大泰寺に泊まる
前日から和歌山に行って、那智勝浦町にある大泰寺に一泊しました。
大泰寺は後藤牧宗和尚の三回忌を勤めるときにも泊まりました。
四年ぶりであります。
昨年の春に、この大泰寺のお弟子さんが、円覚寺に修行に来てくれていますので、そのご縁もあって、このたびは、そのお弟子さんとともに大泰寺に参りました。
大泰寺がどんなお寺なのか、お寺の案内板には次のように書かれていました。
「那智勝浦町下和田の大泰寺は、周辺十六村からなるかつての大田荘の中心寺院である。
東を那智荘、北を色川郷に接している。
現在、寺伝では桓武天皇の勅願による伝教大師最澄の開山とするが、近世後期の地誌『紀伊続風土記』によれば開基は不詳、享禄·天文の頃(一五二八~五五)僧安渓が入って禪宗となり、のち新宮·崗輪寺の僧秀山が慶長年中(一五九六~一六一五)に入山したという。
境内薬師堂安置の薬師如来坐像(重要文化財·指定名称は阿弥陀如来坐像)は、像内の銘文から法橋尊誉を願主として保元元年(一一五六)に制作されたことが判明する。
尊誉は『本朝世紀』仁平三年(一一五三)三月五日条に、「那智」の僧として登場する人物であり、本像の存在は、中世、大泰寺と那智山との間に密接な関係があったことを示している。
他に貞和三年(一三四七)銘地蔵菩薩坐像や、永和五年(一三七九)銘板碑、永享十二年(一四四〇)銘懸仏など、紀年銘を有した文化財の宝庫である。
那智勝浦町の歴史を考える上で、今後さらに注目すべき重要な宗教拠点の一つである。」
と書かれています。
平安時代の薬師如来がお祀りされているのです。
立派な薬師堂があります。
それから私たち臨済宗では、雪潭禅師がここに住しておられたことでも知られています。
雪潭禅師は、のちに岐阜県美濃加茂市にある正眼寺に僧堂を開単された方であります。
ただいまの妙心寺派の管長山川宗玄老師は、この正眼寺の師家でもいらっしゃいます。
雪潭禅師は享和元年(一八〇一)のお生まれです。
こちらの那智勝浦町太田の出身なのです。
お父様が早くに亡くなられて、十歳のときに地元の大泰寺で出家されています。
のちに美濃(みの)(岐阜県)慈恩寺の棠林宗寿禅師に師事して修行して印可をうけられています。
弘化四年四十六歳で美濃正眼寺の住持となられます。
明治六年(一八七三)お亡くなりになっています。
七三歳でした。
そんな禅師が、出家して住しておられたお寺なのです。
今の大泰寺では民泊をなさっています。
これもお寺を守っていくためであります。
多くの外国人の方がご利用になっているようです。
ですからお寺に泊まることも容易なのです。
今のご住職は西山義海和尚です。
お寺の維持とともに布教にもとても熱心な方でいらっしゃいます。
大泰寺には坐禅堂もございます。
まずお寺に入って驚いたのは、床の間に加藤耕山老師の墨蹟がかかっていることでありました。
どうしてここに耕山老師の墨蹟があるのかとうかがうと、耕山老師の達磨図に感動されて、求められたというのです。
九十歳の時の素晴らしい達磨大師の画讃であります。
それから到るところに、いろんな言葉、教えがかけられています。
円覚寺の前管長足立大進老師の
花も美しい 月も美しい
それに気づく 心が美しい
という書もかけてくださっていました。
福沢諭吉の心訓もあります。
一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。
一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。
一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。
一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。
一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。
一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。
一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。
それから貝原益軒の養生訓の言葉も目にとまりました。
「心をしづかにしてさわがしくせず。
ゆるやかにしてせまらず。
気を和らかにしてあらくせず。
ことばを少なくして、声を高くせず
常に心をよろこばしめて、みだりにいからず。
悲しみ少なくし、かへらざることをくやまず。
過ちあらば一たび我が身をせめて、二度と悔いず。
ただ天命にやすんじてうれえず
是れ心気をやしなう道なり
養生の士かくのごとくなるべし」
とあります。
味わい深い言葉であります。
本堂にお参りすると、私が作った小冊子『ばかになる修行』がたくさん積んでくれていました。
あとでおうかがいすると、この冊子がとてもいいのだと言ってくださっていました。
これは有り難いことであります。
お寺に泊まって、翌朝はいつものように三時におきます。
すぐに五体投地の礼拝を百八回します。
そのあと真向法をしてから、まだ早いので管長日記の文章を書きます。
夜が明けて朝になる頃に本堂に行って、一人坐禅していました。
とてもすがすがしいものです。
坐禅が終わる頃に明るくなりかけて、住職の西山和尚がお見えになりました。
一緒に本堂で朝のお勤めをさせてもらいました。
かつて雪潭禅師がいらっしゃったお寺で坐禅してお経をあげるのは感動します。
外で泊まるのは、ホテルがほとんどなので、こうしてお寺に泊まって朝を迎えることができるのはとても有り難いことです。
ホテルでも五体投地や坐禅、声を出さない読経を行っていますが、お寺ですと、思う存分に礼拝読経坐禅ができて有り難いのです。
朝からとても充実した時を過ごすことができました。
横田南嶺