かけがえのない今日一日
おもえば先月の第二日曜は、雪となったのでした。
幸いに日曜説教の時間は、電車も止まることはなかったので、いつもの通りに開催することができました。
それでも雪が降っていたので、いつもよりは少なめの方々でありました。
今回は朝からとてもよいお天気でした。
ただ風が肌寒く感じる朝でありました。
大勢の方々がお集まりになってくださいました。
玄関で皆様をお迎えしていると、椎名由紀先生に出会いました。
お変わり無く御元気なご様子で、ご活躍なされていることは、いろんなところから耳にしています。
そんなお忙しい中を、私の法話にわざわざお運びくださるとは恐縮したのでした。
いつものようにお経を読んで始まります。
法話のはじめには、これもいつものように手を合わせて、生まれたことの不思議、今日まで生きてこられたことの不思議、そして今日ここでこうしてめぐり会うことのできた不思議に手を合わせて感謝をします。
これがだいたい三分ほどであります。
三分目を閉じて合掌して、有り難いと心に感じるだけでもとても大きな変化があると思っています。
目を開くときにはゆっくりと外の光を感じながら開くようにしています。
そうしてゆっくり目を開くと、それまで見ていた景色とは違って見えるのです。
私自身何回も行っていますが、その都度有り難く思うのであります。
そうして今回の法話では、詩の朗読から始めました。
詩の朗読から始めるということは、今まであまり行ったことがありません。
この詩を書いたのは、どのような人なのか、いつ頃の詩なのか、どんな状況で書かれた詩なのか、想像しながら聞いてくださいと申し上げました。
「ありがとう」という題の詩であります。
ありがとう
文房具ありがとう
えんびつ、分度き、コンパス大切にします。
花のなえありがとう
お母さんとはちに植えました。
花が咲くのがたのしみです。
うちわありがとう
あつい時うちわであおいでいます。
くつをありがとう
サッカーの時とってもけりやすくて、
いつしょうけんめい走っています。
と、そういって、たくさんのありがとうが続きます。
とても素直で素朴な言葉ですが、心に響きます。
こんなに素直に感謝する心を失っていないかと反省させられます。
この詩を朗読しながら、私は涙がにじんできました。
しかし、法話をする者が涙を流してしまうのはよくないので、涙をこらえながら読みました。
たくさんの「ありがとう」が続いて最後の三行が、
最後に
おじいちゃん見つけてくれてありがとう
さよならすることができました。
という言葉で終わります。
この言葉には、ドキッとさせられます。
多くの方はこの言葉でどんな状況なのかお気づきになったと思います。
先の東日本大震災の津波でおじいさんを亡くされた御孫さんの詩なのです。
当時十一歳の少年の詩であります。
とても優しいおじいさんだったようです。
いろんなところにも連れていってくれたようです。
「三月一一日から、帰って来ないおじいちゃんを、二力月たったとき見つけてくれたのは、遠くから応援に来てくれたけいさつの人でした。淚がいつぼい出ましたが、きちんとお别れする事ができました。」
と書かれています。
この詩は震災の翌年二〇一二年の三月に河北新報社から出版された『ありがとうの詩(うた)』という本に載っています。
この詩を紹介しておいて、そのあと私自身の震災の体験を話して、延命十句観音経意訳を作った話に展開していくつもりでありました。
それがその日曜説教の前の日に、寺務所で読売新聞を読んでいて、「行方不明十四年七ヶ月 家族の元へ」という大きな見出しを見つけました。
昨年十月に、震災から十四年七ヶ月ぶりに一つの小さな遺骨が、家族のもとへ帰ったという記事でありました。
岩手県山田町のとある一家の長女は震災当時六歳でした。
あの日、津波に襲われて行方が分からなくなったというのです。
ご両親は遺体安置所を回り続けましたが、手がかりはありません。
半年後、ついに死亡届を出す決断をしました。
それでも心のどこかで、「もしかするとどこかで生きているのではないか」という思いを捨てきれなかったというのです。
昨年は当時六歳の子がもし生きていれば二十歳で成人式を迎えます。
晴れ着姿の同級生たちの姿を見て、母親は、あの子にも成人式の晴れ着を着せてやりたかったと涙を流しました。
それがなんとご遺骨の一部が見つかったというのです。
自宅から百キロも離れた宮城県の海岸でわずかに歯の残る下あごの骨見つかったのでした。
研究者たちは歯の発育、ミトコンドリアDNA、さらに歯のたんぱく質を分析する最新技術まで用いて、二年半かけて身元を確かめました。
行方不明者二五〇〇名あまりの中から誰のご遺骨か特定することができたのでした。
遺骨を受け取ったとき、母親は小さな骨つぼを胸に抱き、「帰ってきてくれてありがとう」と頬を寄せました。
家では友人が「おかえり」と書かれたケーキを用意して待っていたという話であります。
新聞の記事を読みながら涙を流しました。
そして震災は過去のことではなく、今も続いているのだと改めて思いました。
震災当時の行方不明者は一万五千人を超えていたと言われます。
それが懸命な捜索で減少して今六つの県で二五一九名のことが分からないままでいるのです。
そんな記事を読みながら、今もう震災のことも忘れている自分を申し訳なく思いました。
あれから十五年です。
十五年という歳月は長いようでいて、悲しみの中にある人にとっては、まだ終わらないのであります。
この「申し訳ない」という思いを慚愧の心と言います。
この慚愧の心こそが感謝の心となるのです。
法話の最後には、
「私たちが何気なく生きている今日一日は、昨日なくなった人にとってはかけがえのない一日だと申します。
震災でお亡くなりになった人にとってみれば、今生きていることはどれほどかけがえのないものであるかはかりしれません。
それなのに今日をおろそかにしていないか、不平不満ばかりを言っていないかと反省します。
そのことを思うと、申し訳ないような、もったいないという思いが湧いてきます。
それが慚愧の心です。
その慚愧の思いが感謝のこころになると、あれから十五年経って思うことであります。」
と申し上げたのでした。
横田南嶺