ありのままでいいか – 其の二 –
「禅を読む、中国禅から白隠禅へ」というテーマでした。
ありのままでいいかという問題が中心となっています。
研究所理事長の松竹寛山老師の実践講座のあとは、小川隆先生が登壇なされました。
まずはありのままを是認する馬祖禅の基本思想について平易に説いてくださいました。
小川先生の用意してくださった資料には、
「自己の心が仏なのであるから、自身の営為はすべてそのまま仏作仏行にほかならず、したがって、ことさら聖なる価値を求める修行などはやめて、ただ「平常」「無事」でいるのがよい。」という教えであり、これはまさに「あるがままの自己の、あるがままの是認」であると書かれています。
仏心や仏性は、お互いの目で物を見たり、耳で音を聞いたり、鼻で匂いを嗅いだり、舌で味わったり、手で物をつかんだり、足で歩いたりする、日常の動作に現れています。
そしてその仏性は、決して自分の身体の内部におさまっているのではなく、この世界一杯に充満しているのです。
仏心や仏性というものを自覚することを禅では悟りと呼ぶようになりました。
そんな悟りの例として、馬祖禅師と百丈禅師の問答が紹介されました。
講座では問答の原文を流暢な中国語で発音してくださいます。
ここでは春秋社の『禅思想史講義』にある現代語訳を引用します。
『碧巌録』にある問答です。
馬祖が百丈と歩いていたとき、カモの飛んでゆくのが目に入った。
馬祖、「何だ?」
百丈、「力モです」
「どこへ行った」
「飛んで行ってしまいました」
すると、馬祖は、百丈の鼻をひねりあげた。
―イタタタタッー!
百丈は思わず、悲鳴をあげる。
そこで馬祖は、ひとこと、
「飛んで行ってなどおらんじゃないか」
というものです。
鼻をひねりあげられ、イタタタというものこそが仏性のはたらきなのです。
そのことに気がついたという問答です。
しかしこれが五洩霊黙禅師になると違った展開をみせるのです。
こちらは小川先生の著書『語録のことば 唐代の禅』(禅文化研究所)にある現代語訳を引用します。
これは『祖堂集』にある記述です。
『祖堂集』では百丈惟政禅師の問答となっています。
「とある日のこと、馬祖が一同をひきつれて、西の城壁あたりを散策していた。すると突然、カモが飛びたった。馬祖が問う、「足下のものは何だったのだ」。百丈惟政、「カモです」。「どこへ行った」。「飛んで行ってしまいました」。馬祖はいきなり、惟政の耳をつかんで曳きずる。イタタタタッ!思わず叫ぶ惟政。すると馬祖は、すずしい顔でこう言った、「まだ此処におった。飛んで行ってなどおらぬじやないか」。惟政はからりと大悟した。」
『碧巌録』では鼻をひねりあげられたとなっていますが、『祖堂集』では耳をつかんでひきづられています。
ここまでは大して変わりはありません。
そのあと、
「この一件(野鴨子の因祿による惟政の開悟)で五洩はすっかりイヤな気持ちになってしまい(「無好気)、すぐさま馬祖に申し上げた。「それがし科挙の学業を抛って、大師のもとに身を投じて出家いたしました。だのに、今日にいたるまで、何ひとつ心動かすものに恵まれませぬ。さきほど惟政どのには、あのような因緑が有りました。なにとぞこの私にも、お慈悲をもつて、お示しを願います」。
馬祖、「出家の師にはこのわしがよかったが、開悟の師となれば別の者がよかろう。お主の場合、永遠にわしのところにおっても、とうてい道は得られまい」。
「しからば、なにとぞ、しかるべき師をお教え下きい」。「
ここから七百里のところに南岳の石頭と呼ばれる禪師がおる。そこへ行けば、必ずなにか機緑があろう」。
五洩は聞くなりただちに発った。
かくて五洩は石頭と相見するー
五洩は石頭のもとに着くなり、切迫した面もちで迫る。
「一言で契合すればここにとどまります。そうでなければ、ただちに立ち去らせていただきます」。
そして履物をはいたまま、手に座具をもち,法堂にのぼって礼拝し、一切の作法をおえると石頭の傍らにすっくと立った。
石頭はおもむろに問う、「どこから参った」。
この問いの意は、さきに如会と南泉のところで述ペた「近離什麽処」と同じである。
だが、五洩はそんな紋切り型は無用とばかり、意にも介さぬふうできっぱりと言う。
「江西の馬大師のもとより参りました」。
石頭は、あいかわらず、ゆったりした口調で質問をつづける。
「して、受戒はどこでじやった」。
五洩はいらだち、もはやこれまでと、返事もせずに袖を払って出ていった。
すると五洩が門を出かかったその刹那、石頭は、一転して大声でどやしつける。
「コラッ!」その時、五洩の脚は、一方は門の外、一方は門の内に在った。
思わず振り返ると、石頭はさっと手刀で切るように側面を向けて掌を立てた。
「生まれてから死ぬまでただ、これ、このとおりの男あるのみ。
そのうえ きよろきよろと、何を探す必要がある!」
五洩はからりと大悟し、そのまま数年間、石頭に仕え,やがて五洩和尚と呼ばれるようになったのであつた。」
という問答であります。
小川先生は、五洩禅師はこのときに、片足は外、片足は内に在りながら、あたかも内外を分かつ一線の上に起っているところに注目されます。
「石頭が手刀のごとく擬した掌は、正にこの一線を鋭く直示する所作に外ならない」というのです。
「現実態の作用と等置されず、さりとて現実態の自己を離れては存在しない本来性、その探究こそが石頭系の禅の特色」だと説かれています。
「現実態そのままの自己ではなく、本来性(内)と現実態(外)の境界線上にあって、その双方にまたがりつつ、しかし、そのいずれにも属さない自己」というのであります。
これがわかりにくいのですが、大事なところであります。
最後のところで、小川先生は、私が三月十六日の管長日記に書いた「聖なるもの」の内容に触れてくださいました。
「まず人間、普通に生きていて不満がないと思想や宗教は必要ない。
今日もいい日だと、明日もいい日であるよと。
寝て起きるだけですね。
だけど、なんか今のままでは良くないとか、今のままでは不幸だとか、今のままでは間違ってると、なにか現状に疑問とか不安とか、問題意識を持って、思想とか宗教というものを目指します。
それはやはり現状を克服して、聖なる何か、あるいは正しい何かを目指すのです。
そこに宗教が起こってきます。
最初期の禅はそうでした。
だから迷いを克服して、本来の仏心を回復するのです。
ところが、それが今度こう定着すると、この現実をないがしろにして、聖なる価値にとらわれてしまいます。
今この場にない聖なる何かを幻想として、実体視してしまいます。
それにとらわれて、逆に現実の方がないがしろになってしまうという弊害もあります。
そこで、そんな聖なるものを遠くに求めるのではない、今ここに生きている現実に足をつけて生きようと、こういう考えになって、聖と俗の差を解消して、現実をありのままに肯定するという禅になったのが馬祖禅ではないか。
今度はそうなると、現実あるのみでそれだけだと、宗教としての聖なる意味が乏しくなります。
聖なる何かを追求しなければならない、でも現実を捨てて聖なるものを求めるのでは新たな迷いを生み出すことは分かっています。
そうすると次にたどり着いたのが、現実の世界を離れずに聖なるものを求め、聖なる世界を忘れずに現実の世界に足を踏まえて生きていくという教えです。
そういうものを目指していたと私が考えたことを話してくださいました。
まさにそのような生き方が「現実態そのままの自己ではなく、本来性(内)と現実態(外)の境界線上にあって、その双方にまたがりつつ、しかし、そのいずれにも属さない自己」、二にして一、一にして二というわかりにくい表現になったのではないかと私も考えています。
現実のままをありのままに肯定するだけではなく、聖なるものへの求めと、聖なるものの自覚が必要です。
しかし聖なるものは、決して現実態を離れてどこかにあるのでもない、現実態の中に自覚してこそ禅の道となります。
そんなことを学んだのでした。
横田南嶺