白圭尚磨くべし
白圭尚磨くべし
という一行書であります。
円覚 栽松と書かれています。
栽松は足立老師の室号でありました。
栽松軒といいます。
この言葉は難しいものです。
白圭の「圭」は、「天子が領土を与えたしるしとして、諸侯に与える玉器」で「正式の場では手に持って貴族のしるしとする。」と漢和辞典に解説されています。
白圭は白く清らかな玉器です。
玉器は「玉製の器物。また、玉で飾った器物。」です。
玉は、「たま。中国で最も好まれた貴石。」です。
硬玉と軟玉に分けられて、硬玉は、翡翠のことです。
「軟玉は、ネフライトのことで、角閃石(カクセンセキ)や陽起石(ヨウキセキ)を指す。
古代では、つややかな肌ざわりと、強靱であることと、たたくと美しい音色がすることから、軟玉が好まれた。神秘的な力を持つとされ、王権や、威信財などのシンボルとなった。」というものです。
白圭尚磨くべしは、もともと『詩経』に出ている言葉です。
『詩経』大雅・抑の詩の「白圭の玷くるは、尚お磨く可きなり。斯の言の玷くるは、為(おさ)む可からざるなり」という言葉です。
この意味は、白圭の欠けたものは磨けばよいが、一度口に出した言葉は取り返しがつかないということです。
言葉を慎重にすることを表す言葉なのです。
『論語』に「南容白圭を三復す。孔子其の兄の子を以て之に妻す。」という言葉があります。
「南容は詩経の白圭の句を繰り返し口ずさんでいた。孔子は兄の子を嫁がせた」という意味です。
孔子の門人に南容という人がいたのでした。
孔子はこの南容に自分の兄の娘を嫁にしたのでした。
それほどまでに信頼していたということです。
白圭は『碧巌録』にも出てきます。
第八則の頌に「白圭玷無し、誰か真仮を辨ぜん」という言葉があります。
山田無文老師は、「白圭は、中国の古代に皇帝から諸侯に与えた玉のことで、上が丸くて下が四角い真っ白な透明な玉である。
透明な玉だからキズがあったらすぐ分かる。
「白圭の玷は尚お磨く可し、斯の言の玷けたるは為す可からず」と詩経にもある。
白圭にキズがあるのはすぐに分かり、直すこともできるが、言葉の言いそこないは償いができん。
一ペんロから出したらおしまいだ、ということである。」
と提唱されています。
完全無欠な徳を表しています。
いつの頃から、白圭尚磨くべしは完全無欠な玉を尚磨くようにという意味に取られるようになってきました。
不断の修養が必要だという意味であります。
精進の上にも更に精進するという意味に説かれるようになってきたのであります。
人の資質や徳はどれほど優れて見えても、たゆまぬ修養と自己研鑽によってさらに磨きなさいという意味に取られるのです。
人の本性は玉のようにすぐれたものであるけれども、精進して磨くことが大事だという意味にも取られます。
そのように変化してきています。
しかしながら、人間の徳を磨くには、やはり言葉を慎むことが大事なので、言葉を慎んで更に磨くようにという意味にもとれるかと思います。
道元禅師の『正法眼蔵随聞記』にも、こんなお示しがあります。
こちらは講談社学術文庫の『正法眼蔵随聞記』にある山崎正一先生の現代語訳を引用します。
「三たび考え直して(復想(かえそう)して)後にいえ」という言葉があるが、その趣旨は、すべて、ものをいおうとするときも、事を行おうとするときも、必ず三度、くりかえし考えなおしてのちにいい、また行え、ということだ。
昔の儒者も多くは「三たび考え直してみて、三回とも善であるならば、いい行うがよい」といっている。
宋国の賢人たちの考えでは、三たび考え直してというのは、いくたびも考え直してみよ、ということだとしている。
言葉に出すまえに、よく考え、行うまえに、よく考えてみて、考えるたびごとに、必ず善ということになるなら、いいもし、また行うべきだということである。
禅僧も、また、必ずこのようでなくてはならぬ。
自分で考えたりいったりすることにも、自分では気がつかない悪いことがあるかも知れないのだから、まず、仏道にかなっているかどうかと反省し、自分のため他人のため、悟りのために有益であるかどうかと、よく考え反省してみてのちに、善いということになるようなら、行いもし、いいもすべきなのだ。
修行者が、もし、この心がけを守るなら、一生涯、み仏のみこころに、そむくことがないであろう。」
というお示しであります。
このような心がけでお互い本来もって生まれた白圭を磨き続けることが大事だというようにも味わうことができます。
それほどまでに、言葉というのは、大切なものです。
言葉によって人は大切な教えを学ぶことができます。
しかし、言葉によって人を傷つけてしまうこともあります。
とても難しいのは、こちらがよかれと思ってかけた言葉でも相手にもそうとは伝わらないこともあるのです。
それだからこそ、何度も考え直して言うようにするのが大事なのだと学びました。
白圭尚磨くべしの書を拝見しながら学んだことでした。
栽松老師の端正な書であります。
居ずまいを正して揮毫されたことがうかがえます。
先代の管長もこのような思いで身を慎んでおられたのだと偲びました。
横田南嶺