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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.04.03
今日の言葉

しんめいさん来たる

しんめいPさんの著書『自分とか、ないから』という本が出版されたのは、二〇二四年の四月のことでした。

サンクチュアリ出版というところから、出されています。

これがとても多くの方に読まれているのです。

二〇二六年二月の時点で、第十三刷と版を重ねています。

電子書籍も含んで累計二十六万部というのですから、いかに多くの方が手に取ってよまれているかが分かります。

本の題名も衝撃的だと感じます。

また本の装丁も黄色のカバーで目にとまりやすいものです。

カバーには、サブタイトルで、「教養としての東洋哲学」と書かれています。

オビには、京都大学名誉教授鎌田東二監修とも書かれています。

それから更にオビをみると、東大卒・こじらせニートが超訳、ぶっ飛んでるのに論理的、生きづらさが少しマシになる かもしれない それが東洋哲学、人生激ムズくない?

などの言葉が並んでいます。

「こじらせニート」や「超訳」、「激ムズくない」などと、現代の言葉が並んでいるのが特徴であります。

「生きづらさがマシになる」とあるように、今の世の中に生きづらさを感じている人が手にとられたのだと思います。

本の中の表現は、とても現代的で、私などにはついていけないという思いがしていました。

しかし、その内容はじつにしっかりとしています。

これが多くの人を引きつけていったのです。

この本が出版されて話題になった頃に、修行僧たちにも読ませたことがありました。

今の若者である修行僧たちも、この本がとても分かりやすいと喜んでいたのでした。

そんな話題の本でありますので、私も出版された時に読んでいました。

この管長日記で紹介しようとも考えていました。

しかしながら、私の管長日記で紹介するまでもなく、この本はとても注目されていったのでした。

本の巻末の参考文献のところには、なんと有り難くも「円覚寺・横田南嶺管長のブログからも多くヒントをいただきました」と書いてくださっています。

そこで一度お目にかかってみたいと思っていたのですが、本が注目されてご本人はいろんなところに呼ばれて忙しそうに思いましたので、遠慮していました。

それが最近藤田一照さんと対談されているのを知りました。

そこで再び思い出して、一照さんを通じて連絡させてもらったのでした。

関西にお住まいのしんめいさんなので、上京なされる機会に合わせて円覚寺にお越しいただいたのでした。

お迎えに上がると、しんめいさんは休憩所でくつろいでいらっしゃったようです。

早速ご挨拶申し上げて境内をご案内させてもらいました。

初めてお目にかかって、実に自然体で力みがない方だと感じたのでした。

山門の説明からさせてもらいました。

しんめいさんは、円覚寺にお越しになるのは初めてだそうです。

それでもあらかじめ調べてくれていたようで、関東大震災の被害について聞かれました。

この山門は残ったのですと申し上げたのでした。

佛殿に入ってご本尊宝冠釈迦如来を拝みました。

もとは毘盧遮那仏とされていますとも申し上げました。

まだ若き日の面影を残す達磨大師像もご案内しました。

達磨大師は、しんめいさんの『自分とか、ないから』にも登場している人物です。

そして舎利殿、開山堂までご案内しました。

開山の無学祖元禅師についてはとても関心を持たれている様子で、どのような経緯で日本に見えたのかと聞かれました。

そこで日本にお見えになる当時の時代背景からいきさつをお話しました。

そして部屋に移って二時間ばかりお話させてもらいました。

私が申し上げたのは、この本が七人の人物を取り上げていることに注目したことです。

この本では、ブッダ、龍樹、老子、荘子、達磨、親鸞、空海という七名が取り上げられています。

本のカバーにはそれぞれのイラストがあって、短い言葉があります。

ブッダには、「自分なんてない」。

龍樹には、「全部、空」、老子には「ありのままが最強」、荘子には「この世は夢」、達磨には「言葉はいらねえ」、親鸞には「多力本願でOK」、そして空海には「欲あってよし」と書かれています。

短い言葉で特徴を表しています。

この短い言葉で分かりやすくがこの本の特徴でもあります。

この七名のうちの六名は、私が五十年来探求し、私の人生に大きな影響を与えた方なのです。

ブッダはいうまでもなく、十歳のころから今日に到るまで一貫して、その教えを求め続けています。

龍樹は学生時代に勉強したものです。

この本にはチャンドラキールティのプラサンナパダーからの引用があって驚いたのでした。

これは中論の注釈書で、私などは学生時代にその原典に挑んでいたのでした。

老子、荘子は、禅の思想が生み出されるのに大きな影響を与えたものとして学び続けています。

達磨大師はいうまでもありません。

親鸞聖人のお念仏もまた、禅を学びながら、私にとっては一貫した課題でもあるのです。

今の京都に泊まると、本願寺で念仏させてもらっています。

ブッダの教えの中でも般若経典に説かれている空の思想が、禅の根底にあると思っています。

龍樹の中観は、空の思想をかなり論理的に解明されています。

しかし私などは中観を学びながらその煩瑣な論理や哲学についてゆけなくなりました。

この中観の伝統を忠実に受け継いでいるのがチベットの仏教だと思っています。

中国に伝わって、この空の思想は、老荘の教えとなんらかの形で結びついて禅へと発展していったとみています。

この一連の流れが、この本では分かりやすく説かれています。

そして更に日本の仏教に大きな影響を与えた親鸞を取り上げているのです。

禅と念仏、どこがつながるかというと、それは「空」であることにほかなりません。

自我がないという世界なのです。

どちらもその自我のない、しんめいさんの言葉では「自分とか、ない」世界を求めて実現しているのです。

しんめいさんはそこにも着目されています。

「親鸞は、じぶんの無力さに絶望した」

「そしてついに絶望の先に、希望の光をみいだいした。

仏教をひっくりかえすような、大転換の哲学にたどりつく、それが「他力」の哲学なのだ。」と書かれていて、

そのあとに、

太く大きな文字で「あきらめると「空」がやってくる」と書かれているのです。

私の五十年の求道の軌跡とこの本で説かれていることは重なるのです。

ただ私はまだ空海の教えにまではたどり着いていません。

おそらく今生では無理だろうとあきらめています。

しかし、しんめいさんは更に空海まで論じておられるのですから、驚きなのです。

この本はとても分かりやすく、現代的な言葉で書かれているので、批判的な見方もあるかもしれません。

しかし、巻末の鎌田東二先生の解説に書かれている言葉には耳を傾けるべきだと思います。

「多くの大学教授や批評家などの仏教や東洋哲学についての本は、専門的で理詰めのものがほとんどだ。専門的な間違いは少ないかもしれないが、しかし、生きていく際の力や指南になることはほとんどない。

本書の魅力と特色は、読者の生き方やあり方を、自分を切り刻みながら問いかける「捨て身戦法」だ。

だいたい、ほぼすべての専門書は言葉も論理も防衛的で、分厚い防衛線を張りに張って、張り巡らせている」

というのです。

ご自身の深い悩みや生きづらさが根底にあって、飾ることなく率直に書かれていて、しかもその分析が明解であり、譬喩も分かりやすいのが特徴であります。

本書も素晴らしいのですが、このたび直接しんめいさんにお目にかかって、そのお人柄にも心惹かれました。

まるで老子や荘子が、ふらっと現代の身なりをして現れているようにも感じたのでした。

 
横田南嶺

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