一寸先を光に
本の題は、『日本をかっこよく!』です。
カバーには、「一寸先を闇にするのも光にするのも、自分しだい」と書かれています。
オビには、高野登さんと村上さんのお二人のイラストがあって、高野さんが、「村上さんの言葉は、不安を和らげる。日本の未来を明るくする。伝えるを伝わるへ。人の心が輝くのは、伝わったとき。本書の言葉は、まさに村上さんの真骨頂だ!」と書かれています。
またカバーのそでには、
「高野登さんは、1953年5月生まれ。村上信夫さんは、1953年6月生まれ。
お二人とも、古希を過ぎているのに若々しく、仕事もバリバリこなし、まさに似た者同士。
高野さんは、リッツカールトン日本支社長を56歳で退職、村上さんは、NHKを57歳で退職。
今でこそ、「早期退職」「転職花盛り」の日本社会ですが、15年以上も前に「大企業を中退」してしまいます。
さらには、それぞれ翌年には、「人とホスピタリティ研究所」設立。「ことば磨き塾」を立ち上げ主宰。(まえがきにかえてーより)」
と書かれています。
ごま書房新社から、高野さんと村上さんとの古希ペアで本を作りませんかと提案されたのが、きっかけだそうです。
村上さんの本が先にできたようです。
本の出版は三月三十日となっていますが、私はその前日の二十九日に頂戴しました。
本には、私の名前を入れてサインをしてくださっています。
有り難いことであります。
有り難くいただいて、パッと本を開くと、そこに私の名前がありました。
「ポクが親しくおつきあいをいただいている円覚寺の管長、横田南嶺さんの言集に「一寸先は光」というのがあります。
未来のことはわかりません。でも考え方ひとつです。
「一寸先を闇にするも光にするも」自分しだいです。
おこがましいかもしれませんが、自身の笑顏で少しでも周りを照らせたら、社会を明るくする助けになると思うのです。」
と書いてくださっています。
村上さんが二〇二二年の四月から東京の湯島の麟祥院で始められた大人の寺子屋 次世代継承塾に、私は第一回のゲストとしてお招きいただきました。
その時の題にしたのが、「一寸先は光」という言葉でした。
これをもとにしてくださっているのだと思います。
これは、私の言葉というよりも坂村真民先生の、詩の一節から来ています。
坂村真民先生の「鳥は飛ばねばならぬ」の詩に、
鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている
そのように人も
一寸先は闇ではなく
光であることを知らねばならぬ
という一節があります。
そこから取っています。
この「鳥は飛ばねばならぬ」の詩は、次世代継承塾でも朗読させていただきました。
また昨年の一月から村上さんが鎌倉エフエムのラジオで始められた、ごきげんラジオ、その第一回でも読ませてもらっています。
次世代継承塾をおはじめになって、その第一回にも招かれて、ごきげんラジオを始められて、その第一回からお招きいただいてと、有り難いことに、いつも村上さんには目にかけてもらっています。
元NHKエグゼクティブアナウンサーという肩書きのお方に、よくしてもらっているのは、恐れ多いことだと恐縮しています。
村上さんは二〇一二年からことば磨き塾を始められています。
また二〇一五年からは、「論語知らずの論語塾」もなさっています。
こちららは安岡定子先生が講師の会であります。
『論語』で繰り返し説かれているのは、「仁」についてです。
この本の中で村上さんは、
「顔淵という弟子の問いに対しては、「仁とは私心を捨て去ることだ」と答ええた孔子ですが、ピンときていない様子に業を煮やし、言葉を重ねます。
「非礼なものは見るな!目が腐る。非礼なものは聴くな!耳が腐る。非礼なことは言うな!口が腐る。非礼なことはするな!地獄に落ちる」と、強い調子で諭したといいます。
また仲弓という弟子の問いに対して「相手の気持ちになって、自分だったらイヤだなと思うことはしないこと」と説きます。
司馬牛という弟子の問いに対して、「つっかえつっかえしゃべること」と謎のようなことを答えます。
「真剣に考えながら話すと、ことばがすぐに淀みなく出てこない」という意味です。
立て板に水、理路整然、起承転結·······そういう話し方は、かえって人の心を打たない。
たとえ、つっかえながらでも、相応しいことばを選んで丁寧に話すほうが、心に響くということなのです。」
と大事なことを、よくまとめてくださっています。
こういう言葉などは、私も肝に銘じておきたいと思います。
村上さんがアナウンサー時代に先輩から言われたという、
「スタジオ入りするときは誰よりも上手いと思え。スタジオを出たら誰よりも下手だと思え」という言葉も、心に残ります。
人間は、言葉を使うようになって、他の動物と違って、大きな発展をしてきました。
言葉を獲得したことによって、人間は多くのものを得てきました。
知識を集めてそれを次の世代に伝えることができるようになりました。
更に文字の発明によって、経験や思想は個人の内にとどまらず、文化として共有されるようになりました。
言葉によって共通の約束や物語を持つことができ、社会の規模が飛躍的に拡大しました。
しかし、言葉は同時に大切なものを失わせもしました。
言葉は、直接的な体験を失わせる一面もあります。
「桜」という言葉を知ることと、実際に満開の桜を目の前にすることとは別の体験なのです。
また、言葉があることで「感じ合う」ことよりも「説明する」ことが優先される一面もあります。
なにも言わない、無言の一体感が薄れていく側面もあります。
さらに言葉は世界を切り分け、固定化するため、本来は流動的である現実を「こういうものだ」と決めつけてしまう危うさも持っています。
更に現代においては、言葉が人を苦しめる場面が一層顕著になっています。
例えば、他人から「役に立たない」とか言われると、その言葉は、その人の人物像として固定してしまいます。
また、SNSなどでは言葉が増幅され、誹謗中傷の中で人は容易に傷つけられます。
しかし一方で、言葉は人を救う力も持っています。
村上さんの説かれるうれしい言葉は、今の時代にあっても人の根底にある不安を和らげてくれます。
言葉は言葉を超えるための道しるべともなると思うのです。
言葉によって人は導かれ、今まで知らなかった新しい世界に触れることもできます。
そんな言葉と真剣に向かい合ってこられた村上さんの叡智がこもった一冊であります。
横田南嶺