悲しみは桜に
石山寺に、日航機墜落事故の犠牲者を悼んで植えられた桜があるというのです。
昭和六十年(1985)八月十二日、羽田発大阪行きの日本航空機が群馬県上野村の御巣鷹山に墜落した事故であります。
五百二十名もの犠牲者が出たのでした。
私は東京のお寺で僧侶になったばかりのことで、この事故のご遺族のお葬式を務めたのが、僧として葬儀に関わるはじめとなりました。
それ以来、三十三回忌を務めるまで、ご遺族とご縁をいただいていました。
犠牲となられた方は、もともと私が出家したお寺の檀家ではなかったのですが、大手企業の役員をなさっている方であり、同じ宗派ということで、お葬儀を引き受けたのでした。
師匠の小池心叟老師は、実に親切丁寧に、そのご遺族に接しておられました。
その後、ご遺族はそのお寺にお墓を求められて、檀家となり、仏事法要を務めてきたのでした。
後に東京のそのお寺は私が兼務住職として務めることになって、三十三回忌までお勤めしたのでした。
ご遺族の悲しみはいかばかりか、そばで拝見しているだけでも察するにあまりあるものでありました。
そんな経験がありますので、日航機墜落事故のことは、他人事とは思えぬのであります。
冊子に書かれていたのは、私もよく存じ上げている和尚さまです。
その和尚のご縁の方にも日航機墜落事故でまだ二十代の娘を亡くされた方がいらっしゃるというのです。
石山寺に墜落事故で犠牲になった方々の慰霊のために植樹された桜の木があるというので、一緒にお参りしたという話しでした。
犠牲者の数と同じ五百二十本の桜が植えてあると聞いて、その中で一本の木を選んで、自分たちの娘の桜だと思って読経されたというのです。
読経していると、そのご夫婦がまるで我が娘を愛おしむように桜の木を抱いて愛でて泣いていらっしゃったという話です。
石山寺のただいまの住職は、鷲尾龍華座主と申します。
石山寺では住職のことを座主とお呼びします。
鷲尾座主とは、私は一度お目にかかったことがありました。
もう一昨年の暮れのことであります。
いつもお世話になっている小池陽人さんのご紹介でありました。
何でも鷲尾座主は私のYouTubeなどを熱心に聞いてくださっているというのです。
花園大学での私の授業を聞いていただいたことがありました。
そんなご縁もあるので、小池さんと共に鷲尾座主を訪ねて桜にまつわるお話をうかがってきたのでした。
パンフレットも頂戴しました。
「夢の桜」と題して書かれています。
石山寺の奥に「光堂」というお堂が建っています。
そのお堂のまわりに植えられている桜が「夢の桜」という早咲きの桜なのです。
鷲尾座主からいただいたパンフレットには、次のように書かれていました。
「一九八五年に起きた日航ジャンボ機の墜落事故がきっかけとなって植えられた桜です。
そこには事故によって犠牲になった五二〇名のかけがえのない人たちの慰霊と、空の安全ヘの強い願いが込められています。
ある一人の母親がこの事故で二十二歲の娘を亡くし、哀惜の念に苦しんでいました。
ある時、夢をみました。
娘を先頭にして山を登る人たちがいて、その先にはお堂が建っており、辺り一面に桜が咲いている。
振り向いた娘の顔は嬉しそうで、そばにみ仏様がいたというものでした。
そこで母親は石山寺の座主にお願いし、三年を掛けて桜の苗木を五二〇本送り続けました。
まだ若い桜は境内の奥で育ててもらい、数年を掛けて、その後開いた山に移植されて行きました。
それから二十二年が経ち、ちょうど「光堂」が落慶間近の折りに母親が訪ねてきました。
光堂ヘと続く山道には、成長した寒桜がきれいな花を咲かせていました。
それは事故の後に見た夢と同じ光景でした。
いつしか人々はこの桜を「夢の桜」と呼ぶようになりました。
寒風の中で儚く美しく咲く桜を見上げて、大切な人の死を悼み、なき人を偲び、またひとり一人のいのちの尊さを思うのです。」
と書かれていました。
どのような思いでこの桜を植えられたのか、その悲しみははかりがたいものです。
はじめは、そのお堂はなかったそうなのです。
それがとあるご縁で、「光堂」という立派なお堂ができあがったのでした。
お堂ができあがり、桜の花もきれいに咲くと、その母親が夢で見た光景と同じだったという話なのです。
この話をあらかじめ聞いていたのですが、私はこじんまりとしたお堂を想像していました。
実際にお参りするととても大きく立派なお堂で驚きました。
中には阿弥陀様がお祀りされていました。
大日如来のお祀りされています。
どれもとても古い仏像でありました。
石山寺は天平十九年(七四七)聖武天皇の勅願によって、良弁僧正が建立されたという古いお寺です。
寺名の「石山」は、本堂の下に広がる巨大な硅灰石(けいかいせき)の岩盤に由来するそうです。
本尊は如意輪観世音菩薩で、西国三十三所観音の第一三番になっています。
紫式部が石山寺に参籠して、源氏物語の着相を得たと言われています。
小雨の降る肌寒い日でしたが、お堂のそばに早咲きの桜が咲いていました。
しみじみと桜の花を眺めながら、人の世の悲しみを思いました。
高見順さんの詩を思い出していました。
葡萄に種子があるやうに
私の胸に悲しみがある
青い葡萄が
酒に成るやうに
私の胸の悲しみよ
喜びに成れ
という詩であります。
当時九歳だった少年が大阪の親類を訪ねるために一人で初めて飛行機に乗って、事故に逢われたという話も聞いたことがありました。
我が子を亡くした悲しみ、かけがえのない人を亡くした悲しみ、それぞれあろうかと察します。
言い知れぬ深い悲しみが、今桜の花になっているのだと感じたのでありました。
「私たちは、生きておることを当然と思っています。
そして亡くなることを偶然だと思っている。
しかし、それは違います。
私たちが生きているということは当然ではないのです。
大きな自然のなかで、様々なご縁をいただいて生きている、生かされている。
これは本当にあり得ないほど尊いことなんです。」
と冊子に書かれていた文章をしみじみ味わったのでした。
横田南嶺