風と月のなか
聖地や霊地を訪ねると、その身体にも大きな影響があります。
日航機墜落事故の慰霊の桜があると知って訪ねたのでありました。
その「夢の桜」が咲いていて、拝むことができた感動もありますが、石山寺を訪ね鷲尾龍華座主にお目にかかることができた感動も大きいものであります。
まず寺のたたずまい、境致が素晴らしいものです。
琵琶湖の南端のところにあります。
瀬田川という河に臨んでお寺がございます。
かなり広いお寺です。
先日はその一部を拝観させてもらったのです。
駐車場もとても広いものです。
西国三十三所の札所でもあるので、大勢の方が参拝なさっていることが分かります。
その日、約束していた時間のかなり早く前に着きましたが、鷲尾座主が門のところまでお出迎えくださいました。
実に恐縮しました。
門がまず立派であります。
この東大門も重要文化財となっています。
門を入ってすぐにある塔頭が寺務所になっていて、そこでお茶をいただき、お話をうかがったのでした。
いただいた『石山寺』という本には、創建の由来について次のように書かれていました。
「今を去る約千二百七十年前、聖武天皇は奈良に東大寺を建立され、大仏を鋳造された。
大仏の完成には多量の黄金が必要とされた。
この黄金を求めるため天皇の命により、良弁僧正は大和の金峯山に籠った。
ある夜のこと、蔵王権現のお姿が現われ
“近江の国の勢多(瀬田)に山がある。この山は霊地であるから、ここで祈願すれば、必ず黄金が得られる”とのお告げがあった。
このお告げにより僧正がこの地へ来たところ、一人の老人が石の上で魚を釣っていた。
老人は僧正に“自分は比良明神である。
この地が蔵王権現のお告げのあった霊地である”といって姿を消した。
そこで僧正は岩の上に如意輪観世音像を安置し、草庵を作って祈願をこめたところ、間もなく陸奥の国から黄金が献上され、天皇のお望みの通り大仏が完成された。
これがため岩上の観音像を移すことが出来ず寺を建てた。
そして如意輪観世音菩薩をご本尊とした。」
という話であります。
とても古いお寺だと分かります。
本堂は、国宝であります。
平安時代の建物です。
滋賀県最古の木造建造物です。
本堂の内陣には本尊の如意輪観世音菩薩がお祀りされています。
こちらのご本尊は秘仏であります。
三十三年に一度と新しく天皇陛下が即位なされた翌年に開扉されるとのことです。
勅封の秘仏と言われていて、開扉するのは勅使がなされるというのです。
先だっては、令和二年に開扉されています。
三十三年に一度ですから、次はいつですかとうかがうと、前回が平成二十八年二〇一六年だったというので、あと二十年少し経ったころになりますので、私はもう無理だとあきらめました。
如意輪観音さまは普通六臂のお像が多いようにおもいますが、こちらは二臂だそうです。
調べますと、初期の経典では如意輪陀羅尼経など二臂の姿を説くそうです。
日本では平安前期以後、六臂像が多くつくられています。
岩波書店の『仏教辞典』によれば、「その姿は具体的には空海によって日本に伝えられた胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)(両界曼荼羅)蓮華部院にあらわされた右膝を立て左膝を屈して坐る姿である。
以後、日本の如意輪観音像はこの姿を基本として展開してゆく」ようになったそうなのです。
本堂には不動明王もお祀りされています。
こちらもとても古いお仏像です。
平安時代の仏像だそうです。
薬師如来も平安時代の仏像で重要文化財です。
それから本堂には大きな毘沙門天もお祀りされていました。
こちらも平安時代のお像で、とても大きく迫力のあるものであります。
平安時代や鎌倉時代の仏さまが到るところにお祀りされていることには驚きました。
よくこれだけの素晴らしい仏像が残っているものだと感動しました。
古い仏さまばかりではありません。
令和になって納められた弥勒菩薩もお祀りされていました。
本堂には源氏の間という部屋があって、紫式部のお像がございました。
これもいただいた『紫式部と石山寺』という冊子には、
「紫式部は新しい物語を作るために石山寺に七日間の参籠をしていた。(中略)
折しも八月十五夜の月が琵琶湖に映えて、それを眺めていた式部の脳裏にひとつの物語が浮かび、とりあえず手近にあった大般若経の裏に『今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊び恋ひしく···』と、ある流謫の貴人が都のことを想う場面を書き続けていった。
源氏物語はこのように書き始められ、その部分は光源氏が須磨に流され十五夜の月に都での管弦の遊びを回想する場面として須磨卷に生かされることになった。」
というのであります。
多宝塔は源頼朝寄進と伝えられる国宝です。
素晴らしい塔であります。
只今の鷲尾座主は、先代の座主がお亡くなりになって、二〇二一年そのあとを嗣いでご就任なさっています。
当日私と一緒にお参りした小池陽人さんと同世代で、一歳お若いかと思います。
まだ四十歳になる前であります。
ご就任なされたのは、三十代であります。
そして千年を超える長い石山寺の歴史の中で、初めての女性の座主だそうです。
いろいろご苦労もあったことと察します。
お目にかかってお話させていただいていても、そんなご苦労を感じさせず、実に自然体で、慈愛に満ちたお姿でいらっしゃいます。
私も円覚寺というお寺をお預かりしていますので、文化財の保存管理には気をつかいます。
石山寺様には、こんなにたくさんの国宝重要文化財があるとなると、その維持管理にもご苦労なされていると拝察しました。
お若い座主のもと、しっかりと維持されていくことを念じました。
禅文化研究所の『禅門逸話集成』に仙厓さんの話があります。
仙厓さんが石山寺にお参りしたときのことです。
石山寺には昔一休さんがお参りなされて書き残された書があるそうですが、誰も読めないというのです。
それは虫という字の上にカタカナのノを書いた字と、漢数字の二を書いたようなものだそうです。
それをご覧になった仙厓さんは、すぐさま一首を詠じました。
近江路や石山寺のながめこそ
風と月との裡(うち)にありけり
という話です。
風という字の、かぜかんむりを取った中身と、月という字の中の二を書いていたというのです。
石山寺にお参りして、鷲尾座主にもお目にかかれて、素晴らしい風と月のなかにあることを感じたのでありました。
横田南嶺