すべってもころんでも
学位記授与式といいます。
もう大学の総長を務めて丸八年が過ぎて、九年目に入りました。
総長室に入ると、総務の方から、式次第の紙を渡されます。
慣れないころには、この式次第を見て、不安を覚えながら参列したものでした。
また式次第には、大学の校歌も書かれていますので、校歌斉唱の折には、見なければいけませんでした。
それで式次第を懐に入れて、式典に向かったものです。
ところがもう長く通っていると、式次第もすっかり頭に入っていますし、校歌も暗唱しています。
すでにこの式次第をもっていくことはなくなっているのです。
渡されたプリントを確認しただけで、理事長さんたちに、もうすっかり校歌も覚えてしまって、もっていくこともなくなりましたと話をしていました。
大学歌は山田無文老師の作詞で、團伊玖磨さんの作曲です。
一番は、
自覚の曙光あざやかに
眼皮穿ちし明星を
高く仰ぎて心(むね)躍る
われらが学園 花園大学
という歌詞です。
卒業式は太鼓の合図で始まります。
臨済宗では法鼓といいますが、独特の太鼓の打ち方があって、その太鼓の鳴り響く中を会場に向かいます。
壇上には大きな観音様がお祀りされています。
その前に、総長である私や学園長、学長、理事長や来賓が座ります。
時間と同時に幕が開いて式典が始まります。
まずはじめに総長である私が代表して、観音様に焼香して三拝をします。
これがなかなか慣れないものでした。
なにせ後ろから何百人もの方がみていらっしゃる中で三拝するので緊張したものでした。
それもすっかり慣れています。
その三拝している間に、三帰依文の歌が流れます。
慣れたもので、ちょうどその歌が終わるのと同時に三拝も終えることができます。
そうして各学部の代表に学長から学位記が授与されます。
そのあと引き続き学長の式辞であります。
学長の式辞はいつも格調の高い内容です。
今回も耳を澄ませて聞いていると、はじめの方に、金子みすゞの詩が出てきて少々驚きました。
『私と小鳥と鈴と』という詩です。
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
というよく知られた詩であります。
そんな詩を引用されてそのあとに、学長はこの詩に対して、元大阪大学総長で哲学者の鷲田清一先生が、2025年(令和7年)10月28日の朝日新聞「折々のことば」で語った言葉を紹介されました。
それは「「人類の普遍」に訴えることが局地的な伝統や権威からの解放につながる状況は21世紀に入って反転し、生の多様性の尊重が相互の孤立へと傾きだしたと人類学者は言う。」というのです。
たしかに、伝統や権威にがんじがらめにされていた時代においては、それぞれの個性や多様性を認めてくれることは解放感があったと思われます。
しかしながら、あまりにも多様性が尊重されるのが当たり前になると、今度はまた多様性のあまり孤立が深まるというのです。
学長は「多様性の尊重が相互の孤立を生み出してはいないでしょうか。「均質の普遍ではなく、互いの異質さを捨象しない」「普遍のありようを問い続け」ることが求められています。卒業生の皆さんには、多様でありつつ、普遍である、そのような価値、そして、人と人との関係を考えていっていただきたい。」と静かに語っていました。
そこから更に式辞は大きく発展しました。
「2023年WBCで優勝した栗山英樹監督は、「見たことのない景色を見させてもらった」と。」と栗山さんの言葉を紹介されました。
栗山さんは一作年に花園大学に来てもらっています。
栗山さんの言葉を出されるのにも驚きましたが、さらに学長は、
「「KINGDOM」で王騎将軍が信に対し、「これが将軍の見る景色です」といいます。
「将軍の目には色々なものが見えます。例えばほら···敵の群れを、敵の顔を、そして味方の顔を、天と地を。これが将軍の見る景色です」。
信はこの瞬間、「今の一瞬でなぜか全身に力がみなぎった」と感じており、王騎から受け継いだこの景色が、その後の信の成長における道標となります。」
となんとKINGDOMの言葉を引かれました。
これには驚きました。
そして「いま皆さんは、大学を卒業します。皆さんにはどのような風景が見えているのでしょうか。それは、美しく、力強く、温かいものであるはずです。」と続けていました。
式のあと、KINGDOMを出されたことに驚いたと学長に伝えると、今の学生はほとんど皆知っているので、興味を持ってくれるのですと言ってくれていました。
今の学生さんたちの心に響くように工夫されているのでした。
そのあと、更に学長は教場というドラマに触れて、木村拓哉演じる警察学校の教官、風間公親(かざまきみちか)の話をされました。
学長は、その風間が「適性のない者には容赦なく退校届を突きつける冷徹な人物です。厳しい訓練の連続ですが、そこを貫くテーマは、人間の愛、絆、約束、許しではないかと考えます」と言っていました。
そんな学長の式辞のあとに私が祝辞を述べます。
わたくしはいつも短くお話させてもらっています。
わたくしは皆さんに「これで小学校に入って以来、教室で学ぶということは終わりになります。大学院に進まれる方もいらっしゃるかと思いますが、多くの方はこれから社会に出てゆかれます。どうかそれぞれの場でご活躍をお祈りします。
最近とある東京大学の先生と話をしていて、こんなことを聞きました。
その方の先生から言われたことだそうです。「研究者というのは正解を出し続ける仕事ではない、最前線で試して転がったりひっくり返ったりしているのを見せればそれでいい」というのです。」
という言葉を紹介して、わたくしが初めて参禅問答の修行を始めた頃に、老師からいただいた「すべってもころんでも登れ不二の山」という言葉を紹介しました。
そして、修行時代にこの言葉に支えられてきたことを申し上げ、更に「この言葉は、まずすべったりころんだりすることは当たり前に起きることだというのを教えてくれます。そしてすべって、ころんでもまた起き上がれたいいと教えてくれています。
どんなにころんでも、底のない暗闇に落ち込むことはありません。
かならず大地が支えてくれるのです。その大地に足を踏みしめて立ち上がればいいのです。
私たちはいつもこの大地に支えられています。
坐禅はこの大地に支えられていることを確かめる営みでもあります。
どうか、新しいことに挑むこころを忘れずに、すべったりころんだりすることを畏れないでください、大地が支えてくれています。
また手を差し伸べてくださる方もいらっしゃいます。
ころぶたびに起き上がり一歩でも半歩でも前に進んでください、その営みが皆さんの豊かな人生となります。」
と申し上げたのでした。
卒業される学生さんたちの明るい未来を願って卒業式に参列してきたのでした。
横田南嶺