恩師の法要
新年度の始まりであります。
花園大学では入学式であります。
修行道場にも新しい修行僧が入ってきます。
初心にたち返るときでもあります。
先月の末に、和歌山県新宮市にある清閑院に行ってまいりました。
私がお世話になった清閑院の先住職、後藤牧宗和尚の七回忌の法要をお勤めするためであります。
有り難いことにも、清閑院の今のご住職から、牧宗和尚七回忌の導師の役をいただいたのでした。
古いご縁を忘れずに、お招きいただくことはとても有り難いことであります。
前回は三回忌の法要をお勤めさせていただきました。
清閑院に着いて、私は奥の茶室に案内してもらいました。
茶室が私の控え室になります。
そこで、大導師としての着替えなどを行うことになります。
床の間を拝見すると、これまた有り難いことに目黒絶海老師の墨蹟が掛けられていました。
無の一字であります。
無と書いた絶海老師の書の前に坐ると、まるで絶海老師に参禅している気持ちになります。
しみじみとここで老師に参禅をしたのだと思い出していました。
もっとも清閑院さまは一度火災に遭って建て直していますが、同じところに茶室がありました。
私が参禅したのは、中学生の頃でありました。
後藤牧宗和尚のお寺には小学生の頃から坐禅に通っていました。
中学生になって、牧宗和尚からただ坐っているだけではだめなので、独参に行って公案をもらってきなさいと言ってくださったのでした。
独参をされるのは年配の方がほとんどでしたので、中学生の独参などは異例でありました。
独参というのは、一人ずつ老師のお部屋に入って、老師と一対一で禅問答をすることをいいます。
禅問答といっても、こちらから何かを老師に尋ねるのではなく、老師から問題を与えられて、それにこちらが答えを申し上げるのです。
その答えがじゅうぶんでなければ老師は黙って鈴を振ります。
鈴を振られたらお部屋から退出します。
また老師からいろんなお言葉をいただくこともあります。
お部屋に入るときに一拝して、老師の前でまた一拝、退出する時にも拝をします。
そのような作法に則って参禅をするのです。
臨済宗の場合、「参禅する」というと、この独参をすることをさすことが多いのです。
緊張して老師の部屋に入ったことを思い出していました。
老師は床の間の前に、悠然とお坐りになっていました。
小柄な老師でありましたが、泰然自若たるご様子は、大きな山がそびえているかのようでありました。
それから春休みや夏休みに絶海老師のおられる興国寺に行って、独参をさせてもらっていました。
もうあれから四十数年、半世紀近くが経ちます。
以来ずっと禅問答に取り組んで今日に到るのです。
そんな感慨に浸りながら、法要の支度を致します。
やがて太鼓が鳴って本堂に参ります。
本堂には大勢の和尚様や、ご親族、檀家総代や役員さんたちがお集まりになっています。
本堂の中央に立って私は導師お役目を致します。
はじめに焼香して三拝、それからご飯とお湯をお供えして三拝し、更にお茶とお菓子をお供えして三拝して、合計九回の拝をします。
九拝式であります。
そして私が偈を唱えます。
その後、妙心寺独特の節回しの読経が始まります。
楞厳呪を行道といって歩きながら読むのであります。
本堂に立っていると、五十年前のことを思い起こします。
まだ小学五年の時でありました。
ここで私ははじめて坐禅をしたのでした。
ここで目黒絶海老師のお姿を拝見したのでした。
絶海老師の三拝されるお姿に感動したのでした。
老師から無門関の提唱を拝聴したのでした。
無門関は何度も提唱してきました。
それらすべてはここから始まったのでした。
無門関を拝聴してその漢文のリズムの心惹かれたのでした。
無門関の全文を書き写して、自分で製本したりしていました。
ここで山本玄峰老師の提唱をカセットテープで拝聴したのでした。
昭和二十八年玄峰老師八十八歳のときに、この清閑院で授戒会が催されています。
そのときの説教師を務められたのが、松原泰道先生でありました。
松原先生はまだ四十六歳のころであります。
松原先生から、この清閑院での授戒会の時の話をうかがったこともありました。
法要を勤めながら様々なことが思い浮かびました。
地元の和尚様方もすっかり代替わりでして、私よりお若い和尚様がほとんどとなっています。
私の著書『祈りの延命十句観音経』には初めて清閑院で絶海老師にお目にかかった時のことを書いています。
「そんな頃にまだ小学五年生でしたが、菩提寺のお寺の坐禅会に参加しました。そこで由良(ゆら)の興国寺の目黒絶海老師にお目にかかりました。
目黒絶海老師には、私はそう長い間ご指導いただいたわけではありませんが、初めてお目にかかった老師さまであり、子供心に強烈な印象を受けました。
絶海老師が夏の坐禅会にご提唱にみえると、普段私どもが一番お偉いと思っている和尚が、頭をすりつけるように平身低頭してお出迎えなされています。
何と更にお偉い方がいらっしゃるのだと感じ入りました。
いまにしても思い出しますが、当時夏でしたので、茶色い麻のお衣で、小柄な老僧が太鼓の合図で出て見えました。
その絶海老師が、ご提唱の前にご本尊に焼香して礼拝なされます。
これがなんとも神々しく思われました。
子供心に身震いするような感銘を受けました。
そのお姿に心ひかれて、坐禅に通うようになりました。
生死の間題を解決する道がここにあると子供ながらに確信いたしました。
それは直感です。学校の先生のいうことはどうもアテにならないけれどもこちらの方が本物だと思いました。
それから一生懸命坐禅に行くようになったのです。
今でも菩提寺の和尚が言います。私は坐禅会が始まる1時間も前に行って坐っていたというのです。和尚もさぞかし困ったと思います。
あまり熱心にくるものだから、独参に行けと言われたのが中学校二年の頃でした。
そうして、由良の興国寺まで行って相見(しょうけん)させていただきました。
独参と言ってもよくわからないけれども、和尚さんが行けというものだから、由良の興国寺に行って絶海老師に相見して、公案をもらって坐禅をするようになったわけです」と書いています。
また「初めて老師のお話をお聞きしたときに、老師は高座に上って手を合わせて皆を見渡して、「今日お集まりの皆さまは、みんな仏さまです」と合掌して拝まれました。
一番偉いと思っていた和尚さまよりも更にお偉い老師さまが、合掌して拝まれたのは、何と私たちでした。これは不思議に思いました。
最初は、老師は何か勘違いをしているのではないかと思いました。
私たちは、確かに少しばかり坐禅はしたけれども、心の中は雑念ばかりで、仏さまにはほど遠い。
それなのに、どうして老師はみんな仏さまだといって、拝まれるのであろうかと、不思議でなりませんでした。
それから二十年来坐禅して、まさに老師の仰せの通り、銘々みんな仏さまであったというのが、結論です。」
とも書いています。
懐かしいことを思い出して恩師の法要を務めてきたのでした。
横田南嶺