さまざまのこと思い出す
昨年は月に一度出ていましたが、今年は、第五日曜日のあるときとさせていただきました。
なかなか月に一度というのは、日程を調整するのが難しいものです。
久しぶりに、鎌倉エフエムのスタジオに参りました。
日曜日のごきげんラジオをお勤めくださる村上信夫さんとスタッフの方が温かく迎えてくださいました。
いつものようにラジオは始まります。
昨年十数回にわたって出演させてもらっていますので、もう慣れたものであります。
最近の話題から話が始まります。
今年に入ってから既に三ヶ月も経っていますので、話すことには事欠きません。
まずは二月の御燈祭の話からさせてもらいました。
ふるさとの新宮市のお祭りであります。
神武天皇以来のお祭りに参加したのでした。
神倉神社という、五三八段もある石段を登った上に鎮座するごとびき岩をご神体とする古い神社であります。
そこに二月六日の夜に松明をもって登って、松明に火をつけて、午後八時の開門で石段を駆け下りてくるお祭りであります。
実に四三年ぶりに登ってきたという話をしたのでした。
そこで渾沌のよさについて話をしました。
全くの秩序もなにもない中でただひたすら待ち続け、松明をもって駆け下りるという、原初の体験が人間のいのちを蘇えらせてくれるのです。
今の整然と整えられ、コンプライアンスの遵守される世界とは違った趣があります。
村上さんからは、どうして四三年ぶりに登ろうと思ったのですかと聞かれました。
きっかけは、数年前に、熊野速玉大社の宮司様にお目にかかったことでした。
沖縄の沖宮で開催されるシンポジウムに招かれた時でした。
久しぶりにふるさとを思い出して、元気なうちにもう一度登ってみようと思ったのでした。
それから今月に石山寺にお参りした話をしました。
石山寺の桜の話は、そのあとの法話の時に詳しくお話しました。
今回のお便りテーマは桜でありました。
桜というテーマが書きやすいのか、また私も久しぶりの登板だからか、有り難いことにたくさんのお便りを頂戴しました。
桜にまつわる音楽も次々と流されてゆきます。
ラジオで聞いている方は、この音楽も聴けるのでしょうが、私はスタジオにいますので、どんな音楽が流れているのかは分からないのです。
むしろこの音楽が流れている合間に、短い打ち合わせをしたりしています。
法話もおのずと桜にまつわる話をしました。
松尾芭蕉の
さまざまのこと思い出す桜かな
という俳句を紹介しました。
実に分かりやすい俳句であり、よく知られています。
元禄元年(1688)芭蕉が、奥の細道の旅に出る一年前、故郷の伊賀の国に帰省した時に詠んだ句だと言われています。
芭蕉は四五歳の時でした。
芭蕉は五十年の生涯なので、すでに晩年といえるのかもしれません。
若い頃仕えていた藤堂良忠の跡目を継いだその子良長が、上野の下屋敷で花見の宴を開かれたのに招かれた時のようです。
芭蕉は、もともと藤堂良忠の近習でありました。
その藤堂良忠は、自ら催した花見の宴の後、二五才の若さで亡くなったのでした。
さまざまのことを思い出すという、その中身は分かりませんが、かつて仕えた主君良忠の若かりし面影を思い出しているのか、良忠の子の良長にかつての主君の面影を感じているのか、いろんな思いがよぎったのでしょう、
主君藤堂良忠公を野辺に送った後、芭蕉は二十三歳で侍の道を捨て、俳諧の道で生きる決心をしました。
そんないろんな思いが去来したのかもしれません。
それともうひとつ芭蕉の、
命二ツの中に生きたる桜かな
という句も紹介しました。
この句も晩年の作と言われています。
二十年ぶりに知人に出会ったときに作ったそうです。
久しぶりに再会した感懐を詠っているようです。
この二つの俳句をつなげる話に、石山寺の桜の話を致しました。
石山寺の桜については、かつてお話させてもらっているので、内容については省略します。
日航機墜落事故で、大事な娘さんを亡くされた母が、石山寺に犠牲者の数と同じ五二〇本の桜を植えたという話であります。
満開の桜を見ながら、亡き人と、桜を今愛でている本人と、その二つの命の中に、桜が今も生き続けているのだと受けとめたのでした。
坂村真民先生の詩の朗読では、これも花にまつわる詩を読みました。
花は嘆かず
わたしは
今を生きる姿を
花に見る
花の命は短くて
など嘆かず
今を生きる
花の姿を
賛美する
ああ
咲くもよし
散るもよし
花は嘆かず
今を生きる
花
何が
一番いいか
花が
一番いい
花の
どこがいいか
信じて
咲くのがいい
花
花には
散ったあとの
悲しみはない
ただ一途に咲いた
喜びだけが残るのだ
一途に一心に咲く花を真民先生は愛されました。
そしてその花のように自分もまた自分の花を咲かせようと詠うのであります。
自分の花
真実の自己を見出すために
わたしは坐を続けてきた
自分の花を咲かせるために
わたしは詩を作ってきた
しんみんよしっかりしろと
鞭打ち励まし人生を送ってきた
天才でない者は努力するほかに道はない
タンポポを愛し朴を愛するのも
その根強さとその悠揚さとを
身につけたいからである
坐も生死
詩も生死である
ああこの一度きりの露命の中に咲く花よ
どんなに小さい花でもよい
わたしはわたしの花を咲かせたい
岩手県盛岡にある石割桜の話を初めてうかがいました。
巨大な花崗岩の割れ目から育った桜だそうです。
樹齢三六〇年を越える大木の桜だそうです。
何でも江戸時代に家老の屋敷にあった巨石が雷を受けてできた割れ目に桜の種が入りこんで、成長したというのです。
今は盛岡地方裁判所の構内にあるそうですが、かつて火災に遭った時に庭師の方が身につけていた半纏を水で濡らして桜を守ったという話もうかがいました。
桜も一部が焼けたそうですが、翌春には再び花を咲かせたという話でした。
その日の鎌倉は実に桜も満開で、いろんなお話を聞き、おたよりをいただいてさまざまのことを思いながら、寺に帰ったのでした。
横田南嶺