有名で、その日もさくらまつりで大勢の方でとても賑わっていました。

それに対してこちらの横蔵寺は、ひっそりとたたずんでいます。

実に霊地であります。

お寺でいただいたパンフレットによりますと、

横蔵寺は、伝教大師が自作の薬師如来を祠った寺であり、比叡山の薬師如来と同じ木から作つたと言います。

横蔵の地は東山道、後の中仙道の赤坂の宿から七里(約三十キロ)北に位置し、横蔵街道と言う巡礼道があり、一里毎に薬師を祠っていました。

濃尾平野の北、両白山地帯の南、修行には良い環境と言えましょう。

平安、鎌倉時代には、この辺りの本山として、学問や文化の中心として栄えました。

本堂の左奥の山の頂上付近に、沢山の僧坊跡が在りますが、鎌倉時代の記録に拠れば、薬師堂、三重塔、楼門、政所をはじめ、三十八の僧坊があり、山内に百数十人の僧侶が住んでいたようです。

本堂跡、仁王門跡は現在まで残っています。

戦国時代には次々と寺領を侵略され、元亀の法難には織田信長に全て取り上げられます。

また比叡山再建のため、横蔵寺の薬師如来は比叡山ヘ移り、根本中堂の本尊となります。

横蔵寺も慶長年間に再建の運びとなり、現在に至ります。

と書かれています。

こちらのお寺には、国指定重要文化財の仏像が二十二体、県指定重要文化財の建造物三棟なと多くの文化財が残されています。

ご本堂は江戸時代初期、寛文十一年(一六七一)に完成したものです。

立派な三重の塔があって、こちらも江戸時代初期、同じ頃である寛文三年(一六六三)に完成されています。

仁王門も江戸時代初期、延宝三年(一六七五)のものです。

なんといっても境内のたたずまいが素晴らしいのです。

清流があって、前日の雨もあり水量も多くありました。

橋をわたって境内に入ります。

瑠璃殿という建物には、このたくさんの重要文化財の仏様を一堂に拝むことができます。

もっともご本尊のみは秘仏であります。

鎌倉時代の大仏師定慶の作という仁王像はご立派でとても迫力がありました。

深沙大将という珍しいお像がありました。

こちらは平安時代の古い仏像です。

深沙大将が玄奘三蔵のお伴の一人であり、『西遊記』では沙悟浄となっているそうです。

大日如来もまた平安時代の素晴らしい仏像であります。

薬師如来の眷属である十二神将もそろっています。

南北朝の作という四天王像もございました。

板彫法華曼荼羅というのは初めて拝見しました。

なんでも『法華経』の宝塔品を絵画化し、栴檀に彫刻したものだそうです。

中心の多宝塔の中に、釈迦と多宝の二仏が並んで坐っているのが見えます。

こちらも平安時代の貴重なものです。

天台宗では法華経を大事にしますので、こういう宝物もあるのだと思いました。

横倉寺ではこんなにたくさんの仏像を拝むことができて幸いでありました。

またこのお寺には、ご当地出身の妙心上人の入定されたままの舎利仏が伝わっています。

こちらも拝ませていただきました。

毎年お参りしている華厳寺に続いてこのたびは古刹横倉寺にもお参りしてから大興寺へと向かったのでした。

それぞれの地にある信仰の寺にお参りさせてもらえるのはとても有り難いことであります。

 
横田南嶺

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